4 帰還
そうして再びの、暗黒城である。
暗黒神の寝室において、僕は3名の魔物たちからこっぴどく説教をくらうことになってしまった。
「たったひとりで人間どもの領地に乗り込むなど、あまりに馬鹿げた話ですぞ、ベルゼビュート様! どうして一言、俺にお声をかけてくださらなかったのですか!?」
怒りの形相でそのようにわめきたてたのは、魔獣兵団長ガルムであった。
いっぽう蛇神兵団長ナーガは妖艶に微笑んでいたが、その金色の瞳は爛々と燃えさかり、ガルムと同等以上の怒りをあらわにしていた。
「普段だったら、この短気な犬っころをたしなめるところですけどねえ。今回ばかりは、わたしも黙っちゃいられませんわ、暗黒神様。あなたはいったい何を思って、そんな無謀な真似をしでかしたのかしら?」
「いや、僕は……この世界の人間たちがどのような存在であるのか、どうしても確かめたくなってしまったんだよ」
僕がそのように説明しても、両者の怒りが収まることはなかった。
ただひとり、不死兵団のレヴァナントだけは、さきほどから無言である。ただその闇色をした瞳は、これまで以上に冷ややかな光を浮かべて僕の姿を見据えていた。
髑髏の甲冑に着替えた僕は、部屋の真ん中で椅子に座している。そうして3名の腹心たちに取り囲まれて、もう小一時間ばかりは責めたてられているのである。ただひとり、部屋の隅に引っ込んだファー・ジャルグは、涼しい顔で耳の穴をほじっていた。
僕とファー・ジャルグが人間の領地を後にしてから、まだ丸1日しか経過していない。ファー・ジャルグの助言で魔力を活用したならば、それだけの時間で帰還することがかなったのだ。
しかし、行き道に2日半、帰り道に1日ということで、僕は3日半ほど行方をくらましていたことになる。これではお叱りを受けて当然なのやもしれないが、それでも僕には僕の言い分というものがあった。
「だって君たちは、僕の言うことなんて耳も貸してくれなかったじゃないか。わけもわからないまま暗黒神なんかに祀りあげられた僕の気持ちが、君たちには理解できないのかい?」
僕がそのように反論すると、ガルムはいっそういきりたった様子で厳つい顔を近づけてきた。
「わけがわからんのは、こちらのほうですぞ! 再生の儀の後にあなたが取り乱すのはいつものことだが、今回ばかりは見過ごすことはできん! たったひとりで人間どもの領土に乗り込んで、もしものことがあったら何とするのです!」
「本当ですわ。あなたを失ってしまったら、わたしたちはどうやって人間どもを屈服させればいいというの?」
「だから、人間たちと争うべきかどうか、それを自分の目で確かめたかったんだってば!」
僕が思わず大きな声をあげてしまうと、ガルムの赤い瞳が激情の炎を爆発させた。
そして、みっしりと筋肉の盛り上がった右足で、絨毯の敷かれた床を踏みつける。それだけで、部屋全体が揺れたような感じがした。
「馬鹿げておりますぞ! 人間なんぞ、滅ぼす他に道はありますまい! 人間が滅ぶか、我々が滅ぶか、これはおたがいの存亡を懸けた戦であるのです!」
「だ、だけど僕は、これまでの経緯を何も知らされていないんだよ? それじゃあ、どっちが悪いのかを判断することもできないじゃないか」
「では――」と、レヴァナントが初めて発言した。
「人間の世界を垣間見て、ベルゼビュート様はどのようにご判断したのでしょう? 人間には生かす価値があると、そのように判じられたのでしょうか?」
「いや……それはまだ、はっきりわからないんだけど……」
すると、ガルムが物凄い勢いでレヴァナントに向きなおり、その胸ぐらをわしづかみにした。
「ふざけたことを抜かすな、歩く死人め! 人間どもに、生かす価値だと? そんなものが、あってたまるか! 人間なんぞというものは、我々の領土を食い荒らす毒虫だ!」
「それを判ずるのは、我らの君主たるベルゼビュート様でありましょう。我々がベルゼビュート様の命令に逆らうことなど、許されるはずもありません」
頭ふたつ分ほども巨大なガルムに半ば吊り上げられながら、レヴァナントはあくまで沈着であった。
