4 死よりも生を

 ルイ=レヴァナントとの密談を終えた僕は、意気揚々と大広間に戻ることになった。

 その場では、200名からの魔物たちが僕を待ち受けている。僕の入室に気づいたハーピィは、「ベルゼ様ー!」と無邪気にぶんぶんと手を振ってきた。


「ちょうど今、全員の確認が終わったところだよ! 見張りの連中も順番に呼びつけたんだけど、使い物になりそうなのは3匹だけだったねー!」


「3名か。でもまあ魔獣兵団だけでその数なら、優秀なほうだろう」


 いっぽう蛇神兵団の面々は、コカトリスの左右に控える格好で、大広間の隅に引っ込んでいる。暗黒城から出向いてきた5名の蛇神族たちは、そんな同胞たちと僕の姿を気がかりそうに見比べていた。


「さて……コカトリス、もういっぺん僕と言葉を交わしてもらえるかな?」


「ええ。わたしの気持ちは、何を聞かされたって変わらないけどねえ」


 うすら笑いを浮かべつつ、コカトリスが進み出てきた。

 その黄色い瞳からは、やっぱり内心がうかがえない。


「君は、伴侶であるバジリスクを殺された。だから、人間たちを殺さずに屈服させようという僕の作戦には賛同できない。……君の主張は、これで間違っていないよね?」


「ええ、そうよ。生命の代価に相応しいのは、生命だけでしょう? あんなやつらは、皆殺しにするべきなのよ」


「でも、戦時の犠牲に復讐心を抱くっていうのは、どうなのかな。それを言ったら僕たちだって、何万人もの人間を殺してるはずだし……それに、魔族の同胞を殺されたのは、君だけじゃないよね? リザードマンやワーフルフなんかは、何十名っていう同胞を失っているわけだしさ」


 コカトリスは、口の端が裂けそうな勢いで唇を吊り上げた。

 どうやら彼女は、激情にとらわれると笑みが浮かぶ気性であるらしい。


「リザードマンやワーウルフは、いくらでも子を生すことができるでしょう? 死んだ魔物の魂は大地に返るのだから、新しく生まれた赤子たちは死んだ魔物の生まれ変わりも同然だわ。でも……バジリスクは、いつまで経っても生まれ変わろうとしない。人間たちのせいで、あいつは魂まで塵にされてしまったのよ」


「それはどうだろう。バジリスクほど強力な魔物がそんな目にあうとは考えにくいんじゃないのかな」


「だったら、どうしてバジリスクは生まれてこないのよ!」


 コカトリスの全身から、禍々しいほどの魔力が噴きこぼれた。

 これは確かに、兵団長のナーガにも劣らない魔力である。それでも彼女はバジリスクの復活を信じ、兵団長の座を辞退したという話であったのだった。


「僕は、ひとつの仮設を立てている。バジリスクがなかなか生まれてこないのは、大地の魔力が欠乏しているからなんじゃないのかな?」


 周囲の魔物たちが、ざわめき始めた。

 その中から、ラミアがけげんそうに発言する。


「大地の魔力が欠乏しているって、どういうことなのかしら……? そんなことが、ありえるの……?」


「僕は、ありえると考えているよ。大地の魔力は無限なのかもしれないけれど、地上にまでこぼれてくる量は、常に一定だろう? もしも魔力の無駄遣いをする者がいたら、他への分配が滞ってもおかしくはないさ」


「魔力の無駄遣い……?」


「それが、人間どもの発動させた退魔の結界と人魔の術式さ」


 僕はラミアから、コカトリスへと視線を戻した。


「魔術って称するからには、あれらも魔力を使った技であるんだろう。大地から吸い上げた魔力を、人間の術式を通して変質させて、退魔の結界や人魔の力と為している。たぶん、そういう術式であるはずなんだ」


「それじゃあ……人間どもを滅ぼせば、バジリスクも新たに生まれ落ちることができるというわけね」


 コカトリスの黄色い目が、初めて激情を爆発させた。

 憎悪と歓喜が入り混じった、炎のごとき眼光である。

 しかし僕は、「いや」と首を横に振ってみせた。


「人間を滅ぼせば、じゃない。正確には、退魔の結界と人魔の術式を無効化すれば、だよ。たとえ人間を皆殺しにしたとしても、人魔の術式が作動したままだったら、けっきょく魔力を浪費してしまうのだろうからね」


「術者が死に絶えれば、術式だって止まるでしょう? 術式だけがこの世に残るなんてありえないわ」


「それはどうだろう。たとえばこのグラフィス領の術式だって、止まっているかどうかは確認のしようもないじゃないか? グラフィス領のかつての領民をこの場に連れてきたら、たちまち人魔と化すかもしれない。僕たちは人魔の術式の仕組みを知らないから、何も断定することができないんだよ」


 それが、ルイ=レヴァナントの構築した仮説であった。

 決して虚言ではないが、また、何か確証のある話でもない。ルイ=レヴァナントの言葉を借りるなら、「彩りを添えた真実」というものだ。


「人魔の術式の秘密を解明しないまま、人間を皆殺しにしてしまったら、永遠にその謎を解くことはできなくなってしまうかもしれない。ケルベロスはなんとか生まれ落ちることができたけど、他の個体種たちはどうなのか……これは、バジリスクだけの問題じゃなく、すべての個体種の今後に関わる一大事なんだよ」


