3 復活の祝宴
その後は場所を移して、祝宴が開かれることになった。
さきほどの謁見の間よりもさらに広大な、岩造りの大広間である。魔物たちは酒を浴び、肉を喰らい、君主たる暗黒神の復活を心より寿いでいた。
もちろん僕は、呆然自失の状態である。君主のために準備された中央の玉座に座したまま、さきほどレヴァナントから聞かされた言葉を反芻するばかりであった。
(僕の魂は滅している……僕に帰るところはない……つまり、現世の僕はもう死んでしまったということなのか?)
僕はぼんやりと手を上げると、右手の爪で頬を引っかいてみた。
爪も頬も黒い甲冑に覆われているのに、生身の指先で頬をかいたような感触が伝わってくる。
それに、この髑髏を模した兜にはまぶたもついていないのに、目を閉ざそうと考えれば視界がふさがれて、何も見えなくなる。この甲冑こそが僕の肉体そのものであり、中身は空っぽであるという話であったのだが――僕の意識は、この異形の肉体をすんなり受け入れて、順応してしまっているのだった。
(それに、こんな馬鹿げたシチュエーションなのに、僕はずいぶんと冷静じゃないか。普通だったら、とうてい正気は保っていられないだろうに)
何せ僕の眼前では、おぞましい魔物たちが狂態をさらしているのだ。
魔物たちはうじゃうじゃと増殖して、その数はいまや数百体にまで膨れ上がっていた。
薄暗い鍾乳洞の大広場には、魔物たちの熱気が渦巻き、酒や肉の香りが充満している。中には、毛皮を剥いだ獣の生肉にかぶりついている魔物もいる。こんな非現実的な様相を見せつけられたら、普通は正気を失って然りであった。
(べつだん、現世の人生にそれほどの未練があるわけじゃないけど……でも、よりにもよって、なんで暗黒神なんだよ。平凡な高校生だった僕に、いったい何ができるってんだ?)
僕は、深々と溜め息をついた。
そういえば、甲冑が本体なら呼吸も不要なのだろうか。僕は自然に呼吸を行っているつもりであったが、息を止めたところでそんなに支障はないような予感がした。
(嫌だなあ。僕はこんな化け物の身体で、あと100年も生きなきゃならないのか?)
そのように考えると、溜め息が止まらない。
すると、どこからともなくハーピィがすり寄ってきた。
「いつまでそうやって、ぼんやり座ってるつもりなのさ? これは、ベルゼ様の復活を祝う宴なんだよ?」
緑色の瞳をした少女の顔が、無邪気に笑いながら僕を覗き込んでくる。
とても造作の整った、美少女という言葉に相応しい顔立ちだ。その翼や下半身に目を向けなければ、実に魅力的な姿であっただろう。
「ほら、ご馳走を運んできてあげたよ! ベルゼ様は7日ぐらい食べなくったってへっちゃらだろうけど、それでも腹ぺこだってことに変わりはないでしょ?」
と、ハーピィは右の鉤爪でつかんだ骨つきの肉を差し出してきた。
血のしたたるような、生肉である。僕は思わず、玉座の上で背筋を震わせることになった。
「生肉なんて、いらないよ。まさかそれ、人間の肉なんかじゃないだろうね?」
「なに言ってんのさ! 人間の肉なんて食ったら、魔力が溶けちまうでしょ? こいつは、牛だか山羊だかの後ろ足だよ!」
ハーピィは器用に右足を振り上げて、脂肪ののった生肉をかじり取った。
「で? ベルゼ様は、どうしてそんなにぐったりしてるの? ベルゼ様の生誕1000年のお祝いでもあるんだから、もっとはしゃごうよ!」
「いや、僕はどうしても、暗黒神として振る舞う気にはなれないんだよ。だって僕は、君たちのことを何も覚えてないんだよ? 君たちだって、そんな相手を大事に思うことはできないだろう?」
