6 壮行の晩餐会
そうして、その日の夜である。
僕たちは、大広間で壮行の晩餐会を開くことになった。
潜入捜査の決行は、まだいくぶん先の話である。作戦は綿密に練りあげなければならないし、人間族の少年ハンスとの出会いにより、さらに手を加える必要が出てきた。それに、捜査員たちがきっちり仕事を果たせるように、あれこれ訓練も必要であったのだ。
しかし魔族というのは馬鹿騒ぎを好むものであるらしく、この日の祝宴を止めるすべは存在しなかった。
それに、暗黒神が来城したというだけで、祝宴を開く理由は十分だという話であったのだ。それが魔族のしきたりであるというのなら、僕としても肯んずるしかなかった。
「今日は色々あったけど、足を運んできた甲斐があったよ。みんな、大いに晩餐を楽しんでくれ」
ケルベロスたちにせっつかれて、僕がしかたなく挨拶の言葉を申し述べると、怒号のような歓声がそれに応えた。
見張りの当番を除いて、すべての魔物がこの大広間に集結しているのだ。もともと駐屯していたのが200名ていどで、僕が引き連れてきたのが13名。これだけの人数であれば、かつての暗黒城の祝宴もかくやという騒がしさであった。
「きひひ。なんとも賑やかなこったねえ。暗黒神様も、そろそろ肉と酒を味わってみちゃあどうだい?」
僕の背後に控えたファー・ジャルグが、火酒の土瓶を片手に笑っている。
僕が暗黒神に転生してから、これで1週間ぐらいが経過したように思うが、僕はまだこの世界の食事というものを一切口にしていなかったのだ。
いまのところ、食欲や睡眠欲を感じてはいないし、肉と酒だけの食事に魅力を感じたりもしていない。
が、魔力を保つには食事が必要であるという話であったし、暗黒神として生きると決めたからには、同胞と絆を深める努力もするべきであるのだろう。そのように考えて、僕は
「うーん……あんまり気が進まないけど、これにしてみるか」
僕の着替えが完了すると、かたわらのハーピィが「わあ」と弾んだ声をあげた。
「その姿はひさしぶりだね! あたし、けっこう好きー!」
「え、そうなの? それはちょっと、意外だね」
僕が選んだのは、16、7歳ていどに見える少女の義體である。ルイ=レヴァナントとの打ち合わせにより、僕は女性の姿で潜入捜査に臨むことが、すでに決定されていたのだ。ならば、今の内にこの義體に慣れておくべきかと考えたのだが――ハーピィが喜ぶ理由は、さっぱりわからなかった。
「だって、暗黒神様はその姿で楽しむのも好きだったじゃん。最初はあたしもぎょっとしたけど……なんか、女同士だと普段とは違う気持ちよさがあるんだよねぇ」
先代の暗黒神は、どこまで性に貪欲であったのだろうか。
僕が溜め息をついていると、反対の側からはラミアもしなだれかかってきた。
「わたしにも、しょっちゅうその姿で挑んできたわよね……自分よりも小さな娘に嬲られるのは、魂を灼かれるぐらい屈辱的で……それがえもいわれぬ悦楽を与えてくれたわ……」
「ちょっと! 気色の悪い話を聞かせるんじゃないよ、淫乱蛇女!」
「それはこっちの台詞よ……どうせあなたなんて、わたしの半分も暗黒神様を満足させられないくせに……」
「まあまあ!」と、僕は半ばヤケクソ気味に取りなすことになった。
ちなみに、両名はいまだ人間の姿を保持していたので、困惑の度合いも倍増である。
「それにしても、肉が遅いね。これじゃあ酒だけで腹が膨らんじまうよ!」
と、遠からぬ場所で果実酒をあおっていたパイアが、不満の声をあげた。
するとその声が聞こえたかのように大広間の扉が開かれて、魔物たちに歓声をあげさせる。
「ああもう、騒ぐんじゃないよ! まずは、暗黒神様にお届けするんだから!」
大きな盆を抱えた魔物たちが、列を為して僕たちのほうに近づいてくる。顔や手足に緑色の鱗を生やした、いずれも小柄な蛇神族と思しき娘たちだ。
「お待たせいたしました、暗黒神様。こちらの城でかまどを預かる、ザルティスと申します。拙い出来栄えですが、お口にあえば幸いでございまする」
ザルティスというのは聞き覚えのない名前であるが、とりあえず蛇神族にしては温厚そうな面立ちをした娘たちであった。あんまり妖艶な感じではなく、どちらかというとみんな愛くるしい面立ちをしている。
そうして数々の皿が卓の上に並べられることになったのだが――それを見て、ハーピィが「なんだこりゃ?」と目を丸くした。
「これが食事? 肉はどこさ!」
「肉も、ふんだんに使っておりますですよ。今日はいつも通りの料理を出すようにと命じられていたのですが……」
ザルティスのひとりが気弱げに視線をさまよわせると、同じ卓で酒を楽しんでいたケルベロスが「おうよ」と笑った。
「そう命じたのは、俺とコカトリスだ。いいから、じゃんじゃん持ってきやがれ」
「承知いたしました」と安堵の息をつき、ザルティスたちは駆け去っていった。
で、卓に並べられた料理である。
それは、肉や野菜の煮込まれたスープであったり、ふんわりと焼きあげられたパンであったり、香味焼きにされた骨つき肉であったり――つまりは、いずれも人間が口にするような料理の数々であったのだった。
「口に合うかどうかは、食ってみねーとわからねーだろ? 不満だったら肉の塊を運ばせるから、とりあえず食ってみろって」
「えー? なんだか、気が進まないなあ」
