4 リビングデッドの告白
暗黒神の寝所に戻った僕は、「ふいー」と気の抜けた声をあげながら、寝台に倒れ込むことになった。
「ああ、くたびれた! 慣れないことは、するもんじゃないね」
「いやいや、なかなかの芝居っぷりだったよ。あんたもいい道化になれそうだね、暗黒神様」
ただひとり寝所にまで追従してきたファー・ジャルグが、「きひひ」と笑い声をあげる。
寝台に寝転んだまま、僕はその笑顔を見返してみせた。
「君には悪いことをしたね、ファー・ジャルグ。人間への敵対心をそらすために、君の同胞を生け贄にしたようなもんだもんね」
「悪いことをしたのは、あんたを裏切った魔神どもでしょうよ。あんなやつら、同情してやる義理もないさ」
「ああ、彼らは君を暗黒城に残したまま、叛旗をひるがえしたって話なんだもんね。君が処刑されなかったのは幸いだよ」
「おっと! 傷口に塩をすり込むのはご勘弁!」
ファー・ジャルグは、おどけた仕草で肩をすくめた。
魔神族というのは残虐非道な気性であり、人間族どころか同じ魔族に対しても無法な真似を繰り返すような、きわめて悪辣なる一族であるとのことであったのだが――この陽気な小人がそんな一族を出自にしているなどとは、なかなか信じ難いところであった。
(まあ、そうだからこそ、こっちも遠慮なく仮想敵に仕立てあげることができたんだけどな)
僕がそんな風に考えたとき、寝所の扉がノックされた。
扉を開く前から、その気配だけで正体は察知できる。僕が「どうぞ」と返事をしてみせると、そこから現れたのは2名の従僕を率いたルイ=レヴァナントであった。
「やあ。君のおかげで、なんとか兵団長たちを説得することができたよ」
「私は一言も発しておりません。すべてはベルゼビュート様のお力でありましょう」
「いやいや、事前にあれだけ入念な打ち合わせをしていなかったら、あのふたりを説得することなんて不可能だったはずさ」
僕は寝台の上に身を起こしつつ、ルイ=レヴァナントに長椅子をすすめた。
「それで、あのふたりは心から納得してくれたのかなあ?」
「はい。もともと兵団長らは裏切り者の魔神族に激しい怒りを抱いておりましたので、すっかり心を動かされたことでしょう」
長椅子に座しながら、ルイ=レヴァナントはそう言った。2名の従僕は無言のまま、壁際まで下がっていく。
「現在は、人間の領地に潜入させる者を選別するべく、配下の者たちを大広間に招集しています。……しかし、こちらの提示した条件にかなう力を有する団員は、ごく限られることでしょう」
「そっか。人間の領地に潜入するには、人間に化けないといけないからねえ」
「ただ変化するだけであれば、難しいことはありません。むしろ、自らの魔力を隠蔽することこそが困難であるかと思われます」
「きひひ。その身の魔力が強ければ強いほど、そいつを隠すのは難しいもんなあ。ま、これだけの魔力を持ちながら、綺麗さっぱり包み隠せる規格外な御仁もたったおひとり存在するけどねえ」
部屋の中をてくてくと歩き回りながら、ファー・ジャルグはそう言った。
一定以上の魔力をこぼさなければ、結界が破壊されることはない。しかし、ほんのわずかでも魔力をこぼしてしまうと、それはたちまち魔術師に察知され、先日の僕のように取り囲まれてしまうのだという話であったのだ。
「で? 暗黒神様も、本当にまた人間の領地まで出向くつもりなのかい?」
「もちろんさ。みんなにばっかり、苦労はかけられないよ。……ていうか、潜入捜査なんてものに適性のある魔物がそんなにたくさんいるとは思えないからね」
「うんうん。たいていのやつはすぐさま矢でも射かけられて、あっという間に正体をさらしちまうでしょうよ。どこかの誰かさんみたいにね!」
ファー・ジャルグは、大きな口でにんまりと笑った。
僕は「ちぇっ」と苦笑したが、もちろん髑髏を模した兜は無表情のままであっただろう。
「ちなみに、ファー・ジャルグとルイはどうなんだろう? この潜入捜査に、参加できるのかな?」
「ははん。人間の中にまぎれこむなんざ、俺は御免だね。だったら、真っ暗な影の中に潜んでるほうが、まだマシさ」
「そっか。それはそれで、心強いよ。それじゃあ、ルイは?」
ルイ=レヴァナントは、珍しくもわずかに眉をひそめながら、僕の姿を見据えていた。
「……失礼しました。同族ならぬ相手に名を呼ばれることには慣れておりませんもので」
「ああ、そうなのか。それで、潜入の件は?」
「……私はもとより人間に似た姿をしておりますが、魔力を隠すすべは体得しておりません。結界の外で待機させていただきたく思います」
それは、残念な話であった。