「まーたややこしいことを言っちゃって! あたしらのことを忘れちゃったんなら、もういっぺん胸に刻み込んでよ! そうしたら、これまで通りに楽しく暮らせるじゃん!」
ハーピィは食べかけの肉を床に放り出すと、うっとりと目を細めながら、僕の肩に頬をすりつけてきた。
人間のような美少女で、猫のごとき仕草である。その実、正体は鳥人間であるのだから、まったく錯綜したものであった。
「それとも、あたしのことを嫌いになっちゃったの? まさか、そんなことはないよね? まあ、それならそれで、あたしはまたベルゼ様に可愛がってもらえるように、精一杯つくすだけだけどさ!」
僕は溜め息をこらえながら、「ハーピィ」と呼びかけてみせた。
「ちょっと話を聞かせてくれないかな。僕はこれから、どうしたらいいんだろう?」
「どうしたらって? ベルゼ様はあたしらの君主なんだから、好きなように振る舞えばいいんだよ!」
「それじゃあ君たちは、毎日遊んで暮らしているのかい? たしかさっき、人間どもを皆殺しにしようとか言ってなかったっけ?」
「ああ、そっか。ベルゼ様は、人間どものことも忘れちまったんだね」
ハーピィは、いくぶん真面目くさった顔になりながら、僕の肩から身を離した。
「あいつらのことは二の次にできないから、しっかり思い出してもらわないとね! よかったら、あたしが説明してあげよっか?」
「うん、是非お願いするよ」
「それじゃあ、ベルゼ様の膝に乗っていい?」
「……どうぞご随意に」
「わーい」とはしゃいだ声をあげながら、ハーピィは僕の膝の上に舞い降りた。
鋭い鉤爪に右の腿をつかまれている格好であるが、幸いなことに痛みは感じない。むしろ、剥き出しの腿にそっと触れられているような感覚で、そちらのほうが落ち着かないぐらいであった。
「えーっとね、人間どもは、ぶっ潰さないといけないんだよ! 何せあいつらは、ベルゼ様の領地で好き放題やってるんだからね! 後から住みついたのは、あいつらのほうなのにさ!」
「ちょっと待った。人間たちとは、そんなに険悪な間柄なのかい? こうして平和に暮らせるなら、共存共栄を目指せばいいじゃないか」
「何を言ってるのさ! この数百年で、アイツらはあんなに増殖しやがったんだよ? 放っておいたら、大陸中を占領されちまうよ!」
人間たちとは、数百年の昔から抗争を続けているらしい。それは何とも、心の弾まない話であった。
「五柱兵団っていうのは、大陸のあちこちに散っているらしいね。そちらでは今も抗争の真っ最中だって、ファー・ジャルグに聞いているよ」
「うん。西の領地は魔竜兵団、北の領地は巨人兵団、南の領地は不死兵団。残りの魔獣兵団と蛇神兵団が、ベルゼ様のおそばで中央のやつらとやりあってるわけだね」
「ここは、大陸の中央部なのか。それじゃあ、東の領地だけは平和なのかな?」
「違うよ」と、ハーピィは緑色の目を光らせた。
「東の領地は、魔神どもが人間どもを制圧したんだよ。だけどアイツらはベルゼ様を裏切って、そこを自分たちだけの根城にした。……そんなことも忘れちゃったんだね、ベルゼ様は」
「だから、忘れたんじゃなくって知らないんだってば。……その魔神たちは、裏切り者っていうことなのかな?」
「ああ、そうさ! だから、もともとは六柱兵団だったのが、五柱兵団に減っちまったんだよ! 人間どもと同じぐらい、卑劣でくそったれな連中さ!」
「まったくねえ、俺も赤面の至りだよ」
と、ふいに足もとから小人の声が響きわたった。
ハーピィは、忌々しそうにそちらをねめつける。
「道化野郎はあっちに行ってなよ! 今、大事な大事な話の真っ最中なんだからね!」
「はいはい。セントールに蹴られないうちに、退散しとこうかね」
