3 会合

 それから、半日の後である。

 僕は「会合の間」と呼ばれる部屋で、頑迷なる兵団長たちの説得に取りかかることになった。


 会合の間には巨大な円卓が置かれており、20名ぐらいの魔物が着席できるような造りになっている。

 しかしその場に座しているのは、僕とルイ=レヴァナント、ガルムとナーガの4名だけだ。あとは道化の特権で、ファー・ジャルグが僕のかたわらに控えているばかりであった。


「……それでは、会合を始めようと思う」


 上座に陣取った僕は、なるべく厳粛に聞こえるように苦労をしながら、そのように宣言してみせた。

 ガルムもナーガもひとまず怒りは収まった様子であるが、僕がいきなり幹部だけで会合をしたいなどと言い出したものだから、たいそううろんげな顔つきになっている。僕が正気に戻ったのか、あるいは錯乱したままであるのか、それを見極めようと目を凝らしている様子だ。


「まずは先日の一件について、謝罪させてもらうよ。過去の記憶がなかったとはいえ、君たちに相談もせずに暗黒城を抜け出したのは、僕の心得違いだったと思う。そんなのは、君たちを信用していない証拠だと思われてもしかたのないところだろうからね」


 僕がそのように口火を切ると、ガルムがぴくりと口もとを引きつらせた。思わず笑いそうになったところを、慌てて自制したような仕草である。彼はとにかく直情的な気性であるのだと、僕は事前にルイ=レヴァナントから聞かされていた。


(彼らを何とか説得できるように、上手くやらないとな)


 そのために、僕は半日がかりでルイ=レヴァナントと作戦を講じてきたのだ。

 ただし、僕がルイ=レヴァナントに協力を仰いでいるなどと知れてしまったら、ガルムもナーガも嫉妬心や反抗心にとらわれてしまう。この場においては、僕がひとりで彼らを説得してみせなければならなかったのだった。


「僕にとって、君たちはかけがえのない腹心だ。僕には過去の記憶がないけれど、その事実を疑ったりはしていない。僕も君たちの君主に相応しい振る舞いができるように力を尽くすと誓うので、これまで通りの忠誠を期待してもいいだろうか?」


「馬鹿なことを仰いますな、ベルゼビュート様! あなたは1000年の昔から、我々の君主であったのです! たとえ天地がひっくり返ろうとも、その絆が断ち切られることはありえませんぞ!」


 こらえかねたように、ガルムが大声でがなりたてた。

 しかしナーガは、まだ用心深そうな目つきで僕を凝視している。この両名は、ものすごく似た部分とまったく似ていない部分を持ち合わせているので、くれぐれも対処を間違えないようにとルイ=レヴァナントに忠告されていた。


「ありがとう、ガルム。それに、ナーガもね。僕たちはこれから、大陸全土を平定しなくてはならないんだ。そのために、どうか君たちにも力を尽くしてもらいたい」


「では、いよいよ本格的に、人間どもの領土へ侵攻するのですな?」


 たちまち野獣の目つきとなって、ガルムは歓喜の表情となった。

 冷静な表情を保ちつつ、ナーガもきらりと金色の目を光らせる。戦いを求める烈火の気性というのは、彼らの大きな共通点であるのだ。


「この20年ばかりは、ちまちまとやりあうばかりでしたからな! 俺の配下どもも、いい加減に焦れておったところでありますぞ! 先陣は、是非とも我が魔獣兵団に申しつけてもらいたいものですな!」


「うん。だけどその前に、僕はやっておきたいことがあるんだ」


「やっておきたいこと? 前祝いの宴でしたら、今日にでも準備させますぞ!」


「いや。僕は人間たちの駆使する人魔の術式というものを解明してやりたいんだ」


 全身に闘志をみなぎらせていたガルムは、きょとんとした様子で目を見開いた。

 いっぽうナーガは、いぶかしそうに目を細めている。


「人魔の術式の、解明とは? 人間の領土に張られた結界をぶち壊せば、人間どもが人魔と化す。あれは、それだけの術式でありましょう?」


「うん。だけど、人間たちがどうやってそんな魔術を可能にしたのか、そういったことは謎のままだろう? そういう根底の部分を、僕は解明してみせたいんだよ」


 ガルムは眉間に皺を寄せ、椅子の上でふんぞり返った。


「まったく意味がわかりませんな! そのような真似をして、いったい何になるというのです? どうせ人間どもなど皆殺しにする他ないのですから、魔術の原理などを解明しても意味はありますまい!」


