2 石の町

 気づくと僕は、人間の領地のさらに奥深くにまで踏み入ってしまっていた。

 自分では冷静なつもりであったのだが、まったくそんなことはなかったのだろう。果樹園のど真ん中で女の子に悲鳴をあげられてしまった僕は、領地の外側ではなく内側に駆け出してしまったのだった。


 果樹園を抜けた先に待ち受けていたのは、石造りの町並みである。

 城壁の外側にも、このようないっぱしの町が築かれていたのだ。

 そしてその場所に至ると、また皮膚の上に不快な感覚が生じていた。どうやら領地の中央に近づけば近づくほど、魔を退ける術式の力が強まるようだった。


(これでもまだ、僕が本気を出せば簡単に壊せそうな気がするんだけど……中央の城は、もっと強い術式でガードされてるのかな)


 何にせよ、本日の目的はあくまで偵察である。

 僕は腹の奥底に隠した魔力をさらに入念に目くらましの皮膜で包んで、不快な拒絶の感触を消し去ることにした。


(それに、手の甲の紋章ってやつだよな)


 僕はしばらく物陰に隠れて町の様子をうかがっていたが、道行く人々の右の手の甲には、いずれも何かしらの紋章が刻まれていた。

 ただし、さきほどの女の子の紋章は赤褐色で丸い形をしていたが、町の人々の紋章はいずれも深い青色で菱形を基調にしている。もしかしたら、住まう場所によって色や形状が分けられているのかもしれなかった。


(何にせよ、さっきの反省を活かさないとな」


 僕は胴着の下に着込んでいた肌着を引き裂いて、それを右の手の甲に巻いておくことにした。

 これでも不審の目を集めてしまうかもしれないが、いきなり悲鳴をあげられることはないだろう。そのように祈りつつ、僕は往来に足を踏み出した。


 幸いなことに、町の人々は僕と同じような身なりをしていた。それに、髪や肌の色なんかも、大きな違いがあるわけではない。髪は茶系か金色で、肌は黄白色か黄褐色、ほどほどに彫りが深くてくっきりとした面立ちの、東欧だとか南欧だとかを思わせる風体であった。


 僕はそれなりの緊張感を胸に、それでも変に怯えた様子は見せず、往来を闊歩してみせた。

 足もとには石畳が敷きつめられており、石造りの家屋もなかなか立派なものである。行き交う人々の多くは台車に荷物をのせており、何かしらの仕事に励んでいる様子であった。


 さきほどの女の子はずいぶんと貧しそうで無気力な雰囲気であったが、この町には活気があふれかえっている。生活水準も、まずまずといったところであるのだろう。痩せ細った人間などは見られないし、その表情はいずれも明るかった。


(僕の故郷の繁華街と、そんなに変わらない賑やかさだな。魔物たちは、こういう平和な暮らしをぶち壊そうとしているのか)


 やはりこの世界にあっても、魔物というのは悪なる存在なのであろうか。

 それとも、人間の視点で見てしまえば、魔物が悪とされるのは当然であるのだろうか。

 何にせよ、僕はこの平和で楽しげな人々の暮らしを破壊したいなどとは、これっぽっちも思うことができなかった。


(まあ、決断を下すには、まだ早いか。魔物についても人間についても、僕はまだまだ知らないことだらけなんだからな)


 僕がそのように考えたとき、通りの向こうから物々しい一団が近づいてくるのが見えた。

 革の鎧を纏って腰に刀を下げた、いかにも兵士らしい装いをした一団だ。道行く人々も、それらの兵士には相応の敬意を払っている様子であった。


(これはちょっと、避けたほうが無難かな)


