2 異形の群れ
しばらくして、僕は謁見の間とやらに案内されることになった。
暗黒神ベルゼビュートの配下たる魔物たちに、事情を説明するためである。
ハーピィとラミアは先に姿を消し、僕を案内してくれているのは陽気な小人ファー・ジャルグであった。彼女たちが他の魔物を呼び集めている間も、彼が話し相手をつとめてくれたのだ。
しかしファー・ジャルグは根っからの道化であるらしく、僕が知りたいことに関しては、ロクに話してくれなかった。暗黒神の偉業をたたえたり、茶化したり、あれこれ話が脱線するので、ちっとも核心に迫らない。もしかして、わざと話をそらそうとしているのではないかと疑わしくなるほどであった。
「ま、ややこしい話に関しては、五柱兵団のお偉方に聞きほじるといいさ。俺はあんまり真面目な話ばかり語らってると、脳髄がとろけちまう性分なんでねえ」
それが、ファー・ジャルグの言い分であった。
そんなふざけた小人の後ろ姿を眺めながら、僕は鍾乳洞に作られた回廊を歩いていく。この暗黒神の肉体――というか、黒光りする髑髏の甲冑は、おそらく190センチ以上の背丈であり、ファー・ジャルグの赤い頭は僕の腰ぐらいまでしか届いていなかった。
「さ、ここが神聖なる謁見の間でござい」
やがてファー・ジャルグが足を止めると、回廊の先は緋色の
金色の糸で刺繍のされた、実に豪奢な帳である。その中央に描きだされているのは、不気味な髑髏をモチーフにした紋様であった。
僕はそれ相応の覚悟を固めてから、その帳をめくりあげることになったのだが――そんな覚悟は、何の役にも立たなかった。帳の向こうは岩造りの大きな広間であり、そして、奇々怪々な姿をしたモンスターたちに埋め尽くされていたのである。
「暗黒神ベルゼビュート様のおなりー!」
おどけた調子でファー・ジャルグが宣言すると、何十体もの魔物たちが怒号のごとき歓声をあげた。
思わず立ちすくんでしまった僕の姿を、ファー・ジャルグはにやにやと笑いながら見上げてくる。
「さ、ずずいとお進みくださいな。みんな、あんたのお目覚めを心待ちにしていたんだからねえ」
僕は呼吸を整えつつ、その場に足を踏み出すことにした。
こちらは1メートルほどの高台になっており、広場に集結した魔物たちを見下ろす格好になる。おかげで、見たくもない異形の姿が嫌というほどあらわにされていた。
おおよそは、半人半獣のモンスターである。獣そのものの姿をしたやつや、中には人間めいた姿をしたやつもいなくはなかったが、けっきょくはおぞましい怪物の群れであった。
上半身は人間で、下半身は馬のやつがいる。
二本の足で立っているが、全身毛むくじゃらで、狼のような顔をしたやつがいる。
同じく二本足で、全身に暗緑色の鱗を生やして、トカゲのような顔をしたやつがいる。
牛のように巨大な図体で、豚のような顔をしており、巨大なひとつ目を爛々と燃やしているやつがいる。
蹄の生えた獣の足で、上半身は人間だが、頭に山羊のごとき角を生やしているやつがいる。
アナコンダのような大蛇でありながら、カブトムシのごとき6本の節くれだった足を生やしたやつがいる。
そんな魔物たちが、腕や尻尾を振り上げながら、怒涛の勢いで歓声をあげているのだ。この甲冑の肉体がこんなに頑丈でなかったのなら、僕は途中で腰を抜かしてしまっていたことだろう。
そのとき――「静まれ!」という蛮声が響きわたった。
カミナリでも落ちたかのような、凄まじい迫力である。それで魔物たちは、ぴたりと押し黙ることになった。
「貴様たちの喜びは痛いほどに理解できるが、暗黒神ベルゼビュート様の御前であるぞ! 騒ぐのは、祝宴の時まで取っておけ!」
底ごもる声でがなりながら、巨大な人影が進み出てきた。
いや、これもやっぱり「人」ではない。人間じみた姿をして、黒い鎧とマントなどを装着しているが、顔や手足には獣毛が生えていた。
炎のように逆立った頭などは黒いライオンさながらで、その獣毛が頬や下顎にまでつながっている。そこからわずかに覗く皮膚はくすんだ暗灰色で、岩に彫られた彫像のように厳つい面相をしていた。
身長などは、余裕で2メートル以上もあっただろう。胸板や肩幅などは恐るべき分厚さであり、その巨体から獣じみた生命力が発散されている。そして、爛々と輝く双眸は、血のような真紅であった。
