第1話

 身体にアザを増やした俺は、中身の詰まったゴミ袋の上へと倒れこんだ。


 体温が奪われない分、コンクリで寝るよりマシだが、お上品な鼻がすぐに待避するよう要求してくる。

 それでも空腹と疲れに拘束された身体は、その場を離れようとはしなかった。


「あちゃー、誰だよこんなとこに棄ててったヤツ」


 若い、いや、幼い少女の声が近くで響く。

 まぶたをあげると、金髪をショートにそろえた少女が見下ろしていた。


 着ているのはありふれたコンビニの制服。

 中学生くらいに見えるが、深夜に制服それを着ていることを考えれば、少なくとも成人はしているんだろう。


 少女は浮浪者との争いに敗れた俺を、時間がくれば収集されていくゴミよりも邪魔なものと考えているようだ。


「……まだ生きてる」

「だったら余所で死んでくれないかな?」


 少年のような口調で無茶を要求してくる。


「好んでここで寝ていると?」

「だよね」


 空腹の上に体力のほとんどを失っている。

 このままでいれば、彼女の予想はほぼ確実に的中する。


 だからといって、それを覆すだけの体力も、そして気力も残ってはいないのだが……。


 沈黙を潰すように腹の音が響いた。


「……はぁ、仕方ないな」


 少女はため息まじりに言うと、見た目に釣り合わぬ剛力で俺を引きずり出す。

 そのまま別の場所に棄てられるのかと思ったが、そうではなかった。


 コンクリの上に置き直すと、俺の首元のボタンを雑に外す。

 そして、「クサッ」と文句を言いつつも、小ぶりな唇を断りもなく押しつけた。


 氷を押しつけられたような痛冷が首筋に伝わる。


 痛覚が反応したのはほんのわずか。

 それはジンワリとした感触に変化すると、徐々に身体へと広がっていく。


 多量の幸福感が身体を巡り、先ほどまでの絶望感がウソのように消え、根拠のない楽しさがイースト菌よりも元気に膨れだす。

 心が回復するとともに、身体にも活力が満ちていくようだ。


 そして俺は、制服を着た小さな身体をはねのけた。


 筋力は人並み以上でも、体重は見た目どおりらしい。

 はね飛ばされた少女が文句を言う。


「なにするんだよ、この恩知らず!」

「俺が恩知らずなら、おまえは恥しらずだろ、この吸血鬼!」


 唇の触れた場所に触れると微量の血が手に移った。

 吸血キスされた証拠だ。


「助けてやったのに、なんだよその言い分は!」

「相手を無理矢理奴隷にすることを助けるとは言わねーんだよ!」


 吸血鬼に生き血を吸われた者は、その者の眷属となり、死すらも許されぬ永遠の下僕として使役され続けるという。

 そんなものになるくらいなら、死んだ方がマシだ。


 だが金髪の吸血鬼は、下僕化させるつもりなどないと否定する。


「失敬な。いきなり奴隷なんかにしないよ。

 勝手な憶測で適当なこと言うなんじゃない。


 アレ、役所に届け出をしなきゃならないから、結構面倒なんだぞ。

 毎年、狂犬病の注射も打たなきゃいけないし、キミなんかにそこまでしてあげる価値があるとでも思っているのかい?」


「そんなこと言って、俺を欺す気なんだろ」


「キミを欺してなんの得になる。

 だいたい一回吸血キスしたくらいじゃ奴隷化はできないんだよ」


「……ホントか?」

「信じる必要はないよ。

 いまキミが僕に逆らっているのがその証拠だと思うけどね」


「単に失敗した言い訳じゃないのか?」

「好きに判断しな。

 いまので少しは動けるようになったろ」


 金髪少女は、侮蔑の視線で俺を突き放す。

 悪意がなかったのは本当のようだ。


 肉体にできた傷は治ってはいないけれど、確かに動けるようにはなっている。


「まったく、これだから地球産まれの日本人ってヤツは……」

「どうして俺が日本人だって?」


「黒髪で世間知らずと言ったら、日本人と相場が決まってるんだよ。

 しかも他人の言うことをロクに聞こうともしない。


 どうしてキミらは、目の前の真実よりも、自分の知識や思い込みを信仰しちゃうのかな?

 それでいて、自分たちは宗教なんか愚かしい行為には縁がありませ~んみたいな事言ってて……ほんと自覚のないバカってヤツは気分が悪いよ」


「なんだと!」


 俺に用はないとばかりに無視すると、金髪吸血鬼は近くに置いておいたゴミ袋を空いた場所に積んだ。

 それで用は済んだとばかりに、コンビニの裏口へと身体を向ける。


「ケンカなんか買わないよ、僕は忙しいんだ。

 それより動けるうちに、どっかにいって。たいして吸ってないし、そんなには持たないから。

 それとも働いている人間の邪魔をしない程度の分別もないの?」


「ちょっと待ってくれ」

「なに? いつまでも店は空けられないし、帳簿だってつけなきゃいけないんだ。

 これ以上、邪魔しないでくれない?」


「いや、さっきのは俺が悪かった。助けてもらったのに、その……すまん」


「…………それで?」

 突如対応を変えた俺を、少女は疑り深そうに見つめて問いかける。


「困ってるなら手を貸すぞ?」

「別に困ってないし」


 即答されたが、それは嘘だ。

 困り事がないなら、俺を無視してコンビニに戻ればいい。なのに彼女は立ち去らず、俺を値踏みするように観察している。


「深夜営業は防犯面からも、店員をふたり以上用意しないといけないんだろ?

 店を空けられないってことは、人、足りてないんじゃないか?」


「別にキミには関係ないだろ」

「そうか? 国民の義務として違法営業している店があるなら、通報するべきだと思わないか?」


 後にフラワー・山田と名乗るその吸血鬼は、ゴミ捨て場で俺を見つけたとき以上に渋い顔をした。

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