3 魔術師
「大した魔物ではなかろうが、決して侮るのではないぞ。我々の領土を踏みにじった罪に、然るべき罰を与えてくれるのだ」
魔術師らしい風体をした初老の男性の命令によって、他の者たちが空き地に散開した。
その顔ぶれに、僕は「おや?」と首を傾げる。配下の数は6名で、その半数は大通りで見かけた兵士と同じ装いであったが、残りの半数は見すぼらしいなりをした男たちであったのだ。
布の服は垢で黒ずんでおり、誰も彼もがげっそりと痩せこけている。べつだん武器を携えているわけでもなく、このような荒事には不相応な身なりであった。その手に刻まれた紋様は赤黒い色合いをしていたので、おそらく農園で働く人々であるのだろう。
「た、助かったぁ! は、早くあの化け物を始末しておくれよ!」
少年たちは地面を這いずって、兵士たちの足もとに取りすがった。
兵士たちは無言のまま、少年たちを背後にかばう。その間に、3名の痩せこけた男たちがのろのろと僕に近づいてきた。
「魔物よ、ひとつだけ聞いておこう……貴様は本当に、1匹で領内に侵入したのか? だとしたら、何の目的があってそのような真似を働いたのだ?」
魔術師の男が、厳粛なる声音で問うてきた。
外見上はおかしなところのない、初老の男性であるのだが――その茶色い瞳には、何か見慣れない光が宿されていた。どろどろと煮えたつ溶岩のような、ひどく剣呑な眼差しだ。
しかしそれでも、対話をしてくれるなら幸いである。
額と腹部に矢を突き立てられた珍妙な姿のまま、僕はかなう限りの誠意を込めて返答してみせた。
「僕は、人間の営みというものをこの目で確かめたかったんです。人間と魔物はどうして争わなければならないのか、その理由を知りたかったんです」
「愚かな……貴様たちは、不浄の存在だ。それを滅して世界を清めるのが、我々の使命である」
「でも、この地はもともと魔物の領土だったのではないのですか? 人間は後から住みついたのだと聞いていますよ」
ハーピィから聞き出した覚束ない情報を頼りにして、僕はそのように問うてみた。
とたんに魔術師は、嫌悪をあらわに顔を引き歪める。
「不浄の魔物が、賢しきことを……もうよい。問答は無用である。その魔物めを、滅せよ!」
天辺に宝石をあしらった豪奢な杖を、魔術師は大きく振りかざした。
その瞬間、僕を囲んだ3名の男たちが苦悶の声をあげ始める。
そして僕は、何か異様な力の波動を感知した。
暗黒神としての能力は封印しているにも拘わらず、その波動はびりびりと僕の肌を震わせた。魔力と似ているが、何か不純物が入り混じっているような、きわめて不快な波動である。
(これは……!)
男たちの姿が、変貌していた。
痩せこけていた肉体が倍ほども膨れあがり、剥き出しの皮膚にはびっしりと血管が浮かびあがる。その目は野獣のように燃え、食いしばった口からはよだれがあふれかえり――それこそ、魔物さながらのおぞましい姿であった。
しかし、驚いているのは、僕ひとりである。
魔術師や兵士たちはもちろん、恐怖に我を失っていた少年たちまでもが、歓喜の表情をたたえていた。
「いいぞ、やっちまえ! 3人がかりだったら、楽勝だろ!」
人獣のごとき姿となった男たちは、グルル……と咽喉を鳴らしながら、僕に詰め寄ってくる。
そして次の瞬間には、その内の1名が僕の頭を張り飛ばしていた。
目にも止まらぬ猛攻である。
トラックに轢かれたような衝撃を味わわされながら、僕は頭から瓦礫の山に突っ込むことになった。
(これはちょっと……シャレにならないぞ)
いまの一撃で、僕の頭蓋は粉砕されてしまっていた。
さわってみると、左の側頭部がぐずぐずである。ぐっしょりと血に濡れそぼった髪の間から、割れた頭蓋の欠片が飛び出していた。
(なんの抵抗もしないのは、自殺と同じことだよな)
