ある夏の日の君の思い出 ~迷子の美少女霊が部屋に居着いてしまうという困った日常~

第1話 五百円玉からの出会い


 スクランブル交差点の雑踏の中。


「おお。ラッキー!」


 キラリと光るものを見つけた。五百円玉だ。

 彼の名は詩冬。十六歳。路上の五百円玉に手を伸ばした。


 ゴチッ


「いてぇ」


 何かにぶつかった。いや、何かが背後からぶつかってきたと言った方が正しい。


「危ないじゃないのよ! 急に止まって」


 聞こえてきたのは、やはり詩冬の後方からだ。

 声のもとを確認すべく、腰を屈めたまま振り返ってみる。


 そこに立っていたのは、一人の少女だった。気色ばんだ顔で、詩冬を見おろしている。年齢は詩冬と同じくらいか。細身の体に目鼻立ちの整った顔立ち。セミロングの髪の先が肩の上で遊んでいる。


 少女が人間ではないと一目で確信した。あれは間違いなく霊というものだ。もし彼女が霊でなかったら、こんなスクランブル交差点のド真ん中で、パジャマ姿のまま突っ立っているはずなどない。


 それにしても奇妙だ。彼女とぶつかったときの感触は、生きた人間とまったく変わらなかった。かつて何度も触れてきた霊のような『柔らかで透き通った手触り』とはだいぶ異なるものだった。


 詩冬が首をかしげる――。これはどういうことだろう。その霊が変なのか? それともオレの体の感覚が変になってしまったのか?


 変といえば、思い当たることがある。ここ最近、霊を認識する力が異様に上昇してきたような気がするのだ。俗にいう『霊感が強くなった』というやつだ。少女の霊に触れた感覚が、生きた人間と同じだったのは、きっとこのために違いない。


 もともと霊を視認することは割とできていたが、それがいまやハンパなものではなくなっている。まるで『生きた人間』とまったく変わらないくらい鮮明に、『実体のない霊』が見えるようになってきたのだ。


 たとえば仮に人が電柱の天辺に座っていたり、川の水面を歩いていたり、街なかで防空頭巾にモンペ姿だったりしていたら、その異様な光景から霊だと断定することもできるかもしれない。だが、ごく普通の格好でごく普通にすれ違っていったとしたら、その人のことを霊だと気づくのは困難、いや、もはや完全に無理だ。


 そしていま、さらなる現実を知って絶望した――。くっきりと霊が見えてしまうだけではなく、とうとうキッチリと霊に触れられるようになったらしい。


 霊感ってここまで高くなるものなのかよ。もうどうしたらいいんだ。

 ああ、最悪だ。霊感なんて要らない。欲しくない!

 勘弁してもらいたいものだ。霊感があったって何も得しないぞ。


 見たくないものが見えるなんて、迷惑な話でしかないではないか。

 うっすら見えてこそ幽霊だというのに、はっきり見えたら情緒も糞もない。

 そのうえ触れるようになってしまうなんて。


 パジャマ姿の少女が、顔をしかめたまま、ずっと仁王立ちしている。


 霊っていうのはまったく面倒くせぇー!

 詩冬は口に出したかったが、ぐっと言葉を呑み込んだ。


 スクランブル交差点のド真ん中で、淡いピンク色のパジャマを着込んだ少女の霊に、平静を装いつつも声をかけてみる。


「えっと、なんか用か?」


 少女の霊はムッとした表情を保ちながら、自分の腰に両手を置いた。


「なんか用かってねえ。急に止まったら、ぶつかっちゃうじゃないのよ」


 詩冬がワザと大きく溜息をついてみせる。


「お前さあ、人間じゃねえんだろ? だったらオレの体なんか、普通に透り抜ければよかったじゃん」


「あたしも、そうするつもりだった」


「そのつもりだった? それならオレにぶつからずに済むはずだろ。一方的にこっちのせいにするのって、オカシイよな?」


 などと言ってみた。本当は霊感の強くなった詩冬が、一方的に悪いのかもしれない。しかしそのことはいっさい口に出さないでおいた。当然のことだ。


「言われてみれば、そうかもしれないけど……」


 への字に口を曲げた少女の視線が横に逸れる。

 詩冬は目を細め、少女に言葉の続きをせき立てた。


「けど?」


 少女は返す言葉を探しているのか、沈黙が数秒ほど続いた。

 だが威嚇するような語調で、とつぜん理不尽な文句を吐きだした。


「うるさい。なんでアンタにぶつからなくっちゃならないわけよっ」

「知るか!」


 少女の目がジロジロと詩冬を観察する。


「あんた、人間?」

「もちろんだ。お前とは違う」


 詩冬はハッと我に返り、周囲を見回した。


 スクランブル交差点の通行人は、詩冬から遠ざかるように大きく弧を描いて歩いていた。一般人には霊が認識できないため、詩冬が独り言しているようにしか見えないのだ。


 人々の横目が痛い。

 皆、目が合おうものならサッと視線を外し、足を速めて逃げていくのだった。


 またやっちまった……と赤面する詩冬。どっと汗も噴きだした。


 信号機の『青』が点滅を始めた。もう霊には構っていられない。スクランブル交差点の向こう側へと急いだ。


「ちょっと、待ちなさいっ」


 少女が追ってくる。

 ああ、もうついてくるな!


 ここで大事なことを思いだした――。

 しまった! 五百円玉拾い損ねたじゃねぇーか。



 ……  ……  ……  ……

 ……  ……  ……  ……



 住宅街を歩いている。


「ホント。あんた変よね」


 背後から少女の声が聞こえた。

 まだついてくる気なのか。厄介な霊に絡まれたものだ。


「さっきどうしてあんたを透り抜けられなかったのかしら。やっぱりあんた、変」


 詩冬がその場に立ち止まる。

 キッと後ろをふり返り、ついつい声を荒げてしまうのだった。


「変なのはオレじゃなくて、体を透り抜けられなかったお前の方じゃないのかっ。霊のくせに」


 すれ違った人がビックリしたような顔で詩冬を見ていった。

 ちくしょう、この厄介者コイツのせいだ。詩冬がチッと舌を鳴らす。


 霊の少女が正面に回ってきた。難しそうな顔で詩冬の全身を眺めている。


「うーん」


 両手を伸ばしてきた。詩冬の顔を手底でぺたぺたと触っている。


「やめろ」


 少女の手をふり払った。


 文句を言いたいところだったが、その感情を無理やり抑え込んだ。これ以上、人前で『独り言』なんてできるものか。周囲から変な目で見られるのは、決して簡単に慣れるようなものではない。


 少女に構わず歩きだした。


「ねえ、ちょっとどこ行くの?」


 少女がついてくる。

 他に通行人がいなくなったところで言ってやった。


「るせえな。お前と話をしてると、独り言する怪しい人に思われちまうんだ」

「そうよね。あたしと話ができるのよねぇー。ぜったい怪しい」


 詩冬は無視を決めて、歩き続けた。


「で、どこ行くのよ」


 少女の口調はやや苛立っている。でも無視だ。


「ねえ!」


 無視を決めていた詩冬だったが、あまりの執拗さについ口を開けてしまった。


「どこ行くってなあ。平日のこの時間にこんな制服着てりゃ、誰が見ても学校から帰宅するところだって察しがつくだろ」

「ふうん。そう?」

「ということで、お前はきちんと成仏しろ。ついてくるなよ。バイバイ」


 少女は歩く足を止めた……が、今度はふわふわと宙に浮き、やはり詩冬の後をつけてくるのだった。


 詩冬は悪霊にでもとり憑かれたような気分だった。

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