2 ケルベロスとコカトリス

「あんたたち、いったい何者だい!」


 と、城の上空を舞っていた魔物たちの何名かが、城門の前にたたずむ僕たちのもとに舞い降りてきた。どのような魔物かと思えば、人間の顔と胴体に鳥の翼と下半身を持つ、ハーピィである。


「なんだい、ふざけた出迎えだね! ベルゼ様がやってくることは通達されてるはずだろ!」


 こちらのハーピィがわめき返すと、3羽のハーピィたちは甲高い声でけらけらと笑った。


「だってあんたたち、どこからどう見ても人間族じゃないか! あんたたちが暗黒神様のご一行だってんなら、証拠を見せてみなよ!」


「証拠か。いちいち着替えるのは、面倒だな」


 ということで、僕は体内に包み隠していた魔力をひと息に解放してみせた。

 とたんにハーピィたちは、「きゃー!」とけたたましい声をあげる。ただし、恐怖の悲鳴ではなく歓喜の雄叫びである。


「本当に本物の暗黒神様だ! なんでそんなちっぽけな人間の姿なんてしてるのさ!」


「暗黒神様にお会いできるのは何年ぶりだろう! 今日の伽は、あたしに申しつけておくれよ!」


 ハーピィたちはバサバサと翼をはためかせながら、先を争って僕に頬をすりつけてきた。

 たちまちこちらのハーピィが、「こらー!」と怒声を張り上げる。


「あたしのベルゼ様に気安くさわるんじゃないよ! ほら、シッシッ! とっととこの門を開けやがれってば!」


「うるさいねえ。暗黒神様との再会を邪魔するんじゃないよ!」


 不満そうにわめきながら、それでもハーピィのひとりがすうっと上空に舞い上がった。


「暗黒神様のご到着だよ! この門を開けておくれ!」


 しばらくして、ぎりぎりと何かの軋む音色が響きわたった。

 それと同時に、堅く閉ざされていた城門がゆっくりと開いていく。そこに待ち受けていたのは、4名ていどのリザードマンであった。


「ようこそおいでくださいました、暗黒神様」


「どうぞこちらにお進みください」


 リザードマンたちはお行儀よく、僕たちを城内に迎え入れてくれた。

 ただし、ハーピィたちを見上げる眼差しは険悪である。


「そら、貴様たちの役割は空の守りだろうが! とっとと自分らの持ち場に戻れ!」


「やかましいね! トカゲ風情に命令される筋合いはないよ!」


 どうやらこの地においても、魔獣族と蛇神族の関係は殺伐としているようだった。

 城門から城の入り口へと続く石畳を歩きながら、僕は足もとのファー・ジャルグに疑問を呈してみせる。


「ねえ、兵団は5つに編成されてるのに、どうして仲の悪い魔獣族と蛇神族が同じ場所に居残ることになったんだろう?」


「それは、どの兵団でもいがみあってることに変わりはないからさ。血を見るような騒ぎにならないだけ、まだなんぼかマシなんじゃないのかねえ」


「同じ魔族同士で、みんなそんなに仲が悪いのか……」


「ああ。そんな魔族をひとつにまとめられるのは、この世であんたおひとりってことだよ、暗黒神様。まあ、魔神族の連中には寝首をかかれることになっちまったけどね」


 そんな風に言ってから、ファー・ジャルグは「きひひ」と笑い声をつけ足した。

 その間に、僕たちはかつてのグラフィス城――現在の『三つ首の凶犬と蛇女王の城』に到着した。


 かつて遠目に拝見したデイフォロス城と同じように、ドイツの古城を思わせる石造りの建造物である。四角い城郭に丸い尖塔が併設されており、近くから見るとかなりの巨大さだ。これならば、200名の魔物たちも不自由なく暮らせそうなところであった。


 ただしこちらも20年前の戦いで、あちこちが崩れかかっている。灰色の壁面には蔓草が這い回り、前庭にもぼうぼうと雑草が生い茂っていた。魔物が潜む城としては、まあ相応の姿なのかもしれない。


「こちらにどうぞ」と、リザードマンが扉を引き開ける。

 扉の内側は、ずいぶんと暗かった。外観からも察していたが、1階には窓らしい窓も存在しなかったのだ。ただ、あちこちの壁がひび割れていたので、そこから差し込む陽光だけが目の頼りになっていた。