それに、潜入作戦はもう失敗に終わってしまったのだ。ならば、魔力を隠す必要はなかった。
とはいえ、すべての魔力を解放してしまうと、この空間に満ちた退魔の障壁とどのような反応を起こすかもわからないので、魔力を覆っていたジャミングを薄皮1枚だけ剥いでみる。
とたんに、不快な感覚が全身を駆け巡った。
それと同時に、世界が明瞭さを増す。目を向けずとも、誰がどの場所にたたずんでいるのかを探知することができた。
(逃げるには、この化け物みたいな3人を黙らせるしかないよな)
そんな風に考えたとき、男のひとりが僕のもとに飛来してきた。
うなり声をあげながら、丸太のように太い腕を振り下ろしてくる。その姿も、今回は簡単に目で追うことができた。
僕は瓦礫の山から飛び出して、男の攻撃を横合いにやりすごす。
そして通り過ぎざまに、男の背中をぽんと叩いて、魔力を注入した。現段階の解放具合では、相手に接触しないと魔力を伝えることもかなわなかったのだ。
僕の魔力は半分がた、男の帯びた不純なる力に弾き返されることになった。
しかし、残りの半分は体内に浸透させることができた。
魔力の内容は、ラミアに行使したのと同じく、昏睡の術式である。男は獣のようにうめいて、瓦礫の上に突っ伏した。
そのときには、左右から2名の男たちが迫っている。
その攻撃を回避しながら、右の男には左の爪先を、左の男には右の手刀を叩き込んだ。
男たちは、声もなく昏倒する。相手を傷つけずに制圧できたのは、何よりであった。
「おのれ……下級の魔物かと思いきや、中級の魔物であったか」
魔術師の男が、敵意にまみれた顔で微笑んだ。
「ならば、こちらも中級の
複数の悲鳴が、響きわたった。
悲鳴をあげているのは、5名の少年たちである。
その肉体が魔力に似た何かに侵蝕されていくさまが、いまの僕にはまざまざと感知できた。
5名の少年たちが、おぞましき異形に変貌している。
肉体が膨張するのはさきほどの男たちと同様であったが、今度はその皮膚が灰色に変じ、鋭い牙や爪が生えのび――そして背中には、衣服を突き破って蝙蝠のような翼が生えていた。
(なんてこった。人間をこんな化け物に変えるなんて……これは、どういう魔術なんだ?)
何にせよ、少年たちはさきほどの男たちよりも、遥かに強力な力を有していた。
それも、10倍や20倍というレベルではない。これでは僕も、もういくらかの魔力を解放せざるを得なかった。
しかし、僕がそれを実行する前に、少年のひとりが襲いかかってきた。
鋭い爪が、僕の胸もとをざっくりとえぐる。その衝撃で、何本もの肋骨が呆気なく砕け散った。
さらに新たな少年が、蝙蝠のごとき翼で飛来して、僕の顔面をかきむしる。ただでさえ頭蓋を粉砕されて脆くなっていた僕の頭は、左半分が柘榴のように弾け散ることになった。
「ギギイッ!」と醜悪な声をあげて、別の少年が僕の右腕を引きちぎる。
おびただしい鮮血が、びしゃりと石畳を濡らした。
幸いなことに、さほど痛みは感じない。
ただ、深く傷つけられた箇所は、火で炙られているかのように、じんじんと疼いた。
(こいつはまずい。うかうかしてると、五体をバラバラにされそうだ)
僕は急いで、いくらかの魔力を解放した。
とたんに、周囲の空間がみしりと軋む。僕の放った魔力と退魔の障壁が、おたがいを拒絶し合っているのだ。
「貴様は、それほどの魔力を持つ魔物であったか……しかし、生きては帰れんぞ!」
魔術師の嘲笑を聞きながら、僕は精神を集中した。
5名の少年たちが、さまざまな方向から接近してくるのを感じる。ここまで魔力を解放すれば、左の耳と眼球を失っていても支障が出ることはなかった。
まずは右側から近づいてきた少年に、下顎を蹴りあげる格好で魔力を叩き込む。