僕の腕にからみついたまま、ハーピィが不満の声をあげる。
そのとき、「ぐう」とおかしな音があがった。
ハーピィとラミアは、けげんそうに周囲を見回す。
「なに、今の音? 誰か、いびきでもかいてるの?」
「いや……たぶん、僕の腹の音だね」
恥ずかしながら、それらの料理を目にしたとたん、僕の腹が鳴ってしまったのだ。
いや、視覚よりも嗅覚からの情報が、いっそう重要であっただろうか。それらの料理からは実に芳しい香りがたちのぼっており、僕の食欲中枢を刺激してやまなかったのだった。
「ケルベロスの言う通り、とりあえず食べてみようよ。これなんて、なかなか美味しそうじゃないか」
僕は、スープの木皿を取り上げた。
ご丁寧なことに、きちんと木匙まで添えられている。白濁したスープを、その木匙ですすってみると――香りに違わぬ豊かな味わいが、口の中に広がってきた。
「うん、美味しいよ! 塩と胡椒と、何かスパイスでも使ってるのかな? ちょっと辛いけど、それがまた美味しいね!」
「えー? ほんとにー?」
ハーピィは疑わしげに眉をひそめつつ、卓に置かれた木皿に首をのばして、そのままぺろりとスープをなめ取った。
「うえー、舌がぴりぴりする! ……これ、酒じゃないじゃん。なんで酒でもないものを飲まないといけないの?」
「魔物には、こういう食事を口にする習わしがないのかな?」
「あるわけないじゃん! あんたたちは、なんでこんなもんを食べてんのさ?」
ハーピィに問われると、骨つき肉の香味焼きをかじっていたケルベロスが肩をすくめた。
「最初はあの人間族の小僧が、自分のために作ってたんだよ。肉と酒だけじゃあ生きていけねーとか騒ぐからよ。そうしたら、かまど番のザルティスどもが真似を始めてな。あれよあれよで、このザマだ」
大広間では、数々の魔物たちが同じ料理に舌鼓を打っていた。
魔獣族も蛇神族も、わけへだてなく人間の料理を楽しんでいる。獣の姿をした魔物さえ、大皿に注がれたスープに鼻面を突っ込んで貪り喰らっている有り様であった。
「……魔族が人間族の食事を食べるって、なんかおかしくない?」
「だったら手前は、どうして肉と酒を喰らうんだよ? そいつは大地の恵みを魔力に換えるためなんじゃねーのか?」
鋭い犬歯を剥き出しにして、ケルベロスは愉快そうに笑った。
「それなら、塩だの菜っ葉だの香草だのも、おんなじこったろ。こいつはみんな、大地の恵みだ。何をどんな風に喰らったって、俺たちにとっては大事な養分だろ」
「……だったら、肉をかじったほうが手っ取り早いじゃん」
「そう思うんなら、肉をかじってろよ。誰も文句をつけやしねーさ」
ハーピィは「むー」と可愛らしい声をあげながら、僕のほうに視線を戻してきた。
「……ベルゼ様は、美味しそうに食べてるね」
「うん。実際に美味しいからね」
「あーっ! どうしてあんたまで食べてるのさ!」
「わたしが食べて、何かいけないのかしら……? この城で暮らす魔物たちはみんな元気そうだから、毒になることはないでしょうよ……」
ラミアは僕の真似をして、木匙でスープをすすっていた。
ハーピィは眉を吊り上げつつ、骨つき肉を乱暴に噛みちぎる。すると、その眉はたちまちへにゃりと下げられることになった。
「これも舌がぴりぴりするー! どうしてみんな、こんな変な味なのー?」
「それはやっぱり、調味料に限りがあるから、香草なんかを主体にしているんじゃないのかな」
そんな風に答えてから、僕はケルベロスを振り返ることになった。
「というか、この食材はどこから調達しているんだい? 外の農園は荒れ果てていたはずだけど」
「んー? あの小僧が、西側の農園だけ生き返らせたとか言ってたな。シオだのコショウだのいうやつは、城や町のをかき集めたんだとよ」
この領地には、10万名の農奴と1万名の市民と数百名の貴族が暮らしていたのだ。ならば、相当な量の塩や胡椒が残されていたことだろう。そういったものは、20年が経過してもそうそう腐ったりはしないのだろうか。
「最近じゃあ、ザルティスどもも畑の面倒を見てるらしいからなー。そうじゃなきゃ、俺たち全員分の菜っ葉なんざ作れねーんだろ」
「うん。それはもちろん、そうなんだろうね」
そんな風に答えながら、僕は大きな感慨を噛みしめることになった。
この地においては、すでに人間と魔物の共存共栄が為されていたのだ。人間と魔物が手を携えて、畑の世話や調理の仕事に取り組んでいるなんて――これは、あまりに想像の外であった。
ファー・ジャルグは「きひひ」と笑いながら、卓の料理をつまんでいる。
正体を隠す必要のなくなったルイ=レヴァナントの使い魔は、卓の端から僕たちの姿を見守っていた。
彼らだけは、僕が胸を震わせていることに気づいているだろう。
これこそが、僕が求めている行く末の縮図であるのだった。
(何せハンスは、もう1年もこの城で暮らしてるっていう話なんだもんな。これだけ色々な種族が集まった城の中で、ハンスがうまくやっていけてるなら……共存共栄だって夢じゃないはずだ)
僕は、そんな風に確信することができた。
怒号のようにけたたましい魔物たちの蛮声も、今日ばかりは心地好く感じられてならなかった。
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