「うーん、魔力を隠してると、ぜんぜん見えないなー。ベルゼ様、ちょっぴり魔力を使っちゃ駄目?」


 ハーピィの問いかけに、僕は「駄目」と首を振る。僕自身も、さきほど解放した魔力はきちんと覆い隠していた。


「むしろ、そういう不自由さに慣れてほしいんだよね。人間の領土に潜入したら、どんなに不自由でも魔力を使うことは許されないからさ」


「ちぇー、けちんぼー」


 と、頬をふくらませかけたハーピィは、途中で笑顔になって僕の腕にからみついてきた。


「それじゃあ、こうしよーっと! これならどんなに暗くたって不自由はないもんね!」


「いや、だから、それじゃ訓練にならないだろ? 人間の領地に潜入したら――」


「人間の領地でも、こうやってベルゼ様にくっついてればいいんでしょ? どこに行ったって、あたしはベルゼ様と離れる気はないからね!」


 奔放に過ぎるハーピィの説得はあきらめて、僕は歩を進めることにした。

 ラミアやパイアが僕たちを冷ややかに見ているように感じられるが、それも放っておくことにする。


 案内役のリザードマンは、僕たちを2階に通じる階段へといざなった。

 階段をのぼると、ようやく窓が現れて、魔力なしでも不便のない明るさとなった。とはいえ、ささやかな光量である。やはりこの城は人間たちの防衛拠点として、密閉性が重んじられていたのだろう。


「こちらです」と、リザードマンが足を止めたのは、2階の回廊の最果てにある扉の前であった。

 リザードマンがそれを引き開けると、とたんに熱気やざわめきが伝わってくる。その場には、駐屯部隊のほぼ全員が集結しているようだった。


「よお、本当に来やがったな! 2年ぶりじゃねーか、暗黒神様!」


 大きな広間の最奥部に陣取った何者かが、陽気な声を投げかけてきた。

 陽気だが、迫力のある声音である。ただしその声は、幼い男の子のそれであった。


「ふん。話には聞いてたけど、本当に人間そのままの姿なのね。けったくそ悪いったら、ありゃしない」


 と、そこに若い女性の声がかぶさる。内心の反感を隠そうともしない、乱暴な口調であった。

 僕は13名の配下を引き連れながら、声のあがった最奥部へと歩を進める。200名からの魔物たちは、歓声をあげながらその姿を見守っていた。


「ひさしぶりだなー、暗黒神様? そんな風に魔力を隠してたら、元気かどうかもわからねーけどよ!」


 広間の最奥部には玉座のごとき座具が準備されており、そこにそれぞれ1名ずつの魔物がふんぞり返っていた。

 声の通り、幼い男の子と若い女性である。この城は、魔獣族と蛇神族の代表者たちによって治められているのだった。


 僕が適当な距離を置いて立ち止まると、2名の魔物たちも立ち上がり、壇の下まで降りてくる。そうして両名は臣下の礼を尽くすべく、石造りの床にひざまずいた。


「あんた、記憶が曖昧なんだってな? 俺はこの地の仲間を束ねるように命じられた、ケルベロスだよ!」


「同じく、コカトリスよ。本当に、わたしたちのことを見忘れてしまったのかしら?」


 ケルベロスは、黒い髪に真紅の瞳、それに不吉な暗灰色の肌という、ガルムと同じ特徴を備えもっていた。が、あちらが2メートルを超す大男であるのに対し、こちらは10歳ぐらいにしか見えない少年の姿だ。その身に纏っているのは、黒い毛皮のマントである。


 ケルベロスはガルムに次ぐ強力な魔物であったが、20年前の戦いで生命を散らすことになった。それで、10年前に新たなケルベロスであるこの少年が生まれ落ちることになったのだ。

 個体種の生態に関してはいまひとつ理解も及んでいないのだが、そうして10年ぐらいのタイムラグが生じるのは珍しくないらしい。ともあれ、ケルベロスは数百年を生きる個体であるという話であるので、まだ10年しか生きていない彼は、完全なる幼体であるのだった。


 いっぽうコカトリスは、すらりとした美しい娘の姿をしている。蛇神族の例にもれず、妖艶なる美貌の持ち主である。いちおう人間の形態を取ってはいるものの、長くのばした髪は毒々しい赤褐色で、瞳は艶のない黄色をしており、腕にはびっしりとエメラルドグリーンの鱗が生えている。そして、丈の短い貫頭衣の裾からは、その身の鱗と同じ色合いをした蛇の頭がにゅるりと生えのびていた。


「うん。残念ながら、君たちのことも覚えていないんだよね。それでも、これまで通りの忠誠を期待してもいいのかな?」


「これまで通りの忠誠ねえ。……あんた、ガルムの旦那から何も聞いちゃいないのかい?」


 真紅の瞳を不穏に燃やしながら、ケルベロスはふてぶてしく笑う。

「さあ?」と僕が首を傾げたとき、ふいに視界が一転した。ケルベロスたちの姿がかき消えて、さまざまな魔物たちの驚きおののく姿を見下ろす格好となったのだ。


 どうやら僕は、ケルベロスの爪か何かによって、首を刎ね飛ばされてしまったようだった。宙に舞った生首が、高い位置から広間の魔物たちを見下ろしているのである。


 眼球を動かすと、さらにケルベロスが僕の胴体を蹂躙している姿が見えた。

 僕は溜め息をつきながら魔力を解放し、亜空間を開き、壊れた義體ぎたいを脱ぎ捨てる。そうして髑髏の甲冑を纏った僕は、鮮血にまぶれたケルベロスの背後に降り立つことにした。