炎のような眼光と氷のような眼光が火花を散らし、ナーガは小馬鹿にしきった様子で鼻を鳴らす。ファー・ジャルグも知らん顔をしているので、仲裁役は僕が担うしかなかった。
「き、君たちが争う必要はないだろう? 騒ぎの原因は僕なんだから、責めるんだったら僕を責めておくれよ」
ガルムはぎりぎりと歯を噛み鳴らしてから、レヴァナントの身体を突き放した。
レヴァナントは凍てついた面持ちのまま、礼服のごとき装束の襟もとを正す。
「とにかく、ベルゼビュート様は正気を失っておられる! きちんと目を覚まされるまで、ゆっくり休まれるがいい! 次に勝手な真似をされたら……俺の生命を懸けてでも、お諫めさせていただきますぞ!」
「わたしも同じ気持ちよ、ベルゼビュート様。兵団長をふたりいっぺんに失ってもかまわないというのなら、どうぞお好きにされるがいいわ」
ガルムとナーガは先を争うようにしてきびすを返し、寝室の出口へと向かった。
レヴァナントもそれを追おうとしたので、僕は「あ」と声をあげる。
「ちょっと待ってくれ、レヴァ――」
「おっとっと」と、いきなりファー・ジャルグが僕の足もとに取りすがってきた。
「こいつは失礼しましたね。足がもつれちまったよ」
僕の膝もとにもたれかかりながら、ファー・ジャルグはにっと笑った。
それから、声をひそめて素早く囁きかけてくる。
「そいつはいけねえよ、暗黒神様。3人には、きっちお帰りいただかないと」
それは、道化のファー・ジャルグにしてはずいぶんと真面目くさった声であるように感じられた。
レヴァナントは僕に冷たい視線を突きつけており、ガルムとナーガも出口のところで足を止め、こちらを振り返っている。
「待てとは、私へのご命令でしょうか、我が君よ?」
「ああ、いや……なんでもないよ。戻ってくれ」
レヴァナントは無言で一礼し、僕に背中を向けた。
うろんげに立ち尽くしていたガルムとナーガは部屋を出ていき、レヴァナントもそれに続く。そうして扉が閉められてから、ファー・ジャルグはぴょこんと身を起こした。
「まったく、迂闊な暗黒神様だね! あんた、不死の旦那だけをこの場に残そうとしたろ?」
「うん。彼だけは、冷静に僕の言い分を聞いてくれそうだったからさ」
「気持ちはわからなくもないけどね! そんな真似したら、団長のおふたりは嫉妬の嵐だよ? ただでさえ嫌われもんの不死の旦那が、蛇の尻尾でぎゅうぎゅう締めあげられたあげく、狼の牙で頭蓋を噛み砕かれちまうよ!」
そんな不吉な言葉を言い放ってから、ファー・ジャルグは「きひひ」と笑った。
「ま、不死の旦那としっぽり語らいたかったら、ちっと時間を置くがいいさ。そんときは、俺がこっそりあの御仁を呼びつけてやるからさ!」
「ありがとう。君は親切なんだね、ファー・ジャルグ」
「馬鹿を言っちゃいけない! 赤い衣の小人族に親切だなんて、そいつは最大級の侮辱ってもんだ!」
けらけらと笑い声をあげつつ、ファー・ジャルグは寝台に飛び乗って、あぐらをかいた。
「ま、今のあんたは生まれたてのサテュロスみたいに危なっかしいからねえ。あんたが人間どもの領土ですべての魔力を解放していたらと思うと、小便をちびっちまいそうだ」
「あの場所で魔力を解放するのは、そんなに危険なことなのかい?」
「あったり前だろ! あんたがすべての魔力を解放したら、人間どものこしらえた退魔の結界が、ぜーんぶ木っ端微塵になっちまうんだからさ!」
僕は、黒い装甲で構成された首を傾げることになった。
「あの障壁は、退魔の結界というんだね。それを破壊するのは、そんなにまずいことなのかな?」
「言語道断のまずさだよ! あの結界は、人間どもに掛けられた術式を制御するための、大事な首輪なんだからねえ」
ファー・ジャルグは、大きな口でにんまりと微笑んだ。
「すべての結界を粉砕したら、すべての人間どもが
あの魔術師がどうして最後まで余裕の表情であったのか、それでようやく理解できたような気がした。
