5 少年ハンス

 しばらくの後、僕たちはまた別室に移ることになった。

 今回は、さきほどのメンバーに謎の少年とハーピィが加わっている。気持ちを改めてくれたコカトリスには、蛇神兵団の適性検査の監督を一任することになったのだ。


「それで、これはどういうことなんだろう? どうして人間族が、君たちと一緒に暮らしているのかな?」


 一同を代表して、僕が疑念を呈することになった。ハーピィもパイアもラハムも、不審の念を剥き出しにしてケルベロスの返事を待っている。

 ケルベロスは、そんな僕たちの疑念を「へん」と鼻息ひとつで蹴散らした。


「イチから説明するのはめんどくせーな。手前に任せるぜ、小僧」


「だから、小僧じゃなくってハンスだって言ってるだろ。それに、いちおう俺のほうが年上なんだからな」


「捕虜の分際で偉そうな口を叩くんじゃねーよ。暗黒神様のご機嫌を損なわねーように、せいぜい尻の穴を引き締めるこったな」


 ケルベロスはせせら笑い、ハンスと名乗った少年は深々と溜め息をついた。

 茶色の髪に青い瞳をした、なかなか聡明そうな少年である。生誕10年のケルベロスに比べれば年長なのであろうが、それでも中学生になるかならないかぐらいという年頃だ。身に纏っているのは粗末な布の服であり、何故だか革の首輪などをはめている。

 そして、卓の上に投げ出された右の手の甲には、青い菱形の紋様が刻みつけられていた。


「……君は市民だったんだね、ハンス。生まれは、デイフォロス公爵領なのかな?」


 ハンスは上目遣いで、ちらりと僕を見上げてきた。


「……あんた、魔物の親玉なんだろ? 俺、偉い相手に対する言葉遣いとか知らないんだけど」


「言葉遣いは、どうでもかまわないよ。まずは君の素性と、この城で暮らしている理由を聞かせてもらえないかな?」


「生まれはデイフォロス公爵領で、あんたの言う通り市民だったよ。でも、あんな場所で暮らすのはもう御免だったから、死ぬ覚悟で逃げ出してきたのさ」


 それほど怯んでいる様子もなく、ハンスはそのように言葉を重ねた。


「そうしたら、夜が明けてすぐにそこのケルベロスと出くわしてさ。たったひと晩の自由だったかーと思って腹をくくったんだけど、そいつ、俺を殺しもしないで、この城まで引っ張ってきたんだよ」


「君はどうして、ハンスをこの城まで連れ帰ったのかな?」


 ケルベロスは椅子の上でだらしなく上体を崩しながら、「さてね」と肩をすくめた。


「これといった理由はねーよ。ただ、人間族の従僕ってのもおもしれーかなと思っただけさ。気に食わなきゃ、その場で首を刎ね飛ばすだけのこったしなー」


「でも、人間族は敵だろう? 危険だとは思わなかったのかい?」


「こんなちっぽけな餓鬼に、何ができるってんだよ? まあ、人魔に化けられたら厄介だから、その首輪をつけさせてもらったけどな」


 そう言って、ケルベロスはふてぶてしく笑った。


「その首輪には俺の髪を仕込んであるから、俺の命令ひとつで首を刎ね飛ばすことができる。もちろんそいつが人魔に化けようもんなら、どんなに遠くに離れてても丸わかりだ。これだけ用心しときゃあ、なんも悪さはできねーだろ」


