第3章 進むべき道
1 密談①
翌日――といっていいのだろうか。このような地底の暗がりでは、やはり昼夜を判ずることもできなかった。
それに僕の肉体は、いまのところ食事も睡眠も求めようとはしなかったのだ。僕は寝室に引きこもったまま、ハーピィとラミアを相手にあれこれ騒ぎながら、半日ほどの時間を過ごすことになったようだった。
「失礼するよ、暗黒神様」
やがて姿を現したのは、赤い衣の小人たるファー・ジャルグであった。
「そろそろ頃合いかと思って、不死の旦那にご同行を願ったんだけどね。そいつを招き入れるか追い返すか、好きなほうをお選びやがりくださいな」
「もちろん、入ってもらっておくれよ。……悪いけど、君たちは外してもらえるかな?」
「えー! あんな冷血野郎に、なんの用事があるってのさ! 悪巧みだったら、あたしもまぜてよー!」
「悪巧みなんかじゃないよ。でも、君たちが聞いていても楽しい話じゃないだろうからさ」
ハーピィとラミアは、それぞれ不服そうに寝室を出ていった。
それと入れ替わりで、ファー・ジャルグとレヴァナントが入室してくる。さらに、レヴァナントの背後には2名の小さな人影が追従していた。
「こちらは、私の従僕です。お邪魔であれば帰しますが、如何いたしましょう?」
今日もレヴァナントは、氷のように冷徹であった。
従僕と紹介された2名は、どこか虚ろな表情で一礼する。どちらも10歳ぐらいに見える、男の子と女の子だ。両名ともに黒いマントを纏っており、首から膝のあたりぐらいまでがすっぽりと隠されている。
「僕は、どちらでもかまわないよ。君の判断で連れてきたんなら、帰す必要はないんじゃないのかな」
「では、そのように」
レヴァナントが目配せをすると、両名は部屋の端まで後退した。
レヴァナント自身は椅子に座った僕の正面に立ち、ファー・ジャルグは横合いの寝台に腰を据える。この寝所には、僕の分しか椅子が存在しないのだ。
「ええと、君にも楽にしてもらいたいんだけど……」
「だったら、椅子でも何でも作ればいいでしょうに。ここはあんたの魔力で構成された寝所なんだよ、暗黒神様!」
そうだった。亜空間を衣装棚にできるような暗黒神に、椅子を生み出すことぐらいできないはずがないのだ。僕が念じると、レヴァナントのすぐ背後に毛皮張りの立派な長椅子が具現化した。
「座っておくれよ、レヴァナント。今日はちょっと、君とじっくり語らせてもらいたいからさ」
「……我が君のご命令とあらば」
レヴァナントは、空気も乱さぬ流麗さで、ふわりと長椅子に腰を下ろした。
ただ顔立ちが美しいばかりでなく、一挙手一投足が貴公子のように優雅で隙のない青年であるのだ。
「余計な前置きは抜きにして、本題に入らせていただくよ。……僕は人間との抗争について、君の意見を聞かせてもらいたいんだ」
「……私の意見など、爪の垢ほどの価値もありますまい」
「そんなことはないよ。何度も言っている通り、僕にはこの世界の知識がまったくないんだからね。こんな状態で、暗黒神として生きていく自信は持てないんだよ」
レヴァナントの黒い瞳が、探るように僕を見つめてくる。
人間の義體(ぎたい)であれば、愛想笑いのひとつでも返したいところであった。
「最初の日、君は言ったよね。僕は自分の持つ力にともなう責任を果たすべきだってさ。そのために、僕は自分を納得させる必要があると思うんだ」
「……納得とは?」
「人間との抗争は、本当に避けられないものであるのか。人間というのは、本当に滅ぼすべき存在であるのか。まずは、そういった部分だろうね」
ハーピィたちと戯れている間に、僕はひとつの覚悟を固めていた。それは、レヴァナントの信頼を得るために、自分の心情を隠さない、という覚悟である。
「これも最初の日に言った通り、僕の意識や人格は、異界の人間のものであるんだ。僕の暮らしていた世界には、そもそも魔物ってものが存在しなかったんだけど……でも、魔物の概念は存在していた。人間に害を為す、悪の象徴としてね。そんな僕が人間の敵に回るなら、それ相応の理由や覚悟が必要になるということだよ」
「……私は昨日、ベルゼビュート様にひとつの問いを発しましたが、まだその答えをいただいておりません」
冷たい声で、レヴァナントはそう言った。
「人間の世界を垣間見たベルゼビュート様は、人間に生かす価値があると判じられたのでしょうか?」
「あんな短い時間じゃ、それを判断することはできなかったよ。ただ……この世界の人間や、人間の作りだした社会というものが、僕の生まれ育った世界とは別物だっていうことは、しっかりと思い知らされた」
頭の中を整理しつつ、僕はそのように答えてみせた。
「まず、身分制度についてだね。石の町に住まう人間たちは、農園で働く人々を人間扱いしていないように感じられたんだけど……」
「人間の世界には、4つの身分が制定されています。王族、貴族、市民、農奴の4種で、下なる身分の者が上なる身分の者に逆らうことは、一切許されません。農奴は市民のために生き、市民は貴族のために生き、貴族は王族のために生きると、そのように定められているのです」
