第4章 三つ首の凶犬と蛇女王の城

1 潜入部隊

 翌日――といって、いいのだろうか。相変わらず食事や睡眠を必要とせず、鍾乳洞の暗がりに陣取っている僕には、なかなか時間の経過を計ることが難しかった。


 ともかく、ルイ=レヴァナントらと密談し、ガルムとナーガをようよう説得することがかなった会合から、24時間ぐらいが経過した頃合いのことである。

 僕は何名かの魔物たちを引き連れて、暗黒城から別なる拠点――グラフィス公爵領の跡地へと移動することになった。


 グラフィス公爵領とは、20年前の大きな戦いによって、暗黒神の軍勢が人間たちから勝ち取った領地である。

 かつて僕が潜入したデイフォロス公爵領と同じように、領地の中央には巨大な城がそびえたち、城壁の外側には石造りの町が、さらにその外側には広大なる農園が築かれている。それらの威容が眼前に近づいてきたところで、僕は足もとの魔物に「よし」と呼びかけることにした。


「ここまででいいよ、フレスベルグ。あの農園の手前で降ろしてくれ」


 フレスベルグは、美しい白銀の羽を持つ大鷲の魔物である。彼は魔獣兵団の所属だが巨人族の血も入っているとのことで、小型飛行機ぐらいのサイズを有している。その背中では、僕が率いる十数名の魔物たちも各々くつろいでいた。


「えー! どうせだったら、城まで運んでもらえばいいのに! どうしてわざわざ、そんな手前で降りちゃうの?」


 そんな文句を言いたてたのは、フレスベルグではなくハーピィであった。このたびは、彼女とラミアもこの一行に加わっていたのだ。


「20年前に陥落させたグラフィス領がどんな有り様なのか、いちおう確認しておきたいんだよ。何せ僕には、その頃の記憶がないからさ」


「なんにも面白いものなんて転がってないと思うけどなー。ま、ベルゼ様がそう決めたんなら、つきあうしかないかー」


「当たり前じゃない……本当にあなたは、最低限度の礼節もわきまえていないのね……」


「うっさいよ、淫乱蛇女! ベルゼ様にべたべたひっつくなったら!」


「あなたこそ、横着しないで自前の翼で飛んでみせなさいよ……そのまま人間どもの領土にでも墜落してくれたら、言うことはないわね……」


 女怪たちの騒ぎなど知らぬげに、フレスベルグはふわりと滑空してくれた。

 これだけの巨体であるのに体重を感じさせない優雅さで、大きく切り開かれた大地に着陸する。そこはもう、農園の突端であるようだった。


「ありがとう。あとは歩いていくから、君は暗黒城に戻ってくれ」


 聡明そうな眼差しを持つ白銀の大鷲は、まばたきをすることで了解の意を示し、ばさりと翼をはためかせた。

 魔物たちの髪や衣服や獣毛をなびかせつつ、フレスベルグは大空に舞い上がる。20年前の大戦においては、彼もかなりの武勲をあげたのだという評判であった。


「さて。全員、そろってるよね?」


「あったり前じゃん! 途中で振り落とされるような間抜けはいないよ!」


 ハーピィはそのように言いたてたが、いちおう僕は自分の目で確認しておいた。人数は、13名。きちんと全員、顔をそろえているようだ。

 もともと見知った魔物としては、ハーピィにラミア、それにファー・ジャルグも含まれている。本当はルイ=レヴァナントにも同行してもらいたかったのだが、やはりガルムとナーガの両兵団長の反感を招かぬように、それは自重しなければならなかったのだ。


 よって、残りの10名はこの24時間ばかりで初めて顔をあわせることになったメンバーであった。

 6名が魔獣兵団で、4名が蛇神兵団となる。内訳は、2名のワーウルフ、パイア、サテュロス、ケットシー、バグベア。2名のリザードマン、ラハム、ニャミニャミ、といった顔ぶれだ。これにハーピィとラミアを加えた12名が、もうじきに開始される潜入捜査の参加者たちであった。


 彼らとともに元グラフィス公爵領を訪れた理由は、ただひとつ。この地に配属された兵団員たちに援軍を要請するためである。

 人間たちに奪還されないように、この地には200名ばかりの魔物が駐屯しているのだと聞いている。その中にも潜入捜査員の適性を持つ魔物はいるのではないかという、そんな期待をかけての行いであった。


「えーと、この部隊の小隊長は、それぞれパイアとラハムだったよね。ちょっと前に出てもらえるかな」


 異形のモンスターの中から、2名がのそりと進み出てきた。

 パイアは巨大な漆黒のイノシシ、ラハムは真紅の大蛇である。魔獣兵団と蛇神兵団はあまり友好的な関係ではないために、けっきょく双方から1名ずつの小隊長を選任することになったのだ。


「この部隊の隊員たちは、いずれ人間の姿でデイフォロス公爵領に潜入してもらうことになっている。訓練の一環として、これからはなるべく人間の姿を保ち、魔力を隠しておいてもらえるかな?」


