第2話 右手の腕輪


 自宅前に到着。


 ちらっと後ろを振り返ると、さっきの少女霊の姿がまだあった。

 やれやれだ。大きく溜息をつき、そのまま家の中に入る。


 階段をあがって自分の部屋に入った。鞄を隅に放り、デスク前の椅子に座る。

 少女霊も家の壁を透り抜け、部屋の中へと入ってきた。


「おい。住居不法侵入だぞ」

「かもね」


 少女はそう口にするものの、悪びれたようすなど微塵もなかった。ふわっと浮きながら、詩冬の部屋の中を見回している。


「へぇー。部屋、意外と綺麗にしてるんだ」


 鬱陶しく飛び回る少女を眺めながら、詩冬はデスクに片肘をついた。


「なんでついてきたんだ?」

「だって、ここなら大丈夫でしょ。あんたが『独り言』をしても」


 そりゃ確かに街なかで、誰にも見えない霊と話するのは、もう二度とゴメンだ。

 これ以上、危ない人間だと思われたくないからな。


 少女が詩冬のベッドを椅子代わりにして座る。ニコッと笑顔を見せてきた。

 詩冬は嫌な予感しかしなかった。


「話は短めに頼む」


 一応、釘をさしておいた。長話などされたくない。

 するとさっきまで元気だった少女は、突然寂しそうに視線を落とし、初めて弱々しい態度を見せるのだった。


「ねえ。あたしがここにいるの、迷惑?」


 ちょっと可哀想な気もするが、ここで同情しててはキリがない。


「当前だ。いつもいつも大勢の幽霊が寄ってきて、オレはどうでもいい話を聞かされる。この部屋は『幽霊の悩みごと相談室』じゃねぇーつうの」


「そうよね。悪かった」


 少女は俯いたまま宙に浮き、窓ガラス越しに外へ出ていった。

 詩冬はなんだか後味の悪さを覚えた。


 ゆっくりと腰をあげる。窓を開け、外を見回した。

 道路の斜向はすむかいにある家の屋根上に、パジャマ姿の霊が腰をおろしている。


「おーい」


 少女は詩冬の声に気づいたようだ。

 互いに目が合った。詩冬は少女を部屋に招き入れるべく、顎をくいっと動かす。

 それからデスク前の椅子に戻り、少女が部屋に入ってくるのを待った。


 少女が窓の手前までやってきた。


 ところが、どうしたことか部屋に入ろうとせず、ぷかぷかと宙に浮いたまま静止している。何を躊躇しているのだろう?


「早く入れよ」


 少女はコクッと頭を上下に動かし、開いた窓からゆっくりと入ってきた。


「座ったらどうだ?」


 返事はなかったが、床にペタッとアヒル座りする。


「で、オレにどんな話を聞かせたいんだ?」


 やはり応答はない。

 詩冬とは目を合わさず、ただじっと黙っている。


 なんだコイツは?

 詩冬は怒鳴りたい感情を抑え、平静を保つ。


「黙ってちゃ、わからない。どうしたんだ?」

「やっぱりいい。言わない」


 せっかく話を聞いてやろうとしてたのに、そんな態度を取られるとは思いもしなかった。少女の澄ました顔がつくづく生意気そうに見えた。


 少女はひたすら沈黙を保っている。かといって部屋を出ていくようすはなく、ただ床に座り続けていた。


「お前はなんの用があって、この部屋に戻ってきたんだ?」

「うるさい」


 不機嫌そうにぎゅっと口元を噛み締めるパジャマ姿の少女霊。

 逆ギレかよ。


「なあ、ずっと黙って座ってる気か?」


 パジャマ女の霊は何も答えない。部屋を出ていくようすもない。

 詩冬はイライラしてきた。


「おい、話あるんだろ?」


 彼女が腰をあげる。やっと動いたと思ったら、詩冬に背中を向けただけだった。顔も見えなくなった。しかしここでようやく声を発するのだった。


「もういい。話す気が失せたから」


 じゃあ、どうすりゃいいんだ。

 やっぱり部屋の中に戻すべきではなかった。


 まったくしょうがねえな!

 棒読み口調で、パジャマ女にいってやる。


「ああ、聞きたいな、オジョーサンのお話」


 これでいいのか?