「やっぱり、そうなんだね。それじゃあ、魔術師というのはどういう立ち位置なんだろう?」
「……魔術師とは、その制定から外れた存在となります。身分としては、貴族と市民の中間ということになりますが、魔族との戦いには欠かせぬ存在であるため、時には王に進言することも許されているようです」
そんな風に言いながら、レヴァナントは瞳だけを動かしてファー・ジャルグのほうを見やった。
「立ち位置としては、道化のようなものでしょう。唯一にして最大の相違は、人間の王国に魔術師の存在は不可欠である、ということでしょうか」
「きひひ。そりゃあ俺がくたばったって、誰も困りゃあしないだろうさ」
「そんなことはないよ。僕にとっては、生命の恩人なんだからさ。……それじゃあ身分の低い人間たちは、王や貴族の言いなりということだね。だったら、そういう支配者層を打倒すれば済む話なんじゃないのかな?」
「むろん我々も、王や貴族の討伐を一番に考えています。ですが、その目的を果たすには、まず農奴と市民を打倒する必要があるのです。それはベルゼビュート様にもご理解いただけたのではないでしょうか?」
「……人魔の術式、か」
僕は、立派な椅子の背にもたれた。
「市民や農奴の人たちは、魔術師の術式で人魔と化していたよ。あの場に張られた結界を破壊したら、自動的にすべての人間が人魔に化すと聞いたんだけど……それは、確かな話なのかな?」
「それをご説明するには、まず退魔の結界の仕組みを理解していただく必要があるかと思われます」
まるで機械に入力された合成音声のような無機質さで、レヴァナントはそのように言葉を重ねた。
「退魔の結界とはその名の通り、魔なるものを退けるための術式となります。その術式の効果範囲内に足を踏み入れれば、どのような魔物であっても強烈な不快感に見舞われ、そして、魔術を行使することが困難な状態に陥ることとなります」
「ふむふむ」
「ただし、一定の魔力を放出することにより、結界を打ち砕くことは難しくありません。しかし、結界の破壊こそが、人魔の術式の発動条件であるのです。結界は3層で構成されており、便宜上、城の結界、町の結界、農園の結界と呼び表していますが……ワーウルフやリザードマンが魔力を振るえば、農園の結界が解除されます。バイアやヨーウィーであれば町の結界が、ケルベロスやコカトリスであれば城の結界が解除されることとなります」
「ちょ、ちょっと待ってね。それはつまり、下級、中級、上級の魔物の魔力に応じて、結界が解除されるということなのかな?」
「……それ以外に、解釈のしようがありますでしょうか?」
「いきなり魔物の名前を羅列されたって、僕には理解できないよ。要するに、魔物の持つ魔力の大きさに応じて、あちらの戦力も自動的に強化されてしまうわけだね」
そこで僕は、ひとつの疑念に行き当たることになった。
「あれ? だけど僕は、あの場所でちょっぴりだけ魔力を解放したんだよね。確かに結界ってやつがみしみし軋んでる感覚はしたんだけど、それでも壊れたりはしなかったんだ。あれは、僕の解放した魔力がワーウルフ以下だったっていうことなのかな?」
「馬鹿を言っちゃあいけないねえ。あんたは中級の人魔を5体も眠らせていたじゃないか。ワーウルフやリザードマンに、そんな芸当ができるもんかい」
にやにやと笑いながら、ファー・ジャルグがそのように言いたてた。
「だけど確かに、あのときのあんたはワーウルフ以下のちっぽけな魔力しかこぼしていなかったように思うよ。それでどうして中級の人魔を相手取ることができたのか、こっちが聞きたいぐらいだねえ」
「どうしてって言われると困るけど……あの場所で魔力をこぼすと、ものすごく不快な感じがしたからさ。その不快な感覚をなるべく抑えるように気をつけながら魔力を解放したら、ああいう感じになったんだよ」
「はあん、なんとも器用なこったね! そんな真似ができるのは、この世であんたおひとりだろうよ!」
ファー・ジャルグは足を浮かせると、それで拍手の真似事をした。きわめて不遜な態度だが、いかにも道化らしい振る舞いだ。
そんな小人の姿を冷たい横目で見やってから、レヴァナントは言葉を続けた。
「しかし、どれだけ魔力を体内に留めようと、ひとたびでも不快な感覚を覚えたのでしたら、その時点で魔術師たちに侵入を探知されることとなります。結界の内に足を踏み入れるには、その前段階から完全に魔力を隠蔽しきる必要が生じるのです」
「ああ、なるほど。だから魔術師や兵士たちは、僕のことを捜索していたのか。不快な感覚を覚えたらそのたびに魔力を包み隠していたんだけど、それじゃあ手遅れだったわけだね」
「はい。そして、兵士というのは市民でありますが、中級の中ではもっとも高き能力を持つ角つきの人魔と化します。それを相手取っていたならば、結界の崩落は時間の問題であったでしょう。農園の結界はもちろん、町の結界も同時に崩落していたかと思われます」