 僕は足早に、手近な路地に身を隠すことにした。

 兵士の数は4名で、慌ただしい足取りで街路を通りすぎていく。

 その姿が見えなくなってから、僕は街路に戻ろうとしたのだが――そこで背後から、「おい」と呼びかけられることになった。


「お前、何やってんだ? 兵士を相手に、かくれんぼかよ?」


 僕は内心で冷や汗をかきつつ、声のした方向を振り返った。

 路地の奥に、僕と同じ年頃の少年が立ちはだかっている。しかし、僕の義體はけっこう小柄であったので、それよりは頭半分ほど大きかった。

 茶色の髪に茶色の瞳で、これといって特徴のない面立ちであるが、口もとににやにやと笑みを浮かべている。あんまりお近づきになりたいようなタイプではなかった。


「何も悪さをしてなきゃ、巡回の兵士から隠れる必要はないよな。お前、何をやらかしたんだよ?」


「いや、僕は……別に隠れていたわけじゃないよ。ただちょっと、日陰で休もうと思っただけさ」


「ふうん?」と言いながら、少年は僕の姿をじろじろと検分した。

 その目が、布を巻かれた僕の右手をとらえるや、すっと細められる。


「ああ、そういうことか……お前、農奴だな? 農奴が勝手に町に立ち入るのは、大きな掟破りだもんな」


 農奴とは、農園で働く人々のことであろうか。

 魔物と看破されなかったのは幸いであるが、これはこれでまずい展開かもしれなかった。

 すると少年は、僕の胸中を読み取ったかのように、にやりと笑う。


「そんなに怖がることねえだろ。兵士に言いつけたりはしねえよ。農奴だって、たまには町で遊びてえよなあ?」


「う、うん、まあ……ごめん、僕はもう帰るよ」


 僕は身をひるがえそうとしたが、「待てよ」と左腕をつかまれてしまった。


「あんな大通りを歩いてたら、すぐに兵士に見つかっちまうぞ。農園に戻るなら、こっちの裏通りを使えよ」


 少年は、有無を言わさぬ力で僕の腕を引っ張ってきた。

 魔力を封印している身であるので、僕にあらがうすべはない。どうやらこの義體は、外見通りの身体能力しか有していないようだった。


「それに、まだまだ遊び足りねえんじゃねえか? よかったら、俺の仲間を紹介してやるよ。ちょうどこれから、みんなで集まる約束だったんだ」


 そんな風に言いながら、少年はずかずかと路地の奥に突き進んでいった。腕をつかまれている僕も、一蓮托生である。


(まあ、いいか。これも人間の暮らしぶりを知るチャンスだろうしな)


 僕は途中で抵抗することをあきらめたが、少年は腕を離そうとしなかった。

 なんとなく、そこに必要以上の力が込められているように感じられるのは――僕の思いすごしなのだろうか。


「おおい、みんな! 面白いやつを連れてきたぜ!」


 少年がそんな風にわめいたのは、路地裏をあちこち連れ回されて、ちょっとした広場のような場所に到着してからのことであった。

 広場というか、空き地とでもいうべきであろうか。左右や向かい側には建物が立ち並んでいるのに、そこだけぽっかりと空間が空いており、そして端のほうには瓦礫の山が積まれていた。古くなって取り壊された家屋の跡地であるのかもしれない。


「なんだよ、そいつ? 見かけない顔だな」


 人垣の中心にいた長身の少年が、うろんげに振り返ってきた。

 その手には弓が握られ、肩には矢筒が掛けられている。どうやら瓦礫にたてかけた板を標的にして、的当てに興じていたらしい。それを取り囲んでいるのは、3名ほどの同世代の少年たちであった。