ファー・ジャルグはにやにやと笑いながら、すたこらと逃げ去っていった。
「まったく、しょうもないやつだね。……あの小人野郎は、魔神兵団の一員だったんだよ」
「え? それでどうして、この場所に居残っているのかな?」
「居残るっていうか、魔神どもが裏切る前に、ベルゼ様が召し抱えたんだよ。魔神どもが裏切ったときは、あの小人野郎もぶっ殺すべきだって、みんな騒いでたんだけど……ベルゼ様は、お許しになっちゃったのさ」
「なるほどね。それじゃあ、レヴァナントは? 彼は、不死兵団の所属なんだろう?」
「あれも、小人野郎と一緒だね。ベルゼ様が気に入って、おそばに置くことになったんだよ。あんな冷血野郎の、いったいどこが気に入ったの?」
「それは、本物の暗黒神に聞いておくれよ」
「ベルゼ様に、本物も偽物もないってば! ……それじゃあ、冷血野郎は不死兵団に返しちゃえば? ああいうスカしたやつ、あたしは蛇どもと同じぐらい気に入らないんだよねー」
レヴァナントの冷たい美貌を思い出しながら、僕は「うーん」とうなることになった。
「確かに彼は、ちょっと得体が知れないね。でも、僕の勝手でどうこうするつもりはないよ」
「ちぇー、つまんないの! 冷血野郎も蛇野郎も、まとめて追い出してほしいのになー」
「いちおう確認しておくけど、ハーピィは魔獣兵団の所属ってことでいいんだよね?」
「当たり前じゃん! あたしが巨人や竜にでも見えるっての?」
ハーピィは、愉快そうに笑い声をあげた。
つまり魔物は6種類に分類され、それぞれが兵団に割り振られたということなのだろう。それで、この中央区域に残されたのが魔獣と蛇神であったものだから、誰も彼もが半獣半人であるわけだ。
(だいぶん概要がつかめてきたな。問題は、人間についてか)
この世界の人間たちは、いったいどのような営みを見せているのだろう。
僕とて、本来は人間であったのだ。うかうかと、人間との抗争に手出しをする気にはなれなかった。
「人間っていうのは、そんなに卑劣な存在なのかい? 僕が知る人間っていうのは、そこまで悪い存在じゃないはずなんだけど」
「それって、どこの人間の話さ? 人間なんて、みんなくそったれでしょ!」
「だから、どういう風にくそったれなのかな? そんな風に嫌うからには、それ相応の理由があるんだろう?」
「あいつらは、ベルゼ様の領地であるこの暗黒大陸を乗っ取ろうとしてるんだよ? そんな真似をするくそったれどもを許せるはずないじゃん!」
これではどうにも、埒が明かなかった。
僕の感覚では、人間こそが正義であり、魔物というのが悪であるのだ。それはいずれも漫画やアニメの創作物によって培われた価値観であるのかもしれないが、少なくとも、人間を皆殺しにする側に回りたいなどとはこれっぽっちも思えなかった。
(かといって、このハーピィたちがそんなに悪い存在だとも思えないんだけど……)
僕がそんな風に考えていると、ハーピィは「うふふ」と僕の胸にしなだれかかってきた。
「そんなに真剣に見つめられたら、身体が疼いてきちゃうじゃん。……ねえ、今日の伽には、あたしを呼んでくれるんでしょ? まさか、あの蛇野郎を呼んだりはしないよね?」
「あ、いや、今日は僕も疲れてるから……ていうか、こんな甲冑の身体で何ができるっていうのさ!」
「色んなことができるじゃん。そんなことも忘れちゃったのぉ?」
甘えるように、ハーピィが頬をすりつけてくる。というか、完全に甘えているのだろう。その褐色の髪の隙間から覗く健康的な裸身は、存在もしない僕の心臓を騒がせてやまなかった。
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