第5話 せめて一本


「リグ、前へ」


 六十一番目として、やっと名前が呼ばれた。


 長く待たされるのは苦痛だった。順番が来るまでの間、ずっと不安でいなければならなかった。それでもこの緊張はまだまだ極限に達していたわけではなかった。いま呼ばれた自分の名を聞きくと、さらに激しく心臓がバクバクいってきたのだ。


 怖い……。ああ、逃げだしたい。


 せっかくはるばる遠い山からやってきたというのに、魔剣が一本も現われなかったらどうしよう。すべてが徒労だ。きっとこの場で大笑いになるだろうな。そんなことよりも、オレを送りだしてくれた故郷の人々に申し訳が立たない。


 魔剣士になりたいなんて、思ったこともなかった。マリーシャ姉さんに推薦されるまでは。

 いまだってそれほど憧れているわけではない。だけど魔剣士候補になったとき、故郷の集落の仲間はもちろんのこと、同じ山腹に住む大勢の人々が大いに喜んでくれた。祝ってくれた。だから皆の期待を裏切りたくないのだ。


 彼らの期待が重い。重くて重くて押しつぶされそうだ。心音が鳴るたびに、ますます重たく感じてくる。ああ、もし魔剣士になれずに山へ帰るようなことになったら……。オレは皆の前でどんな顔をすればいいんだよ。


 一歩前に出る。


 魔剣、ちゃんと現れてくれるかな?

 せめて一本だけでも。

 いや、それはマズい。何しろ六十一人目という順番なのだ。

 その一本が誰かと被っているかもしれない。先に取られたら終わりだ。


 最低十本。それでも少なすぎるか。

 ならば二十本くらい? まだ不安だ。そうだな……。順番六十一の半分以上の数値は出てきてもらわないと安心できない。つまり三十一本。うーん、さすがにそれは欲張りすぎかもしれない。


 ああ、オレは何を考えている!

 集中しよう。集中だ。


 だが『集中』を意識すればするほど、集中できなくなってくる。

 なんだよ、この雑念の嵐は!


 頭に浮かんできたのは、道端で居眠りしていたときのことだった。夢で見た記憶がいま呼び起こされようとしている。何もこんなときじゃなくてもいいのに。


 思いだしたのは、夢に出てきた女の子……。

 あの子はなんなのだろう。全身真っ白な恰好だった。


 さらに思いだした。


 夢の中でその女の子は悪鬼に襲われていたんだ。オレはそんな彼女を助けようと思い、悪鬼の前に立ちはだかった。どういうわけか悪鬼よりオレの方が圧倒している。だけど悪鬼を屠ることはできなかった。途中でオレが剣を捨てたからだ。


 そのせいで彼女は死んだ。要するにオレが見殺しにしたのだ。


 どんな顔の女の子だったのか、どんな姿の悪鬼だったのか。

 あまり詳細は思いだせない。



 うっ。



 あまりの眩しさに目を細めた。

 どうしたんだ。


 てか、オレは何をやってるんだろう? 

 余計なことを考えている場合ではないのに。

 早く聖山の魔剣に呼びかけなくては。


 なんだ? なんか変だ。


 白、赤、青、黄、紫、緑、橙……。

 大小さまざまな光点に美しく綾なされた聖なる山。


 ちょっと待て。これらの光って、オレを認めてくれた魔剣なのか。

 まだきちんと呼びかけていないのに。てか、ほとんど何もしていなかったぞ?

 夢に出てきた女の子のことを、考えていただけではないか。


 光が次から次へと剣の形を為していく。

 ソロラー・ラーゴ副局長がそれらを必死に数えている。


「三百四十八本。さがれ」


 何があった。どういうことだ。三百四十八本ってなんだよ。

 頭の中で理解が追いついていない。

 いいや、わかっているはず。オレは知らぬ間にやってしまった。しかも……。



 三百四十八本って、それパーフェクトじゃん!



 ああ、信じられない。

 ここで大喜びしたいところだが、いまは厳かな式の予行中なのだ。

 跳びあがりたい気持ちをグッと抑え、平然としていなくてはならない。


「リグ、いつまで突っ立っている。早くさがれ!」


 ラーゴ副局長に怒鳴られた。

 慌ててさがろうとしたら、コケてしまった。


 でももう笑われたっていい。恰好悪くったっていい。

 なんたって三百四十八本の魔剣に応えてもらったのだ。

 みんなの顔を横目に確認してみる。


 ハコネロは嘲笑うどころか、大口を開けて驚いていた。

 やはり三百四十八という本数が衝撃的だったのか。


 ノーチェと目が合うと、彼女は小さな笑みを見せてくれた。

 オレはその笑顔に三百四十八本分の魔剣と同等の価値を感じた。


 大魔剣士の息子シューゼは口をへの字に曲げていた。

 もしかして本数でオレに負けて、悔しがっているのだろうか。

 意外とちっちぇーヤツだったんだな。

 もしかしてオレの方がノーチェに相応しい男なのでは?



 このあと老人たちの話が始まり、いつまでも続くのだった。

 オレはすべてうわの空で聞いていた。


 最後にソロラー・ラーゴ副局長が、魔剣士候補たちに「解散」を言い渡す。途端に多くの者たちの顔が晴れやかになった。長い話にうんざりしていたのはオレだけではなかったらしい。


 この場にふたたび集まるのは三日後だ。


 さっそくゲートの方へと向かう者もいれば、その場に残って聖山を見物する者もいる。その中にハコネロを見かけたので、オレは近づいていこうとした。


 しかし彼はオレを避けるように、逆方向へと歩いていくのだった。

 嫌われたのだろうか? まあ、別に仲がいいってわけじゃないしな。


 そんじゃ、オレもさっさとここから退場しよっと。

 でもその前に、ノーチェの美しい姿をもう一度だけ拝んでおこうかな。


 オレの『運命の人』はどこだ? ノーチェの姿を探す。すぐに見つかった。

 なんと、彼女の方からこっちに歩いてくるではないか。


 手を振ってみた。

 向こうも振り返してくれた。

 もしかして仲良くなれるかも……。



 後ろからポンと肩を叩かれた。

 なんだろう。



 ふり返ると入場手続きのときの係員がいた。


 あー、もう! このオッサン、こんなときになんの用だよ。

 オレはいまノーチェと話がしたいのに。


 係員の隣には高名な魔導士たち。


「名をリグといったな?」と魔導士の老人。


「そうですけど」

「マリーシャ・シトリーから推薦を受けたらしいが?」

「そうですけど」

「なるほど。とんでもない魔剣士候補を発掘してくれたものだ」


 少し首を動かして、ちらりと後ろを見た。

 ノーチェの足が止まっちゃっているではないか。

 おーい、こっちに来てくれ。


 ここにいるのは目をキラキラさせた魔導士の老人たち。邪魔だ。


「マリーシャは元気なのだな?」

「そうですけど」


 とうとうノーチェは踵を返してしまった。

 ゲートから出ていこうとしている。

 そんな……。


 このあと「そうですけど」を九回くり返した。



 ようやく高名な魔導士たちから解放されたときには、もうノーチェの姿はなかった。せっかく仲良くなれるチャンスだったのに……。


 オレはとぼとぼと市街地に向かった。


 野宿にはまったく抵抗がない。ここにくるまでの間、ほとんど毎晩が野宿だったのだ。しかし都会にはスリや強盗が多いと聞いている。寝込みを襲われたら、防ぎようがない。

 だからきょうは宿をとることに決めた。

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