「でも、それで人魔の術式を無効化することができたら、人間なんて簡単に征服できるじゃないか」


 ガルムとナーガの両名から、不審の念が伝わってきた。

 しかし彼らが反論するより早く、僕は言葉を重ねてみせる。


「人間は無力だけど、人魔の術式だけは侮ることができない。手っ取り早く人間たちを征服するために、僕は人魔の術式を無効化してみせたいんだよ」


「何を柔弱なことを言っておられるのですか! 我々が人魔などに後れを取るとでもお思いか!?」


 ガルムは、一瞬で激昂した。

 しかしそれも、こちらは想定済みである。


「君やナーガが人魔に後れを取ることはないだろう。でも、配下の者たちはどうなのかな? ワーウルフやリザードマンが中級の人魔を相手取ることは難しいし、バイアやヨーウィーでは上級の人魔に太刀打ちできないよね。ましてや相手は、こちらの100倍以上の人数なんだからさ」


「俺の配下が、戦場で生命を散らすことを恐れるとでもお思いか!?」


「魔族が戦いや死を恐れることはないだろう。だからこそ、それを導く僕たちが正しい道を示すべきなんじゃないかな?」


 暗黒神としての魔力を使いこなせるようになった僕は、ガルムの迫力に気圧されることもなくなっていた。

 それと同時に、ガルムがどれだけ卓越した魔力を持つ存在であるかが、ひしひしと感じられる。ガルムもナーガもこれだけの魔力を持つ存在であるからこそ、兵団長の座を授かることになったのだ。


「それじゃあ聞かせてもらうけど、君の配下であるワーウルフは、現在何名が生き永らえているのかな? この20年で多くの子が生まれたのだろうけれど、それでも100名は超えていないはずだよね」


「それが、なんだというのです!?」


「公爵領には10万名の、王都には30万名の農奴がいる。下級の人魔とはいえ、それだけの人数がいれば大きな脅威になるはずだよ。20年前の戦いでも、多くのワーウルフが生命を散らしたんだろう? こんな戦いを続けていれば、ワーウルフはすべての同胞を失ってしまうかもしれない」


「下級の人魔など、俺の一撃で100名は吹き飛ばすことができましょう! あのような木っ端どもが、脅威になるわけは――」


「君の役割は、中級から上級の人魔を片付けることだ。特に上級の人魔を相手取ることができる魔族なんて、数えるぐらいしか存在しないのだからね」


 ルイ=レヴァナントからもたらされた情報を頭の中で整理しながら、僕はそのように言いつのってみせた。


「20年前の戦いでは、君に次ぐ力を持つケルベロスさえもが生命を散らすことになったんだろう? 上級の人魔に囲まれれば、僕や君だって無傷ではいられないんだ。僕たちが、下級の人魔なんかにかまっているゆとりは存在しないはずだよ。だからこそ、20年前の戦いでは300名もの犠牲者を出すことになってしまったわけだね」


「しかし、それは――!」


「僕はもう、ひとりの犠牲者も出したくないと願っている。だって、無力な人間なんかを相手にこちらが犠牲者を出すのは、馬鹿らしいじゃないか」


 僕はせいぜい傲慢に聞こえるように願いながら、そのように言ってみせた。


「それに、もう一点――死の痛みというのは、一瞬だ。暗黒神たるこの僕に逆らった人間たちを、そのていどの罰で許してやるのは、あまりに腹立たしいだろう?」


「……それは、どういう意味なのかしら?」


 これまで無言であったナーガが、妖しく微笑みながら身を乗り出してきた。

 僕は悠然と、そちらを見返してみせる。


「言葉の通りの意味だよ。人間はつつましく生きていくという誓いを破って、僕たちに叛旗をひるがえした。その命令を下したのは、人間たちの王だろう? もう200年も経っているのだから、その卑劣なる人間の王はとっくに生命を散らしているんだろうけど……その座を継いで、僕たちに刃向かい続けている現在の王には、然るべき罰が必要なんじゃないかな?」