「そうしたら、農奴と市民のすべてが人魔と化していたってことか。で、さすがの暗黒神でも、それだけの人魔をひとりで相手取ることはできないということだね」
レヴァナントは「いえ」とあっさり僕の言葉を否定した。
「下級や中級の人魔など、ベルゼビュート様の敵ではありません。ですが、ベルゼビュート様の訪れた領地には、10万名の農奴と1万名の市民が存在するとされています。それだけの数の人間が人魔と化せば、ベルゼビュート様もすべての魔力を解放せざるを得なくなり……そして、結果的に城の結界をも打ち壊し、上級の人魔と化した数百名の貴族たちをも相手取ることになっていたでしょう。その数百名の貴族たちこそが、真の脅威であるのです」
「10万名の農奴に、1万名の市民に、数百名の貴族たちか。それは、なかなかの数だねえ」
「しかしそれは、あの領地――人間たちが称するところの、デイフォロス公爵領に限った人数となります。人間の王が住まう王都においては、その3倍の数の人間が住まうのではないかと推測されています」
氷の鞭のごとき声音で、レヴァナントは言い継いだ。
「言ってみれば、魔族と人間族の差は、その繁殖力の如何にあるのでしょう。もともと寿命の短い人間族は、恐るべき繁殖力を有しています。それに対して魔族は、長い寿命を有する代わりに、なかなか子を生すことがかないません。年を重ねれば重ねるほどに、我々は利を失っていくのです」
「きひひ。おまけに強い力を持つ魔族ってのは、みーんな個体種だからねえ。どれだけの歳月をかけたって、増えるのは雑魚の魔物ばかりってこった」
ファー・ジャルグの言葉に、僕は「個体種?」と反問してみせた。
寝台の上でふんぞりかえったファー・ジャルグは、おどけた仕草で肩をすくめる。
「個体種のことまで、忘れちまったのかい? ガルムやナーガ、ケルベロスやコカトリスっていうお強い魔物どもは、この世に1匹しか存在できないんだよ。次のガルムやナーガが生まれるのは、今の団長らがこの世をおさらばした後ってことだね」
「なるほど。だから、種族名がそのまま呼び名になってるわけか。……それじゃあ、ワーウルフやリザードマンなんかは数が多いから、固有の名前を持っているのかな?」
「そりゃあそうだろうさ。あっちもワーウルフこっちもワーウルフじゃ、誰が誰かもわからねえや。仲間内で呼び合う名前ぐらいは、誰でも持ってるんじゃないのかね」
「それじゃあ、君たちは? ファー・ジャルグやレヴァナントっていうのは、個体種なのかな?」
レヴァナントは、僕を蔑むかのように目を細めた。
「ご冗談が過ぎるようですね。我々がそのように優れた魔力を持ち合わせていないことは、嫌でも感知されているはずです」
「だったら、固有の名前があるんだね。よかったら、僕にも教えておくれよ」
細められていたレヴァナントの目が、今度はわずかに見開かれた。
もしかしたら、氷のように冷徹な彼を初めて驚かせることができたのかもしれない。
「……そのようなものを聞いて、何とするのです? 暗黒城に召し抱えられたレヴァナントは私ひとりであるのですから、固有の名など聞いても詮無きことでしょう」
「ただ聞きたいっていうだけじゃ理由にならないのかな。こうして腹を割って語らっているんだから、名前ぐらいは知っておきたいじゃないか」
レヴァナントは無表情のまま、小さく息をついた。
「ご命令とあらば、否やはありません。……私の名は、ルイ=レヴァナントと申します」
「ルイか。うん、いい名前だね」
「ですが、面前でその名を呼ぶことはつつしんでいただきたく思います。ことに、兵団長の方々は激しく気分を害されることでしょう」
それはファー・ジャルグも懸念していた、いわゆる嫉妬の嵐というものなのであろうか。ガルムやナーガにも固有の名があればよかったのだが、個体種ではそれも望めないのだろう。
「わかったよ。それじゃあ、ファー・ジャルグは? 君の名前も教えてもらいたいな」
「きひひ。名前なんざ、忘れちまったよ。どうせ小人族の連中とは、2度とお目見えできない立場だからねえ」
彼の同胞である小人族は魔神兵団に属しており、暗黒神を裏切ってしまったという話であるのだ。思えば、彼も気の毒な境遇であった。
「我々の名前など、論ずるには値しません。ベルゼビュート様は、他に何をお聞きしたいというのでしょうか?」
と、ルイ=レヴァナントは強引に話を引き戻そうとした。
まあ確かに、もっと論ずるべき議題はいくらでもあるのだろう。僕は「えーと」と設問を探すことにした。
「そうだなあ……そもそも魔族と人間族は、どうして争っているんだろう? 共存共栄を目指すことは、どうしても不可能なのかな?」
「そこからですか」と、ルイ=レヴァナントはまた溜め息をついた。
ほんの少しだけ、彼も感情をこぼすようになってきたのではないだろうか。僕にとって、それは嬉しい変化であった。
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