「お目覚めをお待ちしておりましたぞ、ベルゼビュート様! さあ、臣下の礼をお受けくだされ!」
野獣のように笑いながら、その大男はひざまずいた。
高台の中央には、玉座のごとき立派な椅子が準備されている。ファー・ジャルグにもうながされたので、僕はその椅子に座することになった。
すると、さらにふたりの魔物が進み出てくる。
そのひとりは、人間そのものといってもいいような姿をしていた。長身で、すらりとした体格をしており、黒い礼服のようなものを纏っている。ぬばたまの髪を腰までのばし、闇よりも黒い切れ長の目をした、寒気がするほどの美青年だ。ただその肌は、死人のように青白かった。
そして、もう一方は――こちらはもう、歴然とした魔物であった。上半身は美しい女の姿であるが、下半身は金色の鱗を持つ蛇の尻尾だ。胸もとまで渦巻く髪も、妖しく輝く瞳も金色で、さきほどのラミアに負けぬほど美しい。ただ、上半身が美しければ美しいほど、下半身とのギャップが凄まじかった。
その両名も、獣人の巨漢の左右にひざまずく。といっても、足を持たない蛇女は、とぐろを巻いて身を低くしたばかりであった。
「魔獣兵団長、ガルムでございます。暗黒神ベルゼビュート様のお目覚めを、心より祝福いたしますぞ」
「蛇神兵団長、ナーガでございます。ベルゼビュート様の壮健なるお姿に、胸が打ち震えてしまいますわ」
「……不死兵団所属、レヴァナントでございます。我が君のお目覚めを祝福いたします」
獣人がガルム、蛇女がナーガ、美青年がレヴァナントであった。
レヴァナントだけ、役職に「長」がついていない。不死兵団の所属ではあるが、団長という身分ではないのだ。
(そっか。五柱兵団の内、城に残ってるのはふたつの兵団だけだって、さっきファー・ジャルグが言ってたっけ)
残りの兵団は大陸の各地に散って、人間たちと抗争中である、という話であったのだ。おふざけの過ぎるファー・ジャルグのもたらしてくれた、数少ない有益な情報のひとつであった。
「我が配下の者たちも、喜びで我を失ってしまっております。面倒な話は明日に回して、今日のところは早々に祝杯を交わしたいところですな」
そのように言いながら、獣人ガルムはふてぶてしく笑った。まるで、獲物を目の前にした肉食獣のごとき笑顔である。
「ああ、うん、そのことなんだけど……ハーピィたちから、事情は伝わっていないのかな?」
僕がそろりと切り出すと、ガルムは「はて?」と大樹のように太い首を傾げた。
「それは、記憶が混濁しているという件についてでありましょうかな? 言っては何ですが、それは毎度のことでございましょう?」
「ああ、うん、どうやらそうみたいだけど。でも、僕は――」
「何も心配する必要はござらん! 我々などは、ベルゼビュート様と数百年来のおつきあいであるのですからな! 再生の儀のたびにベルゼビュート様がわけのわからんことを仰るのは、もう慣れっこですわ!」
と、ガルムは吠えるように哄笑した。
迫力満点の笑い方であるが、どうやら暗黒神というのは配下の魔物たちに気さくなつきあいを許していたらしい。言葉づかいこそ丁寧であったが、彼の様子には旧友に対する親しみのようなものが感じられた。
いっぽう蛇女のナーガは妖しく微笑んでおり、レヴィナントは冷たい無表情だ。三者三様のたたずまいであるが、いずれもおびただしいほどの迫力を帯びているということに違いはなかった。
「いや、だけどね、僕は暗黒神なんかじゃないんだよ。君たちの大事な暗黒神は、どこかで眠ってしまっているんだと思うんだけど……」
「ほうほう! 確かに今回は、これまで以上にわけがわからんようですな! まあ、酒でも飲んでひと晩休めば、正気を取り戻すことでしょう!」
「そ、それなら苦労はないんだけどね。僕はきっと、再生の儀ってやつで生け贄にされた、異界の魂のほうの人格なんだよ」
ガルムは、獣毛とも眉毛ともつかない毛の束を、おかしな形にひん曲げた。
「人格とは? それに、異界の魂とは、何の話でありましょうな」
すると、ナーガが「馬鹿だねえ」とガルムを横目でねめつけた。
「再生の儀には、異界の人間の魂が