「なるほどね。ひとまず了承したよ。……それじゃあ、話の続きを聞かせてもらおうかな」


 僕がハンスに視線を戻すと、少年は不服そうに口をとがらせた。


「話の続きって? 俺、全部話したと思うけど」


「だったら君は、どうして人間の領土から逃げ出すことになったのさ? 外界には魔族が潜んでいるんだから、そんなのは自殺行為だろう?」


「だから、死ぬ覚悟で逃げ出したって言ったろ。あんなくそったれな場所で長生きしたって意味なんかねえよ」


 ハンスは茶色の髪をばりばりと搔きむしりながら、そう言った。


「毎日毎日、貴族の言いなりで朝から晩まで働かされてさ。そりゃあ農奴に比べりゃあマシなんだろうけど、あんな生活は二度と御免だね」


「でも、君にとってはそれが日常だったんだろう? 生命を捨てる覚悟まで固めたってことは、何か特別なきっかけでもあったんじゃないのかい?」


 リビングデッドたちの告白を思い出しながら、僕はそのように問うてみた。

 ハンスはきゅっと唇を噛みしめて、また僕の顔を上目遣いに見上げてくる。その青い瞳に激情の炎が閃くのを、僕は見逃さなかった。


「……俺の姉ちゃんが、城に召し抱えられることになったんだよ。姉ちゃんはすごく嫌がってたのに、家族連中は大喜びでさ……俺にはそれが、我慢ならなかったんだ」


「どうして? 城に召し抱えられるっていうのは、名誉なことなんじゃないのかい?」


「何が名誉だよ! くそったれの貴族どもに、嬲りものにされるだけじゃねえか! 姉ちゃんは、酒屋の跡継ぎと婚儀をあげる約束をしてたんだぞ!」


「ちょっと!」と、ハーピィが眉を吊り上げた。


「ベルゼ様に向かって、なんて口の利き方さ! 人間のくせに、調子に乗るんじゃないよ!」


「だから、口の利き方なんてわからねえって最初に言っただろ! それでも喋らせたのは、そっちじゃねえか!」


 ふたりの怒声は、ケルベロスの笑い声にかき消されることになった。


「な? こいつ、おもしれーだろ? なーんの力も持ってねーくせに、いっつもこんな調子なんだよ。大した役には立たねーけど、退屈しのぎにはもってこいなんだ」


「うん。なかなか興味深い人間だね。……ハーピィ、僕はもうちょっと彼と言葉を交わしてみたいから、大人しく見守ってもらえるかな?」


 ハーピィは不満そうに頬をふくらませながら、それでも言いつけには従ってくれた。

 パイアとラハムの両名は、だいぶん困惑気味の面持ちでハンスの姿を見やっている。彼女たちにとっても、人魔ならぬ人間の言葉を聞くのは貴重な体験であるはずだった。


「それじゃあ、話を戻させてもらうけど……規範から外れた市民は、貴族の嬲りものにされるっていう話を聞いているんだよね。貴族に召し抱えられるっていうのは、それとは別の話なのかな?」


「ああ。貴族にたてついたり、町の法を犯したやつなんかは、問答無用で捕まっちまうよ。でも、貴族に召し抱えられたって、辿る末路は同じようなもんさ。あいつらは、俺たちをいたぶるぐらいしか楽しみがないんだからな」


「でも、市民は市民で農奴にひどい真似をしているんだろう? どうして人間というのは、同族を相手にそんな真似を繰り返してるんだろう?」


「それは……みんな、頭がどうかしてるんだよ」


 そこでハンスは、また青い目に激情の火を灯らせた。


「それに関しちゃ、あんたたちだって無関係じゃねえんだからな。魔物が町を襲ったりしなければ、俺たちだってこんな風にはならなかったんだ」


「それは、どういう意味だろう? 僕たちに、何の関係が?」


「あんたたちが町を襲えば、俺たちはみんな人魔になる。それで、頭がおかしくなっちまうんだよ」


 そう言って、ハンスはぶるっと身体を震わせた。


「人魔になっている間、俺たちはみんな正気じゃないんだ。目の前の敵を殺すのが、楽しくてたまらなくなって……人魔の術式から解放されても、その感覚が身体のどこかに残っちまってるんだよ。血が見たい、誰かを殺したい、何もかもを無茶苦茶にしてやりたいって……こう、腹の底に炭が燃えてるみたいに、内側から炙られるような心地なんだ。それで……」


「それで君も、農奴を殺めたのかい?」


「そんな真似、するもんか! ……したくないから、俺はあの場所を逃げ出したんだ!」


 ハンスは歯を食いしばり、自分の身体をぎゅうっと抱きすくめた。


「本当は、姉ちゃんと一緒に逃げ出したかったんだけど……姉ちゃんはどうしても、うんって言ってくれなかった。姉ちゃんは魔物のことをすごく怖がってたから、領地の外に逃げ出すぐらいなら、死んだほうがマシだって言い張ってたんだ。それでけっきょく、姉ちゃんは貴族の屋敷に連れ去られちまって……俺は、何もかもが嫌になっちまったんだよ」


「そうか。君にしてみても、外界に出るというのは一大決心だったのだろうね」


「そりゃそうさ。でも、あんな場所で魂を腐らせるぐらいなら、魔物に頭からかじられるほうがまだマシだと思ったんだ」


 青い瞳を暗く燃やしながら、ハンスはそう言い捨てた。


「夜になって、家からこっそり抜け出して……衛兵たちの目を盗んで、農園からも抜け出して……そうしたら、嘘みたいに気持ちがすうっと楽になったんだ。だからやっぱり、あの場所がおかしいんだよ。あの場所が、住んでいる人間の心を狂わせるのさ」


「なるほど。人間の領地に張り巡らされた結界を抜け出したから、術式の影響から解放されることになったのかな」


 そのとき、『失礼します』という沈着なる声が響きわたった。

 それと同時に、黒いネズミが卓の上に舞い降りる。僕を除く全員が、ぎょっと目を剥くことになった。


「なんだ手前、どこから入り込みやがった? どこのどいつの使い魔だよ?」


『私は暗黒城にてベルゼビュート様にお仕えする、レヴァナントです。貴方とは2年ぶりの再会となりましょうか、ケルベロス』


 使い魔たる黒ネズミは、ルイ=レヴァナントの冷たい声音でそのように挨拶をした。


『ベルゼビュート様にお伝えすべき話がありましたので、取り急ぎ使い魔を送らせていただきました。暗黒城に控えし両兵団長もご承知のことですので、ご心配は無用です』


 その言葉に、今度は僕がこっそりと驚かされることになった。

 両兵団長の反感を買わないように、僕たちは使い魔を同行させたことも秘密にしておいたはずなのである。それがこうして、おおっぴらに姿を現したということは――おおっぴらに姿を現すために、急いで両兵団長の許可を取った、ということなのだろう。


