第2話

 コンビニのスタッフルームに連れ込まれた俺――マグナム・田中は、指示されたとおりパイプ椅子に腰掛ける。


 俺の膝の上そこに金髪の吸血鬼――フラワー・山田がまたがると、「変なことするなよ」と牽制した。


 ふたりきりの部屋で、こんな体勢でいるのがすでに『変なこと』なんじゃないだろうか。

 そう思っても、保身のために真実を隠すのは火星ここではあたりまえの処世術だ。無口ぶらいを演じて黙っておく。


「それじゃ、いくよ」

「おっ、おう」


 間近に迫った顔がよく見えた。

 細く自然に整えられた眉毛。軽くカーブした長いまつげ。高価な翡翠のような瞳。まっ白い肌には染みひとつなく、照明の下で見る金髪はうっすら桃色がかっていて、非現実性を増長している。


 ここまでキレイすぎると、逆に人形マネキンじみて見える。

 その上、体温が低いせいで、人形マネキンっぽさがが一層引き立つのだが……動きや仕草は人間と変わらず、接触している肌も柔らかい。


 なじみのものとの差異と、共通部分にどう扱うべきなのか脳が混乱する。


 ただ『吸血鬼って、みんなこんなに可愛いのかな?』なんて、ラブコメ漫画みたいな台詞が脳裏に浮かんでいた。


――やばい、なんだか鼓動が早まってきた。


 それが膝上のフラワーにまで伝わるんじゃないかと思うと、無茶苦茶気恥ずかしい。


「緊張しなくていいよ。

 怖いなら天井の染みでも数えていると良い」


 そう言ってフラワーは、むきだしになった俺の首筋に真っ白な指を添え、脈拍を調べるように探る。


「なんだよ、その言い回し」

「ふふっ、お約束ってヤツさ」


 フラワーは韜晦とうかいしつつも身体を伸ばし、さっきとは反対側の首に柔らかな唇を触れさせた。


 氷を押しつけたような冷たさののち、徐々に触れた部分がしびれていく。


 これは牙を突き立てるまえの準備だという。

 麻痺させることで、痛みを和らげると同時に、肌を柔軟にして傷を残り難くする効果が生まれる。


 麻痺はすぐに快楽性をおび、少しずつ体内を浸食していく。


 幸福感に浸っていると牙が皮膚をやぶる。

 ソレはさっきよりも、深く俺の中へと挿入されたが、想像していたよりもずっとささやかな痛みだった。


 フラワーの喉が鳴る音を聞き、自分の血が彼女に吸われているのだと実感する。


 血を奪われると同時に、彼女の口内に生えた小粒な犬歯を伝い、麻薬効果のある唾液が体内に入り込んでくる。


 生物にとって過度の流血は命の危機だが、対価として生まれる快楽が容易く本能を間違わせる。


――もっと吸って欲しい


 吸われれば吸われるほど、体内の麻薬量は増し、自分が人間から遠ざかっていくようだった。

 いやちがう、これは人間というちっぽけな枠から解放されているんだ。


 それまで冷たい人形マネキンのように思えていたフラワーの身体が無性に愛おしく思えた。

 小柄な体躯も、そこからほのかに香る体臭もすべてが愛おしい。


 彼女への愛を示すべく、俺は細い身体に手を回し力一杯引き寄せた。

 するとフラワーは俺の首から愛らしい牙を抜き、両手で身体を押し返す。


 俺を上回る力は、あっさりと拘束をふりはらった。


「はい終わり。

 これ以上は童貞には刺激が強すぎるから」


「……関係あるのかよ」

 そもそも血を吸っただけでわかるのか?


「ある! キミみたく、性的な快楽に慣れてない子は、一度に吸いすぎると、いきなり下僕化もありえるからね。

 あれだよ、SEX覚え立ての男子が、本気で嫌がってるのにしつこく要求してくるみたいな」


 ひどい表現だ。

 だが理性をなくしかけていたことを思えば、あながちオーバーでもなさそうだ。


 実際、俺の目にはフラワーが吸血キスするまえよりも可憐に映っていた。




 フラワー・山田は吸血鬼で、なおかつ地球の邪神汚染が始まった頃の火星移住者という話だった。


 地球の汚染は、俺のじいさんの時代……たしか東京でオリンピックなるスポーツの祭典が行われた頃なので、確実に見た目どおりの年齢ではない。


 フラワーはこのコンビニのオーナーで、いまは店長も兼任しているらしい。

 少し前までは別に店長を雇っていたそうだが、いまは無断欠勤で来ていないということだ。


 無断欠勤の理由に思い当たる節はないと言っていたが、近頃のコンビニ業務は宇宙色コズミックカラーであるというもっぱらな噂だ。


 仕事は多忙だし、相手をする客に変なヤツが混ざっている。

 それでいて薄給だというのだから、逃げるヤツがいたって不思議じゃない。


 もっともそんな場所でも、俺には働かせてもらえるだけマシなのだ。

 なんせ働けば、命がけのバトルロワイヤルに参加しなくても、腐ってない飯が食える。

 