そして、ガルムたちがどうしてあそこまで心を痛めていたのかも、である。
「人魔っていうのは、いったい何なのさ? 彼らは魔物じゃなくって、人間なんだろう?」
「弱っちい人間族が魔族に対抗するために編み出されたのが、人魔の術式だよ。ま、詳しい話は不死の旦那にでも聞けばいいさ。俺はそんなもん、これっぽっちも興味はないからねえ」
「わかった、そうするよ。……とにかく君がいなかったら、僕はあの場所で破滅していたということだね。あらためて、御礼を言わせていただくよ」
「道化の小人なんざに頭を下げるとは、あんたも落ちぶれたもんだねえ。団長の方々が目にしたら、悲嘆のあまり首をくくっちまいそうだ!」
ファー・ジャルグは、あくまで道化のスタンスを貫こうというかまえであるようだった。
だけどやっぱり、その言動は暗黒神の腹心として相応しいものであるのだろう。かつての暗黒神も、彼のこういう部分を得難く思い、召し抱えることを決めたのだろうか。
「とにかくね、兵団長にそっぽを向かれちまったら、一大事だ。あのおふたりの頭が冷えるまでは、大人しくしておいてもらいたいもんだねえ」
「うん。君の忠告に従うよ。……でも、できるだけ早く、レヴァナントと言葉を交わしてみたいんだよね」
「ひと晩ぐらいは、大人しくしておきな! どうせあんたの命令がなければ、誰も人間どもにちょっかいを出したりしないんだからさ! そんなら、何も慌てる必要はないだろ?」
「そうか」と僕が息をついたとき、扉のほうに魔物の気配が生じた。
この数日間で探知の能力を身につけたので、それがハーピィとラミアの気配であることはすぐに知れた。目を向けると、細く開かれた扉の隙間から、緑色と紫色の目がひとつずつ覗いている。
「わ、見つかっちゃった! ……ベルゼ様、入ってもいい?」
「いや、どうだろう。兵団長たちに、しばらく大人しくしているように申しつけられたんだけど……」
「団長たちだって、ベルゼ様には命令できないよ! 我慢できないから、入るね!」
扉が開かれて、まずはハーピィが室内に飛び込んできた。
僕の頭上でひとつ旋回してから、膝の上に舞い降りてくる。その茶色い髪に包まれた頭が、僕の胸甲にやわらかくすりつけられてきた。
「3日間も会えなかったから、さびしかったよー! あたしを置いて、どこに雲隠れしてたのさ!」
「いや、うん……ちょっと外の空気を吸いたくなってね」
「意味わかんない! でも、帰ってきてくれたから許してあげるー!」
すると、銀色の髪と鱗を持つラミアも、しゃなりしゃなりと近づいてきた。
彼女には、いったいどのように接するべきであろうか――と、僕が考えあぐねているうちに、その冷たい指先がそっと肩に触れてきた。
「この前は、よくもわたしに眠りの術式なんかをお見舞いしてくれたわね、ベルゼビュート様……?」
「う、うん。ごめん……」
「うふふ……でも、あなたの魔力に包み込まれるのは、耐え難いほどの悦楽だったわ……次は内側から、あなたの存在を感じさせてほしいものだけど……」
「ベルゼ様に気安くさわるなよ、この淫乱蛇女! あんたなんか、一生眠ってればよかったんだ!」
僕の身体にしなだれかかったまま、女怪たちは眼光をぶつけ合う。
ファー・ジャルグは「きひひ」と笑いながら、寝台から飛び降りた。
「ひと晩ぐらい、退屈する
「あ、いや、僕を置いていかないでくれよ、ファー・ジャルグ!」
そんな風にわめきながら、僕はまた新たな感覚が自分の内側に生じていることを発見した。
まるで我が家に帰ってきたかのような、安堵の気持ちである。暗黒神である僕の肉体は、やはりこの暗黒城を故郷として記憶しているようだった。
(その上で、僕はどのように振る舞うべきなんだろう)
そんな風に考えると、僕の脳裏にはレヴァナントの冷たい面差しが浮かんでやまなかった。
それもまた、困ったときにはレヴァナントを頼ればいいという、暗黒神の肉体に刻まれた記憶の残滓なのかもしれなかった。
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