「これは、どういうことだろう? むやみに義體を壊されると困ってしまうんだけど」


 ケルベロスは答えずに、再び僕へと躍りかかってきた。

 今度は魔力を解放しているので、その動きもきちんと見て取れる。幼体としては凄まじい力であったが、さすがにガルムほどではないようだ。


 とりあえず、僕は相応の魔力を込めて、ケルベロスの小さな身体を右の拳で弾き返してみせる。

 ケルベロスは「ぐはっ!」と血の塊を吐きながら吹き飛ばされ、広間の入り口あたりに墜落することになった。


 周囲の魔物たちは、まるで何かの試合を観戦しているかのように歓声をあげている。そんな中、ハーピィは仏頂面で腕を組んでいた。


「あんた、ちっとも懲りてないんだね! ガルム団長より弱っちいあんたが、ベルゼ様にかなうわけないじゃん!」


「うるせーぞ、三下! 手前の首も刎ね飛ばしてやろうか?」


 口もとの血をぬぐいながら、ケルベロスはよろよろと立ち上がった。

 その幼い顔には、ガルムにも負けない野獣のごとき笑みが浮かべられている。


「いつでも好きにかかってこいって言ったのは、暗黒神様のほうだからな! 俺のほうに、遠慮をする理由はねーんだよ!」


「もう! せめて100年ぐらいは生きた後じゃないと、あんたの身体のほうがもたないでしょ?」


 両名のそんなやりとりで、僕もおおよその事情は察することができた。これは要するに、力を持て余しているケルベロスの荒っぽいコミュニケーションであるのだろう。


(ケルベロスは血の気が多すぎるから、この城の責任者に任命されたって話だったもんな。彼を暗黒城に置いておくと、こういう騒ぎが絶えなくなるわけか)


 10年前に生まれたケルベロスがこの城の責任者に任命されたのは、5年ほど前のことである。それまでの責任者はオルトロスという双頭の魔獣であり、城の名称も『双頭の凶犬と蛇女王の城』であったとのことだ。


「とりあえず、今日のところはこれで収めてもらえるかな? こちらも重要な案件を抱えているんでね」


「へん! 2年ぶりに相まみえたってのに、愛想のねーこったな! ……おい、そのゴミクズを片付けておけ」


 ゴミクズとは、八つ裂きにされた僕の義體である。魔物の群れから2名のワーウルフが進み出て、血まみれの肉塊を大きな壺の中に片付け始めた。


「それじゃあ、話を進めさせてもらおうかな。こちらの用件に関しては、もう伝わっているはずだよね?」


「ええ。人魔の術式の秘密を探るために、人間どもの領土に忍び込もうって話らしいわね。まったく、馬鹿げた作戦だわ」


 コカトリスは傲然と腕を組みながら、僕を見上げてきた。

 その黄色い瞳は、蛇よりも鳥に似た無機質なる光をたたえている。その眼差しから彼女の心情を読み取るのは難しかった。


「最初に言わせてもらうと、わたしはそんな馬鹿げた作戦、反対よ。人間どもなんて、力でねじ伏せてやればいいのよ」


「いや、ガルムやナーガとも話し合った上で、この作戦を決行することになったんだよ。君も蛇神兵団の一員として、なんとか協力してもらえないかな?」


「嫌よ」と、コカトリスは言い捨てた。

 たちまちハーピィが、緑色の瞳をぎらりと燃やす。


「あんた! ベルゼ様のご命令に背くつもり!? だったら、あたしらが相手になるよ!」


「やかましいわね。文句があるなら、暗黒神様がその手でわたしをくびり殺せばいいでしょう?」


 感情の読めない黄色の瞳が、じっと僕を見つめてくる。

 これはいささか、想定外の事態であった。


「それは困るな。僕は大切な同胞を手にかける気はないんだ。どうしてそうまでして、君は協力を拒むんだろう?」


「……あなたは人間の王だけを追い詰めて、他の人間は見逃すつもりだと聞いているわ。そんな命令、聞けるわけがないじゃない」


「でも、人魔の術式さえ無効化できれば、人間なんて滅ぼす価値もないだろう? そんなことより、僕たちは裏切り者の魔神族を――」


「あなたにとってはそうであっても、わたしにとっては違うのよ」


 コカトリスは、唇を吊り上げて微笑んだ。


「わたしの伴侶は、人間どもに殺された。わたしはその仇を取るためだけに生きているのよ。それが許されないというのなら、あなたがわたしをくびり殺すしかないということね」

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