しかし、彼のような美青年が町を闊歩していたら、それだけで人目を集めてしまうだろう。そういう意味では、もともと潜入捜査員としての適性はなかったのかもしれなかった。
「さきほどそちらの道化が申し述べた通り、強き魔力を有する者こそ、それを隠すのは困難となります。下級から、せいぜい中級の魔物のみの編成になるかと予想されますので、くれぐれもご用心ください」
「うん。いざとなったら、僕がみんなを守りながら撤退するつもりだよ。その前に、なんとしてでも人魔の術式のからくりを暴きたいところだけどね」
そんな風に言いながら、僕は寝台から自分の椅子へと移動した。
長椅子に座したルイ=レヴァナントとは、真正面から向き合う格好となる。その冴えざえとした美貌を見つめつつ、僕は言葉を重ねてみせた。
「何にせよ、君には感謝しているよ、ルイ。これで何とか、人間と共存共栄する道も開けるかもしれないからね」
すると――ルイ=レヴァナントの黒い瞳が、正体不明の感情をゆらめかせた。
これは、どういった感情であるのだろう。怒りや憎悪というには、あまりに冷たい――それでいて、奥底に深い煩悶を隠しているかのようなゆらめきであった。
「共存共栄……ベルゼビュート様は、あくまでその道を進もうというお気持ちなのでしょうか?」
「うん、まあ、基本の部分ではそうだけど……やっぱり君にしてみても、それは賛同し難い話なのかな?」
ルイ=レヴァナントは何も答えぬまま、ただ指を立てた手を顔の横まで持ち上げた。
それは従僕を招く合図であったので、壁際に控えていた両名が楚々とした足取りで進み出てくる。
「以前もお話ししました通り、この者たちは人間が死したのちに魔物として生まれ変わった、リビングデッドです。リビングデッドに生前の記憶はありませんが、それは魔物として生まれ変わる際に、心の内から除去されるためとなります」
「うん、それで?」
「……しかし、人間の記憶というものは、心ではなく脳に蓄えられるのです。私はこの者たちの死した脳に魔力を注入し、生前の記憶を呼び起こすことに成功いたしました」
「え? それじゃあ……君たちは、人間であった頃の記憶を思い出しているのかい?」
僕が視線を差し向けると、2名の従僕は恭しく一礼した。
10歳ていどの、少年と少女である。しかしその瞳はどんよりと曇り、泥人形のように虚ろな表情で、人間らしい情感を備え持っているようには、とうてい思えなかった。
(いや、だけど……)
そういえば、僕が農園で遭遇した女の子も、彼らと同じように虚無的な気配を漂わせていたのだ。
それに、魔術師に率いられていた3名の男たちも、同様である。
「君たちは、どうしてそんなに覇気がないんだろう? 何か理由があるなら、聞かせてもらえないかな」
両名はぼんやりと、主人たるルイ=レヴァナントを振り返った。
ルイ=レヴァナントがうなずくと、まずは少女のほうが口を開く。
「わたくしは、10歳を迎えてすぐに生命を散らすこととなりましたが……わたくしを殺めたのは魔族の方々ではなく、石の町の市民たちとなります。石の町の市民たちは、刺激と娯楽に飢えているために……兵士たちの目を盗んでは、農園の人間を玩具として扱うのです」
「そうなのかい? でも、いくら身分制度が厳しいからって、そこまで農園の人たちを粗末に扱うのはおかしいよ。そんな簡単に農園の人たちを殺めていたら、作物を育てることにも支障が出てしまうだろうし……それに、農奴であれ市民であれ、領地を守る大事な戦力のはずじゃないか?」
「ですが、その行いが明るみとなっても、暴虐を働いた市民が大きな罪に問われることはございません。100名の農奴の生命より、1名の市民の生命は重い……わたくしたちは、幼き頃よりそのように教え込まれておりました」
僕が言葉を失っていると、ルイ=レヴァナントは凍てついた声で補足をしてくれた。
「それは、人魔としての力を考慮した上での法であるのでしょう。高い能力を持つ中級の人魔は、下級の人魔100名分の働きを為すことがかなうのです」
「ふうん? だったら、全員を市民ってやつにしちまえばいいんじゃないのかねえ? ま、10万名の人間がすべて中級の人魔に化けるようになったら、いよいよこっちに勝ち目はなくなっちまうけどさ!」
ファー・ジャルグが茶々を入れると、ルイ=レヴァナントは僕を見つめたままそれに答えた。
「人魔の術式とて、大地の魔力を使った魔術に他なりません。大地の魔力は無限とされていますが、しかし、地上に湧き出る量は常に一定となります。よって、ひとつの地で10万名もの人間を中級の人魔と為すことは不可能であるのです」
「へーえ、不死の旦那は物知りだねえ。もうちょい愛想がよかったら、女どもも放っておかないだろうにさ!」