「…………」


「それにもうひとつ、僕は君に謝らないといけないかもしれない。僕は数日前に再生の儀式を行ったから、大地の魔力をいちじるしく消費したはずなんだ。これもまた、バジリスクの復活を妨げる要因となってしまうのだろうね」


 コカトリスは、打ちのめされた様子で身をのけぞらせた。

 僕は精一杯の気持ちを込めて、言葉を重ねてみせる。


「だけど、僕が再生の儀式で使った魔力を大地に返すことはできない。僕にできるのは、人魔の術式を打ち破るために尽力することだけだ。そのために、なんとか君にも協力してもらえないかな?」


「…………」


「君の力は、復讐のためではなく、バジリスクの再生のために使ってほしい。バジリスクを殺された恨みを晴らすよりも、新しいバジリスクと幸福な生を生きるために、力を尽くしてほしいんだ」


「どうせあなたは……戦士としてのバジリスクを欲しているだけなのでしょう? あなたは、そういう存在だものね」


 囁くような声で言いながら、コカトリスは深くうつむいてしまった。

 僕は「どうだろうね」と心の中で微笑んでみせる。


「残念ながら、僕はバジリスクのことも覚えていないんだ。でも、君や100名の同胞たちに、生命を懸けてでも仇を取りたいとまで思わせた存在なんだから、早くこの世に戻ってきてほしいと願っているよ」


 コカトリスが、いきなり僕につかみかかってきた。

 しかしその指先の鋭い爪は、僕の胸甲をかきむしろうとはせず、弱々しく取りすがってくる。


「何よ……調子のいいことばかり言って……あなたなんて、破壊欲と色欲の権化であったくせに……」


「うん。数日前までの暗黒神は、そういう存在であったみたいだね。でも僕は、人格が別人に入れ替わってしまっているんだよ」


 凄まじいばかりの魔力を潜めているコカトリスの身体が、小さく震えていた。

 その顔は僕の胸もとに埋められているため、表情はわからない。ただ、生身と似た皮膚感覚を有している僕の甲冑には、コカトリスの流す涙の感触がはっきりと伝わってきていた。


「いきなりそんな話を聞かされても、なかなか信じることはできないかもしれないけどさ。でも、さっき語ったのは、僕の本心だよ」


「わたしも……」と、コカトリスは聞こえるか聞こえないかぐらいのひそやかな声で囁いた。


「わたしも……早くバジリスクに会いたい……」


 僕は無言のまま、コカトリスの肩に手の平をあてがってみせた。

 ハーピィはなんとも複雑そうな面持ちで口をへの字にしていたが、さすがに口をはさんでこようとはしない。蛇神族の面々などは、みんな思い詰めた面持ちでコカトリスのすすり泣く姿を見守っていた。

 そこに、傍若無人なる笑い声が響きわたる。


「ひゃっはっは! 男をたぶらかすのが信条の蛇神族をたぶらかすなんざ、なかなかのお手並みじゃねーか!」


 笑い声の主は、ケルベロスである。

 蛇神兵団の面々は、殺気をはらんだ目つきでそちらを振り返ることになった。


「ま、これで蛇どもも頭を垂れるなら、くびり殺す手間がはぶけたってもんだな! さすがは暗黒神様ってことにしておいてやるよ!」


「それはどうもありがとう。でも、種族は違えど同じ魔族だろう? 同胞の気持ちを茶化すのは、感心しないね」


「へへん。だったら俺は俺なりに、暗黒神様のご機嫌をうかがわせていただくさ」


 そう言って、ケルベロスは背後に控えた配下の魔物たちに指を鳴らした。


「おい、あの小僧を連れてこい。そろそろ仕事から戻ってきた頃だろ」


 ワーウルフの1名が、狼らしい俊足で広間を駆けだしていった。

 その姿に、ハーピィはうろんげに眉をひそめている。


「あんた、他にもまだお仲間を隠してたの? てきせー検査はこれでおしまいだーとか言ってなかったっけ?」


「そいつには、そんなもんを確かめる必要もねーんだよ」


 さして待つこともなく、ワーウルフは大広間に戻ってきた。

 それと同行していたのは、12、3歳ぐらいに見える少年である。

 ハーピィは、いっそう深く眉を寄せることになった。


「そいつ、魔力をぜんぜん感じないね。見た目も人間そっくりだし、だから確認も必要なかったってこと?」


「魔力なんてあるわけねーだろ。こいつは、人間族なんだからな」


 僕はハーピィと一緒に「えーっ!?」と驚きの声をあげることになった。

 しかし、驚いているのは僕が率いてきたメンバーのみである。もともとこの城に駐屯していた魔物たちは、至極平然とこのやりとりを見守っていた。


 そんな中、人間族の少年はぶすっとした面持ちで立ち尽くしている。

 これだけの魔物に取り囲まれながら、その少年には臆する気持ちもまったく存在しないようだった。

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