「何よ、それ。まあ、いいわ。あたしね……」


 少女は詩冬が折れるのを待っていたらしく、ふたたび正面を向き、満面の笑みを浮かべて話し始めた。


 聞いてやる側がどうして気を遣わなくてはならないのか、と理解に苦しむところではあるが、とりあえず話したいだけ話させてやり、とっとと帰ってもらうのが一番いい。


「(略)……ふと気づいたら、幽霊だったの。それって、つい二週間くらい前のことよ。どこからきたのかなんて覚えてない。自分の名前も、年齢も、家族も、生きてたときの記憶がぜんぜん思いだせないの。あたしはこの世界で何をすればいいのかしら。どこへ行ったらいいのかしら……。あんたはどう思う?」


「はっ、オレ? えっと……」


 詩冬は急に話を振られ、焦ってしまった。

 まともに話を聞いていなかったので、あたふたするばかりだった。


「あたし、生きてたときのことが思い出せないのよ!」

「えっ、記憶をなくした?」

「さっき、あたし、そう言ったよね。聞いてなかった?」


 もちろん詩冬は聞いていなかった。


「いや、言った、言った。言ってたけど、別に聞いてなかったんじゃなくて、オレも驚いちゃってさぁ……。うん。珍しいな、お前。この世界に未練や恨みがあって霊のまま死にきれない、とかじゃないんだな」


 うまく誤魔化せたかな?


「そうよ。未練も何もわからない。どうやって死んだのかさえも。初めは幽霊であることすら自覚できなかった。だけど歩かなくても飛べるし、物やヒトの体を透り抜けることもできるし、他人にはあたしが見えてないし……。だからあたし、生きた人間じゃなくて幽霊なんだって認識できたの」


 とりあえず、うまく誤魔化せたようだ。

 ホッと胸をなでおろした。


 少女の視線が床に落ちる。

 確かに気の毒な霊だ。


「そんじゃお前、ずっとこのまま幽霊として、この世に居続けるのかな」

「そんなの考えたら気が狂いそう。あたし、どうすればいいの?」


 しゃがみ込んでいた少女は顔と体を起こし、詩冬のすぐ傍に立った。

 悲しみに暮れた面持ちだった。


 しかし詩冬だって、どうすべきかなんて皆目わからない。

 ただ同情はする。


 少女は俯きながら微かに震えている。


「ごめん。あんたに言ってもしょうがなかった。これはあたしの問題」


 少女はくるっと翻り、体を浮かせて窓に向かった。

 去っていく少女の手を、詩冬は無意識に掴んだ。


 振り返る少女の顔は驚いていた。驚いたのは彼女だけではない。

 詩冬本人でさえ、自分の行動が信じられなかった。


「どうしたの?」


 そりゃまあ、そう訊いてくるだろう。当然の反応だ。

 詩冬自身が自分に訊きたいくらいなのだから。


 あー、もー、こうなったら……。

 決心したように深くうなずく詩冬。

 そして少女に笑顔を見せる。


「探そうぜ」

「えっ?」


 少女は小首を傾げた。


「お前の家や家族……それらがハッキリすれば、自分が誰なんだか、どこへ行けばいいのか、答えが出るんじゃないのか?」

「でも生きていたときのこと、何もかも覚えてないのよ」


 詩冬の笑顔は歪まない。


「だから探すんだ。まずは小さな手掛かりから」

「手掛かりなんて……」


 少女は小さくかぶりをふった。


「最初は漠然としてるかもしれないけど、一つずつゆっくり探せばいい。例えばすでに判明してることだってあるだろ」

「すでに判明していること?」


 ふわっと床に着地した。


「そうさ。まず……お前の性別は女だ。そして年齢は見た目からすれば、たぶん高校生か中学生くらいだろう。ここまで判明している」


 呆れたように溜息をつく少女。


「ここまでって、それしかでしょ」


 詩冬はデスクの中から鉛筆を取りだし、腕を伸ばした。

 少女がその鉛筆を受けとる。


「おそらく右利きだったんだろうな」


 少女が鉛筆を手にしたのは右手だった。


「ホントね。でもそれだけじゃ、まだ何もわからないのと同じよ」

「だから少しずつ始めるんだ」


 詩冬は天井を向いて考える。


「それから……。うーんと、そうだ! いまのところ方言はないし訛りもないようだから、遠くからやってきたんじゃなさそうだ。それにパジャマ姿で裸足だということは、布団かベッドの中で亡くなったんだろうな。お前も何か思い当たる手掛かりとか、思いつかないか?」


 少女はパジャマの右裾を捲くった。


「気になるものって言ったら、これもそうかな」


 右腕には金属製の腕輪がはめられていた。

 二匹の蛇が絡み合った形の輪だった。


「すごいぞ。いい手掛かりになりそうじゃないか」

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