(つまりルイも、自分でこのハンスっていう少年と言葉を交わしたいと思ったってことだな)


 僕にしてみれば、ありがたい話であった。これ以上はどのような話を問い質すべきであるのか、僕もそろそろネタ切れになってきていたのだ。


『ところで、こちらは人間族でしょうか? 我々の領土となったこの地において、何故に人間族が姿を見せているのか、理解に苦しむところです』


 と、最初からすべて盗み聞きしていたのに、そんなことをいけしゃあしゃあと言いたてるルイ=レヴァナントである。

 ケルベロスは、心底から面倒くさそうに手を振った。


「うるせーなあ。こいつは、俺の従僕だよ。同じ話を二度もさせるなよ、冷血野郎め」


『左様ですか。しかし、潜入捜査の直前に人間族と相まみえることになろうとは、なんと得難きことでありましょう』


 と、黒ネズミのつぶらな瞳がハンスに向けられる。


『しかもその紋章は、デイフォロス公爵領のものですね。貴方はいずれの区画のお生まれであるのでしょうか?』


「俺は、南区の生まれだよ。農園から運ばれてくる野菜の仕分けを生業にする家だった」


『なるほど。こちらには西区の情報しかなかったので、のちほど町の様子を聴取させていただきたく思います』


 そんな風に言ってから、使い魔は可愛らしく小首を傾げた。


『貴方はずいぶん、我々に協力的であるようですね。貴方は人間の世界が滅ぶことを願っているのでしょうか?』


 ハンスは顔をしかめながら、「別に」と言い捨てた。


「あんな場所がどうなろうと、俺の知ったこっちゃねえよ。姉ちゃんはとっくにくたばってるだろうし、家族の連中は姉ちゃんを見捨てた時点で縁切りしたからな」


『……貴方がデイフォロス公爵領を後にしてから、それほどの時間が経過しているのでしょうか?』


「日にちなんざ数えちゃいねえけど、1年ぐらいは経ってるだろ。だから今さら、ネズミが喋ったって驚きゃしねえよ」


 使い魔は、卓の上でぴょこんと身を起こした。


『貴方がデイフォロス公爵領を離れて、1年が過ぎているのですか? それは、確かな話なのでしょうか?』


「だから、日にちなんざ数えちゃいねえって」


 ハンスは仏頂面で、ケルベロスを振り返った。

 退屈そうに頬杖をついていたケルベロスは、「んー?」と気のない声をあげる。


「そうだなー。手前と出くわしたのは、たしか狼の星が真北に見えた日だったから……ちょうど1年ぐらい前なんじゃねーの?」


『……1年前の、狼の月ですか。魔獣兵団の部隊がデイフォロス公爵領の農園に火を放ったのは、半年ほど前の牛の月となります』


「だったら、なんだよ? 俺たちはこの城で留守番を言いつけられたんだから、関係ねーや」


『では、その日も貴方はその人間族を手もとに置いていたのですね、ケルベロス?』


「だから、それがどうしたってんだよ? うだうだ言ってると丸焼きにしちまうぞ?」


『……その日は結界の外から火を放つ計画でしたが、粗忽なセントールが結界を踏み越えてしまい、農園と町の結界が破壊される事態と相成ったのです』


「ああ」と、パイアが鼻を鳴らした。


「思い出した。おかげであたしらは、人魔どもから逃げ惑うことになったんだよ。あの日は50名ぐらいの団員しかいなかったから、とうてい太刀打ちできなかったんだ」


『……そうであるにも拘わらず、貴方は人魔と化さなかったのですね?』


 ルイ=レヴァナントの問いかけに、ハンスは仏頂面を返した。


「そりゃあそうだろ。俺は領地にいなかったんだからよ。それが何かおかしいってのかい?」


『……ひとたび領地で人魔と化せば、領地を踏み越えても術式が解けることはありません。しかし、最初から領地にいなければ、術式の影響を受けることはないのですね』


 ほとんど独白のようにつぶやき、ルイ=レヴァナントは僕に向きなおってきた。


『これもまた、得難き情報となりましょう。我々は、いっそう勝利に近づいたように思います』


「うん。だったら、ありがたい話だね」


 ルイ=レヴァナントがどのように計略を組み立てているのか、凡夫たる僕には計り知れないところであった。

 しかし、使い魔を通していても、ルイ=レヴァナントが昂揚しているのが伝わってくる。それぐらい、ハンスとの出会いは得難きものであったのだろう。僕としては、その事実を喜ばしく思うばかりであった。

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