「……あなたはどのような罰を望んでいるのかしら、ベルゼビュート様?」


「さてね。でも、正面から戦いを挑んだら、王さえもが人魔となるはずだ。それはきっと人魔の中で最強の存在であるのだろうから、生け捕りにすることは難しいだろう。それじゃあ、あまりにつまらないよ」


 僕が人間の義體を纏っていたならば、冷酷非道な暗黒神として何らかの表情をこしらえなければならない場面である。

 そのような演技力の持ち合わせはなかったので、僕はこの髑髏の甲冑の姿のままで会合に臨んでいたのであった。


「それもあって、僕は人魔の術式を無効化したいんだよ。人間にとっては唯一の拠り所である人魔の術式を失ったとき、王はどのような恐怖と絶望にとらわれるのか――なかなか面白そうな見世物じゃないか?」


「…………」


「それに、人魔の術式を無効化させれば、人間たちにあらがうすべはない。農奴や市民といった有象無象は、僕たちに降伏するしかなくなるだろう。自分の統べていた民たちがひとり残らず敵陣に下るなんて、支配者としては最大の屈辱だろう? 君たちも、兵団の魔物たちが自分を裏切って、人間の王か何かに頭を垂れるところを想像してごらんよ。そんなことは絶対にありえないからこそ、それが最大の屈辱となり得るんだよ」


「ベルゼビュート様は……ご記憶が戻られたのでしょうかな?」


 と、ガルムが顔をしかめながら、そのように問うてきた。


「その、蛇のようにねちっこい気性は、非常に懐かしく感じられますぞ。ここ数百年は、そんなお姿を見せることもなかったように思いますが……」


「そうなのかな。そんなの、僕はこれっぽっちも覚えていないけどね」


 ただし、その話はルイ=レヴァナントから聞いていた。何代か前の暗黒神はきわめて陰湿かつ残虐な気性をしており、当時のナーガは今以上に心酔していたようだ、という話であったのだ。


 よって、ガルムはいくぶん辟易していたが、ナーガは舌なめずりでもしそうな顔つきになっていた。彼女が持っていて、ガルムが持っていない一面、それは嗜虐の相であったのだった。


「まあ、そういうわけでね。僕は人間たちを殺さぬままに屈服させて、死よりも恐ろしい恥辱と絶望を人間の王に与えたいと願っている。そのために、人魔の術式というやつを無効化してやりたいんだよ」


「ですが……我々は人間どもとの戦いによって、すでに数多くの同胞を失っております。この無念は、いったいどのように晴らせばいいというのです? 俺の配下どもは、来たるべき戦いに備えて、煮え湯のように血をたぎらせているのですぞ?」


「それは、ぞんぶんにたぎらせておくといいさ。人魔の術式というのが止めようのない魔術であったなら、どっちみち正面から戦うしかないわけだし……それに、どれだけ血をたぎらせたって、それが無駄になることはないはずだよ」


「とは、どういう意味でありましょう? 人魔の術式を使えぬ人間など虫けらも同然なのですから、踏みにじる価値もありますまい」


「それは僕も同感だね。でも、僕たちの敵は人間族だけじゃない」


 そこで僕はせめてもの演出として、体内の魔力を少しばかり解き放ってみせた。

 とたんにガルムとナーガは、ぐっと身体を強張らせる。僕が怒りの激情にとらわれているとでも錯誤してもらえたら何よりであった。


「まさか、忘れたわけじゃないだろうね? 僕たちは、東の領土でふんぞり返っている魔神どもを討伐しなければならないんだ」


「……無論です。あやつらこそ、許されざる裏切り者なのですからな」


 ガルムの赤い双眸に、炎のごとき眼光が灯る。

 ナーガの美しい面には、楽しくてたまらぬような笑みが浮かべられていた。


「だからこそ、僕は人間ごときとの戦いで犠牲者を出したくはないんだよ。人間なんかはとっとと制圧して、本当の許されざるべき相手との決着をつけたい。そのために、どうか君たちも協力しておくれよ」

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