「やかましいわい! 何を贄にしようが、そんなものは俺たちの知ったことか! ふざけた口を叩くと、その自慢の鱗をなめして屑入れにしてやるぞ!」
ガルムの赤い瞳とナーガの金色の瞳が、敵意の火花を散らし合った。
どうやらこの両名も、ハーピィとラミアばりに非友好的な関係であるようだ。
すると、青白い肌をした美青年が発言した。
「……貴方はかつての我が君にあらず、贄として使われた人間の意識を保持している、と……つまりは、そういう話なのでしょうか?」
「そう、そういうことなんだよ!」
ようやくこの状況を正しく理解してくれる相手が現れたか、と僕は身を乗り出すことになった。
しかしレヴァナントは、氷のごとき無表情である。
「それで? 貴方は、何を主張しようとされているのです?」
「え? だから……僕は、暗黒神なんかじゃないんだ。君たちが暗黒神というお人を大事に思っているなら、その魂だか意識だかの行方を探し求めるべきなんじゃないかなあ?」
「貴方は、まぎれもなく暗黒神です。その肉体に宿った魂と意識こそが、暗黒神の魂と意識であるのです」
「いや、だけど……」
「魔獣兵団長殿」と、レヴィナントは僕の言葉をさえぎった。
ナーガと視殺戦を繰り広げていたガルムは、うるさそうに美青年を振り返る。
「何だ! 気安く俺に呼びかけるな!」
「こちらの御方は、自らが暗黒神ベルゼビュート様ではないと主張しておられるようです。貴方は、どのようにお考えですか?」
「ああん? ふざけたことを抜かすな、歩く
「そのように主張しているのは、私ではありません。ベルゼビュート様ご本人が、そのように仰っているのです」
ガルムはおもいきり顔をしかめながら、僕のほうに向きなおってきた。
「お戯れが過ぎますな。あなたがベルゼビュート様でなかったら、いったい何だというのです?」
「だ、だから、生け贄にされた異界の人間ではないかと……」
「なるほど」とつぶやいた瞬間、数メートルも離れた場所で片膝をついていたガルムの巨体が、僕の目の前に迫っていた。
その手の鉤爪が、大上段から振り下ろされる。その向こう側に垣間見える獣人の双眸には、まぎれもない殺意の炎が渦巻いていた。
僕は「うわー!」とひと声叫び、自分の頭を抱え込むことになった。
しかし、いつまで経っても痛みや衝撃は訪れない。
もしかしたら、寸止めしてくれたのか――と、僕がおそるおそる目を開くと、ガルムの巨体は忽然と消えていた。
「うわははは! 何が異界の人間だ! 人間なんぞに、こんな真似ができるものか!」
遠くのほうから、ガルムの笑い声が聞こえてきた。
目をやると、さきほどひざまずいていた場所よりも遠いところで、ガルムは這いつくばっている。
そうしてガルムが上半身を起こすと、頭から噴きこぼれた鮮血が床を汚した。
背後に控えていた魔物たちが、「団長殿!」と駆け寄ろうとする。
「騒ぐな! これが貴様たちであれば、床に脳味噌までぶちまけていただろうよ!」
その岩のごとき顔貌を真っ赤に濡らしながら、ガルムは陽気に白い歯をこぼした。
「再生の儀で、完全に魔力が復活したようですな! やはり、俺たちを統べるのはあなたしかおらん! まったく、心強いことだ!」
ガルムの豪快な笑い声を聞きながら、僕は困惑するばかりであった。
すると、レヴァナントが冷徹なる声と眼光を飛ばしてくる。
「ご理解いただけましたか? 人格や意識などというものは、些末なことであるのです。誰よりも強き力を持つ貴方は、その力にともなう責任を果たさなければならないのです、我が君よ」
「いや、そんなことを言われても……」
「そもそも、再生の儀の贄にされた時点で、異界の人間の魂は滅しております。たとえ貴方が本当に異界の人間の意識を保持していたとしても、もう帰る場所などはどこにも存在しないのですよ」
氷の斬撃のごとき冷たい声音で、レヴァナントはそう言った。
「貴方に残されている道は、暗黒神ベルゼビュートとして生きることのみです。雑念は打ち払い、お覚悟をお固めくださいますよう、切にお願いいたします、我が君よ」
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