「あっちの通りで、コソコソしてるのを見つけたんだよ。見かけない顔なのは、当然だろうな」


 僕の左腕をつかんだまま、案内役の少年がにたりと笑った。

 けげんそうに眉をひそめていた弓の少年も、「ああ」と白い歯をこぼす。


「なるほど、農奴か。こいつらは性懲りもなく、しょっちゅう姿を見せるよな」


「ああ。勝手に潜り込んだって、町の人間になれるわけじゃねえのによ」


 取り巻きである3名の少年たちも、げらげらと笑い声をたてた。

 なんとなく、不穏な雰囲気である。


「あの……僕はやっぱり、もう帰るよ。ここまで案内してくれて、どうもありがとう」


「なに言ってんだ。お楽しみは、これからだろ?」


 少年は僕を引きずったまま、仲間たちのもとに近づいた。

 すると、取り巻きのひとりが「へん」と肩をすくめる。


「別に、楽しかねえだろう。どうせ農奴をつかまえるなら、女をつかまえてこいよなあ」


「男だって、楽しむことはできるだろ。なあ?」


 案内役の少年に笑顔を向けられると、弓の少年は「ああ」とうなずいた。


「小汚い農奴の女なんざに用事はねえよ。むしろ、男のほうがしぶとくて楽しそうだ」


 案内役の少年は、そのまま僕を空き地の最果てまで引っ張っていった。

 そして、僕を瓦礫の上に突き飛ばすと、自分は駆け足で仲間のもとに戻っていく。

 困惑しながら半身を起こすと、僕の足もとに1本の矢が突き立った。


「そら、逃げてみろよ。逃げないと、痛い目を見るぞ」


 長身の少年が、新たな矢を弓につがえていた。

 僕は、ますます困惑してしまう。


「ど、どうしてこんなことをするんだよ? 僕が何か、悪いことでもしたってのかい?」


「うるせえよ、農奴」


 ひゅんっと音をたて、僕のもとに矢が飛来した。

 僕の右肩をかすめたのち、矢は背後の瓦礫に弾かれる。


「逃げねえのか? まあ、それでもこっちはかまわねえけどよ」


 少年はへらへらと笑いながら、矢筒から新しい矢を抜き取った。

 周りの4名も、全員が同じ表情である。そしてその目には、いずれもねっとりとした嗜虐の光が浮かべられていた。


(これが、この世界の普通なのか? 町の人間は、農園の人間に何をしても許されるのか?)


 それとも僕は、たまたま悪逆な少年たちに見初められてしまっただけなのだろうか。

 何にせよ、これは由々しき事態であった。魔力を解放して逃走するべきなのかどうか、なかなか考えがまとまらない。


 その間に、第3の矢が放たれた。

 僕は思わず、ぎゅっとまぶたをつぶってしまう。

 すると――額にこつんと、軽い衝撃が走り抜けた。


「やった、大当たり!」


 少年たちの、はしゃいだ声が聞こえてくる。

 おそるおそる目を開くと、それが悲鳴まじりの声に変わった。


「な、なんだあいつ、生きてるぞ?」


「そ、そんなはずねえだろ。なんかのはずみで、目が開いただけだよ」


 僕の顔が、ぬるりと温かいもので濡れていた。

 もしやこれは――と手をのばすと、少年の放った矢が僕の額に深々と刺さっていた。


「や、やっぱり生きてるじゃねえか! どうして頭を射抜かれてるのに、生きてるんだよ!」


「こ、この化け物野郎! 死にやがれ!」


 今度は腹のど真ん中に、新たな矢が突き立った。

 やはり、軽く小突かれたていどの衝撃である。ただ、矢は完全に僕の胴体を貫通し、着ていた服は朱に染まることになった。


「こ、こいつ……農奴じゃなくて、魔物なんだ! だから、手の甲を隠してたんだ!」


 少年たちは、順番に地面へと沈み込んでいった。全員、腰を抜かしてしまったのだ。

 僕をここまで案内してきた少年などは、失禁してしまっている。彼らの顔は、農園の女の子と同じように恐怖の形相に成り果てていた。


(今日のところは、ここまでだな。騒ぎが広まらないうちに退散しよう)


 そのように思案して、僕は立ちあがった。

 少年たちは、「ひいっ!」としゃがみこんだまま後ずさる。

 そのとき、路地の向こうからいくつかの人影が飛び出してきた。


「見つけたぞ、魔物め。たった1匹で乗り込んでこようとは、かくも愚かな魔物であるな」


 その一団のリーダーであるらしい初老の男性が、陰気に笑いながらそのように宣言した。

 その人物は赤褐色のフードつきマントを纏い、手にはごてごてとした杖をかざしており、いかにも魔術師めいた風体をしていた。

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