「……つまり、貴族や市民の数というものは、その地にあふれる魔力の如何によって定められているのです。貴族の中に余分な子が生まれれば市民に、市民の中に余分な子が生まれれば農奴に、それぞれ回されることとなります。そんな中、市民として生きている人間たちには、自分たちもまた優良なる存在であるという意識が芽生えるのでしょう。そういった、誇りという名の傲慢さが、農奴に対する蔑みや侮りを生み出すのであろうと推測されます」
えもいわれぬ感情にとらわれながら、僕は少年のほうを振り返った。
「そ、それじゃあ、君は? 君は農奴を虐げる市民の生まれなんだろう?」
少年の手の甲に刻まれているのは、深い青色の紋章だ。それは、僕に矢を射かけた無法なる少年たちと同じ紋章であった。
「わたくしは、同じ市民である家族や友人たちが農奴を虐げることを、ずっと心苦しく思っておりました……同じ人間であるにも拘わらず、どうしてこのような無法が許されるのか……どうしても、それを理解することができなかったのです」
「ふうん。市民にも、きちんと人間らしい心を持っている人たちもいるんだね」
「ですがそれは、ごく少数であるのでしょう……わたくしも、そんな心情を家族や友人に明かすことは、どうしてもかないませんでした……ですがある日、わたくしがひそかに見初めていた農奴の少女が、友人たちによって嬲り殺しにされてしまい……それを止めようとしたわたくしもまた、その場で生命を散らすこととなったのです」
虚ろな表情で、少年はそのように言いつのった。
「そして……市民もまた、貴族に虐げられる身でありました……市民としての規範を外れた人間は、貴族の屋敷に送られることになり……そこで、嬲り殺しにされるのです……そのために、わたくしは心を殺して生きていくことと相成りました」
「でも、最後には農奴の少女を救おうとして、生命を散らすことになったんだろう?」
僕はほとんど無意識の内に、少年の腕をひっつかんでいた。
禍々しい漆黒の指先に腕をつかまれて、少年はわずかに身を震わせる。マント越しに感じられるその腕はとてもか弱く、僕が少し力を込めるだけでへし折れてしまいそうだった。
「何も恥じ入る必要はないよ。恥じ入るべきは、そんな法を作った王や貴族たちだ。君は、何も悪くない」
「ですが、わたくしは……けっきょくその少女を救うことすらできなかったのです」
少年の顔に、表情が浮かべられることはない。
しかし、ガラス玉のように虚ろであったその瞳の奥底には、確かに人間らしい情感が隠されているように感じられた。
「もしかしたら……その農奴の少女というのは、君のことなのかい?」
僕が視線を差し向けると、リビングデッドの少女は無言のままうつむいてしまった。
その瞳にも、少年と同じような感情のゆらぎが見て取れる。それが答えであるようなものであった。
「……我が君に、同じ問いを繰り返すことをお許し願えますでしょうか」
と、ルイ=レヴァナントが低く囁くように言った。
「我が君は、人間族に救う価値があると、お思いでしょうか?」
「……僕も、同じ答えを返すことしかできないよ。現段階では、判断がつかない」
少年の腕を解放しながら、僕はそのように答えてみせた。
「でも、君たちのおかげでひとつだけ確信できたよ。人間族に救う価値があるかどうかはわからないけれど、現在の人間たちの法や社会に、守るべき価値はないようだね」
「人間たちの、法や社会」
「うん。だけどまあ、人魔の術式を無効化することができれば、おのずとそっちも壊すことができるんじゃないのかな。人間たちがそんなおぞましい法や社会を作ったのは、きっと魔族に対抗するためなんだろうしね」
するとファー・ジャルグが、いきなり「ひゃー」と素っ頓狂な声をあげた。
「おっそろしい魔力だね! そんな魔力を撒き散らしていたら、他の連中が何事かと思って集まってきちまうよ、暗黒神様!」
知らず内、僕は魔力の制御を失ってしまっていたようだった。
僕はゆっくりと深呼吸をして、体外にこぼれてしまった魔力をかき集めてみせる。
「うん。僕もいっそう強い気持ちで、これからの仕事に取り組めそうだよ。ありがとうね、ルイ」
「……まさか、御礼のお言葉を賜ることになろうとは予想しておりませんでした」
「そうかい? だったら、認識を改めてもらおうかな。僕はこういう人間……いや、こういう存在なんだよ」
僕はルイ=レヴァナントに笑顔を向けたかったが、この姿ではそれもかなわぬことであった。
ともあれ僕は、ようやく自分の進むべき道を見いだせたような心地であった。
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