一本足の体勢で、左の裏拳を背後に繰り出せば、次の少年の顔面を殴打することができた。
問題は、ここからである。僕はすでに右腕を失っているために、3人目の繰り出してきた鉤爪をかわすことができなかった。
引き裂かれた腹部から、大量の鮮血と臓物が噴きこぼれていく。
しかたないので、僕はその引きちぎられた小腸をのばして、少年の腕に触れることにした。
あまりにも馴染みのない動作であったが、魔力を注入するのに不備はなかった。これで3名が、昏倒である。
ただし、その頃には残りの少年たちが、それぞれ僕の首筋と左足にかぶりついていた。
頭をひっこ抜かれるのはいささか不安であったので、まずは首筋に牙をたてている少年の顔を、ぽんと叩く。
その間に、左の足が膝のあたりから噛みちぎられてしまった。
バランスを崩して倒れ込むと、左足を地面に吐き捨てた最後の少年が、僕の上にのしかかってくる。
その牙が僕の顔面を蹂躙する寸前、なんとか立てた右膝をみぞおちのあたりにめり込ませることができた。
かくして、5名の少年の始末も完了である。
代償は、頭の左半分と、腹腔の中身と、右腕と、左足だ。これはなかなかの満身創痍であった。
「ふん……それほどの魔力を体外にこぼさずにいられるとは、なんとも面妖な話だが……それでも、結果は変わらぬぞ」
5名の少年たちを退けられても、まだ魔術師の男は余裕の表情であった。
最後の手駒である3名の兵士たちは、好戦的な面持ちで僕をにらみ据えている。
「では、これにて終幕だ。己の不明を恥じ入りながら、地の底に魂を返すがよい!」
魔術師が杖を振りかざし、兵士たちが絶叫をあげた。
兵士たちも、基本の部分は少年たちと同一の変貌であった。肉体が膨張し、血管が浮き上がり、皮膚は灰色に変じ、牙と爪が生え、そして蝙蝠のごとき翼だ。異なるのは、額からユニコーンのような角がめきめきと生えのびたぐらいであった。
ただしやっぱり、その力は少年たちの比ではなかった。
なおかつ兵士たちは、爪の生えた手で腰の長剣を抜いている。あの怪力で長剣などを振り回されたら、今度こそ五体をバラバラにされてしまいそうだった。
(しかたない。もっと魔力を解放するしかないか……)
僕がそんな風に考えたとき――
「駄目だよ」と、足もとから笑いを含んだ声が響いた。
「あんたの馬鹿げた魔力をこれ以上解放しちまったら、取り返しのつかない騒ぎになっちまうじゃないか。まったく、考えなしなお人だねえ」
「ファ、ファー・ジャルグ!?」
それは2日半ぶりに聞く、こまっしゃくれた小人の声であった。
地面に落ちた僕の影の向こうから、くつくつと忍び笑いが聞こえてくる。それに続いて、赤い髪を生やした小人の顔が、影の中からひょこりと覗いた。
「ああもう、無残なお姿になっちまって! 魔力の扱いも覚束ないのに、たったひとりで人間の縄張りに乗り込もうだなんて、そいつは無謀の極みってもんだよ、ご主人様」
「いや、だけど……」
「だけどじゃないって。さあさ、おうちに帰りやしょ」
小人の姿が、するすると影から這い出してきた。
魔術師は、うろんげに眉をひそめている。
「他なる魔物も潜んでおったか。しかし、貴様たちに勝ち目はない」
「きひひ。道化の俺に、勝ち負けなんざ興味はないよ」
ファー・ジャルグはにたにたと笑いながら、自分の赤い髪をまさぐった。
そこから引き抜かれた髪の毛を、ふわりと宙に投げ捨てる。
「しからば、御免」
世界が、赤い閃光に包まれた。
魔術師たちの怨嗟の声を聞きながら、僕はファー・ジャルグの小さな手に首根っこを引っつかまれるのを感じた。
そうして僕の一人旅は、至極唐突に終わりを迎えることになったのだった。
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