 巨大なるイノシシがうっそりとうなずくと、その姿が黒い霧に包まれた。

 黒い霧が晴れたとき、そこにたたずんでいたのは、女戦士のごとき勇ましい風貌をした若年の女性である。その顔は凛々しく引き締まり、身長などは180センチ以上もありそうで、手足には立派な筋肉が盛り上がっている。髪や瞳は黒色で、肌は艶やかな小麦色であった。


「へえ、君は女性だったんだね」


 僕の言葉に、パイアはうっすらと頬を赤くした。


「……あんた、本当に記憶がないんだね。他の連中の前じゃなかったら、ぶん殴ってるところだよ」


「ちょっと! ベルゼ様になんて口を叩いてるのさ!」


 すかさずハーピィがわめきたてると、パイアは底光りする目でそちらをにらみつけた。


「侍女風情が、余計な口をはさむんじゃないよ。その羽をむしって丸焼きにしてやろうか?」


「やれるもんなら、やってみな! あんたみたいな筋肉女は、ベルゼ様のお好みじゃないんだからね!」


「ちょっとちょっと、同じ魔獣族同士で喧嘩しないようにね。ほら、みんなも人間に変化して」


 僕が命令を下すと、残りの者たちも人間の姿に変化した。

 パイアを除く魔獣兵団員はみんな男性で、リザードマンの片方を除く蛇神兵団員はみんな女性だ。ハーピィとラミアが女性であるために、奇しくも男女6名ずつの組み合わせと相成った。


 その中で、ちょっと印象的な姿をしていたのは、もうひとりの小隊長であるラハムであった。目にも鮮やかな真紅の髪を、6本の三つ編みにして腰まで垂らしている。蛇神族の女性というのはのきなみ妖艶なる美貌であるために、いっそう人目を引きそうな外見であった。


「うーん、あんまり目立ちすぎるのはよくないんだけど……髪の色や長さを変えたりすることはできないのかな?」


「はい。変化の術式と申しましても、自らの魂の形にそぐわぬ姿を取ることはかないませぬ」


 ラハムは長い髪を垂らしながら、恭しく一礼した。魔物の中では、格段に礼儀正しい人柄であるようだ。


「うん、了解。まあ、潜入の際には頭巾か何かで隠せば大丈夫だろう。他は特に、問題もないようだね」


「ねえねえ、あたしはー? あたしを人間に変化させるなんて、すっごくひさしぶりでしょ?」


 と、ハーピィが僕の視界に割り込んできた。

 彼女はもともとの姿に、人間の手足がつけかえられただけのことである。その身体にはきちんと衣服も纏っていたので、僕はほっとした。

 ただ――彼女はきわめて可愛らしい面立ちをしているのだ。猫のように目尻の上がった大きな目が印象的で、掛け値なしの美少女である。それが人間の姿になってしまうと、もう文句のつけようもなくなってしまった。


「うん、まあ、似合ってるよ。どこからどう見ても、立派な人間の娘さんだね」


「へへー。あたしは人間に化けるのなんて大嫌いだったんだけどさ! でも、ベルゼ様はこの姿で楽しむのも大好きだったもんねー?」


 ハーピィはうっとりと目を細めながら、僕の胸もとに頬をすりつけてきた。

 すると、こちらも鱗が除去されて人間の姿と成り果てたラミアが、ハーピィの耳を後ろからひねりあげる。


「今は大事な作戦のさなかなのよ……? 少しは分別というものを持ったらどうなの……?」


「いたたたた! 気安くさわるんじゃないよ、この淫乱蛇女!」


「どっちが淫乱よ……まあ、すべての罪はベルゼビュート様に還元されるのでしょうけれど……」


 と、ラミアが艶っぽい流し目を送りつけてくる。

 そんな彼女たちの振る舞いに、パイアは口をへの字にしていたが、他のメンバーは素知らぬ顔であった。聞いたところによると、先代の暗黒神は破壊欲と色欲の権化であったため、お気に召した女性はのきなみ閨に引き込んでいたという話であったのだ。


「そ、それじゃあこの領地の様子を検分しながら、城に向かおうか。もたもたしてると、あっちで待ってる団員たちが待ちくたびれちゃうからね」


「きひひ。部下連中を人間に化けさせながら、暗黒神様はそのままのお姿で?」


 と、僕の影みたいにに控えていたファー・ジャルグが、そのように呼びかけてくる。

 僕にはべつだん訓練も不要であるのだが、それならそれで規範を示すべきであろうか。人間の姿を保ちながら魔力を隠すというのは、本来なかなか難易度の高い所業であるようなのだ。