「それじゃ、レジは教えた通りだから。しっかり励んでくれ。

 僕は裏で書類仕事進めてるから、なにかあったら呼んで。

 あと、緊急時は発砲も許可するから」


 そう言ってフラワーは、壁にかけられたショットガンを指さす。


 俺の「了解」という返答を確認すると、彼女は吸血キスで伸びた金髪をバレッタでまとめて、スタッフルームへともどる。


 火星常識がいかに地球とはちがうとはいえ、普通、文無しで倒れていた行きずりの男に、直接金銭を任せたりはしない。

 持ち逃げされたら大損害だ。


 だが俺は、フラワーに吸血キスされている。

 その影響で、迷惑をかけるような行為ができなくなっているのだ。


 空腹で血まで失ったものだから、少しフラフラするが……吸血キスの高揚感でしばらくは動けそうだ。


 個人差はあれど、一度の吸血キスで下僕化することは、まずないらしい。


 それでも吸血キスされた側は、吸血キスした側……快楽を与えてくれた相手に好意に似た感情を抱くことになる。

 その好意を信用の代わりとして雇ってもらったのだ。


 ただそれは、好きな相手に嫌われたくはないのと同程度のものでしかなく、その気になれば抗えないこともない。

 逆に言えば、その程度の保証しかない俺を雇わなければならないほど、この店は人材に困っているということでもある。不安だ。

 

 それはともかく、与えられた仕事は果たさなければならない。

 俺は無職で住処すみかもなくしたが、別に怠け者ってわけじゃない。


 幸い学生時代に、コンビニバイトは経験している。

 深夜シフトは初めてだが、業務自体はそう大きくは変わらない。

 むしろ客足が少なくなる分、楽なのではないだろうか。


 まずは店内の様子を確認してまわる。

 弁当コーナーに並べられた『素敵なステーキ弁当(米国産純和牛)』なる商品が俺の目を釘づけにした。


 値段は素敵に九八〇火星円。

 消費税込みだと一、四七〇火星円になる。


 少々お高いが、中央に鎮座した紫の肉は分厚く、さらに鮮やかなピンクいろの斑点模様もついている。

 三時間の労働でそれを口にできると考えれば、それほど高い飯ではない。


 紫の肉の味を想像するだけで、口の中が唾液でいっぱいになる。


 当然俺にそれを買うような金はない。

 だが弁当に貼られたシールには、賞味期限があとわずかであると印されていた。


 その時間が過ぎれば廃棄品になる。

 だったら俺が食っても問題はないんじゃないだろうか。

 ないにちがいない。


「よしっ、やる気が湧いてきたぜ」


 俺が『素敵なステーキ弁当(米国産和牛)』を視姦していると背筋に悪寒が走った。


 慌てて背後を振り返るが、こちらを見ている者はいない。

 防犯カメラは定位置だし、フラワー店長もスタッフルームにこもったままだ。


 いるのは数名の客のみ。


――いまのは殺気か?


 熟練浮浪者たちと、食料を奪いあった俺の感知能力にハズレはない。


 だが確かに感じ取ったハズの殺気ソレはいまは薄く霧散し、誰が放ったかわからないすかしっぺの様に残滓だけが漂っている。


――まさか競争相手ライバルがいるのか?


 賞味期限切れの商品はレジで弾かれて販売することができない。

 余裕をみて設定されているとはいえ、店側が保証している期間をすぎているのだからある意味当然だ。


 そこで交換できる別の商品があれば取り替えれば済む話だが……『素敵なステーキ弁当(米国産和牛)』はひとつしかない。

 この場合、売ることのできない廃棄品を、ノンクレームを条件に引き渡すという裏システムが存在するのだ。


――意図的に狙っているヤツがいる?


 静かな夜のコンビニが魔物の潜む伏魔殿のように思えた。

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