「そうだね。それじゃあ僕も、義體ぎたいに着替えようかな」


 僕が虚空に指先を走らせると、そこがぱっくりと口を開いて、暗黒の亜空間を覗かせた。ラミアとハーピィを除く魔物たちは、「おお」と驚嘆の声をあげる。


「うーん、どんな姿でもかまわないんだけど……一番目立たなそうなのは、これかな」


 僕は、なるべく凡庸な風体をした若者の義體に着替えることにした。

 着替えた瞬間、適当な服を具現化させて身に纏う。


「これでよし、と。あとは、魔力の隠蔽だね」


 かつての潜入時に体得した手管で、自らの魔力を体内の奥深くに隠蔽する。すると、魔物たちがまたざわめいた。


「あんた、どうしてそんな簡単に、魔力を包み隠すことができるのさ? あんたなんて、兵団長とも比較にならないぐらいの魔力を持ってるくせにさ!」


 パイアがおっかない顔をしながら、僕を見下ろしてくる。この義體よりも、彼女は頭半分ほど大きく、体格でもまさっていた。


「どうしてって言われても困るけどね。もともと暗黒神はお忍びで人間の領地に潜り込むことが多かったみたいだから、手慣れているんじゃないのかな」


「なんでそんな、他人事みたいな口ぶりなんだよ! あんたがたびたび人間の女を襲ってたことぐらい、誰だって知ってるよ!」


「僕にとっては、他人事なんだよ。だって、記憶がないんだからさ」


 僕は、自分がかつての暗黒神とは別人格であるということを公言しまくっていた。それが事実であるのだから、隠す必要性を見いだせなかったのだ。


「みんなも魔力をこぼさないように、頑張ってね。魔力を隠し通せる時間が長ければ長いほど、大きな成果をあげられるはずだよ」


 かくして、僕たちはかつてのグラフィス公爵領を突き進むことになった。

 ここは農園の突端である。20年も放置されていたため、現在は雑草が生い茂り、ちょっとした草原のような有り様になっていた。


(ここも農奴たちが苦労して開墾したんだろうにな。多大な犠牲を払ってまで強奪した領地をほったらかしにするってのは、ちょっと本末転倒に思えるぞ)


 魔物は、畑を耕したりしないのだ。ならば、この農園をきちんと活用できるのは、人間たちのみであるはずだった。


「きひひ。たいていの魔物は、肉と酒ぐらいしか喰らわないからねえ。酒の原料になりそうな果実なんかは育てられてるんだろうけど、菜っ葉やら何やらは役立たずってことさ」


 と、僕の心中を読み取ったかのように、ファー・ジャルグがそのように言いたてた。

 他の者たちの耳もあったので、僕は「なるほどね」とだけ答えておく。

 僕が人間との共存共栄を視野に入れているという事実は、ファー・ジャルグとルイ=レヴァナントだけが知る大きな秘密であったのだ。


 やがて農園を踏破すると、次の区域は石造りの町である。

 こちらも20年ほどは放置されているためか、完全にゴーストタウンの様相であった。なおかつ、魔物との戦いによって大きく傷つけられてもいるのだろう。崩落して瓦礫の山となっている家屋も少なくはなかった。


「ここを占拠した魔物たちは、みんな城で暮らしているんだよね?」


「ここを占拠したのはあんただよ、暗黒神様。魔獣と蛇神の兵団をあげての総力戦だったって説明したろ? 占拠した後で、この場所を守る部隊を選り抜いたのさ」


 しかしそれも、たかだか200名ていどであるという話であったから、中央の城だけで事足りてしまうのだろう。10万名の農奴と1万名の市民が暮らしていた土地は、まるまる捨て置かれることになってしまったわけであった。


「……この地で暮らしていた人間のすべてが、生命を落としたわけじゃないんだよね?」


「ああ。貴族や市民の半分ぐらいは、余所の領地に逃げ散ったはずだよ。そうじゃなかったら、こっちの被害も300名じゃ済まなかったろうね」


「貴族や市民だけ? 農奴は?」


「それぐらい、ちょいとおつむをひねればわかるだろ? 貴族様と市民様が逃げのびるための足止めで、ここに居残るように命じられたんだよ。それで、あえなく全滅さ」


 ひび割れた街路をてくてくと歩きながら、ファー・ジャルグはそう言った。


「あと、ついでの豆知識も披露しとこうかね。人魔となった人間は俺たちと同じように、くたばったら塵に返るのさ。そうじゃなかったら、この場所には何万っていうしゃれこうべが転がってたことだろうねえ」


「なるほど。人間として死んだ者はひとりもいないから、ここには遺骸のひとつも残されてないわけか」


「うんうん。遺骸が残れば、不死兵団の連中も大喜びだろうにね。何から何まで、うまくいかないもんだよ」


 幸いなことに、僕の気持ちが打ち沈むことはなかった。

 10万を超える人間と300名もの魔物が生命を散らしてしまったというのは、きわめて痛ましい話であるが――それならば、そんな惨劇を繰り返さないために尽力するべきであろう。

 体内にみなぎる暗黒神としての力の恩恵か、僕はそんな風に強い気持ちを保つことができた。


「さあさ、お城に到着だね」


 ファー・ジャルグが宣言するまでもなく、僕たちの前には堅牢なる城壁が立ちはだかっていた。

 城壁の向こうには石造りの城郭が覗いており、さらにその上を翼ある魔物たちが旋回している。


 今は僕たちも魔力を封印しているので感知することはできないが、その場には暗黒城にも劣らない魔力が渦巻いているのだろう。

 その城こそが、魔物たちが20年前に手に入れた新たなる拠点、通称『三つ首の凶犬と蛇女王の城』であったのだった。

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