千本目の刀

平中なごん

千本目の刀(※一話完結)

「――これまでに奪った刀が九百九十九本……今夜でついに満願の千本目ぞ」


 煌々と蒼白い月明かりが照らす京は五条の橋の上、今宵もかの者は緩やかな弧を描くそのど真ん中に陣取り、まさに字の如くまるで門番のように仁王立ちしていた。


 雲を突くような大男で墨染めの衣をまとい、頭には袈裟を巻いた白い頭巾、背にはノコギリやら木槌やらの七つ道具、右手めてには長大な薙刀を携えている。


 まるで九郎判官義経が腹心、武蔵坊弁慶を彷彿とさせる容貌であるが、今はかの怪力無双の僧兵がいた源平の昔より百年余りも後の、頼朝の開きし幕府もすでになき、後世に南北朝と呼ばれるようになる時代である。


 だが、男は武蔵坊弁慶となんら関わりがないというわけでもない。


 この巨漢の破戒僧、名は眼刺坊弁当めざしぼうべんとう……じつは武蔵坊弁慶の生まれ変わりである。


 なんの因果かこの時代に再び生を受け、ある日、前世に成し遂げられなかった千本の刀を集める大願を今生で成し遂げんことをふと思い立ち、こうして夜な夜な、またしても五条の橋に立つようになったのであった。


 前回はその後、主君となる源義経――幼名を牛若丸といった童にあと一本というところで敗北を喫し、けっきょく刀千本の大願を成就することもかなわぬままとなってしまったのであるが、今はもうあれより百年も後の世である。


 さすがにあの烏天狗の如く宙をひらひらと舞うような童子は、そうそういつの時代にもおりはしまい。


「……いや、一万本にすべきじゃったか。千本では少々簡単すぎたかのう。相も変らず戦の世ではあるようじゃが、源平の昔よりも豪の者は少くなってしまったようじゃ」


 時折吹く夜風の音と、月影を映して流れる河の水音しか聞こえぬ静かな橋の上で、目標の千本を目の前にした眼刺坊は退屈そうに独りごちる。


 案の定、これまでに集めた九百九十九本の刀がその事実を示す通り、この橋を渡ろうとして立ち合った武士の中に誰一人として彼に敵う者はなく、今やその噂は京中に轟き、夜には人っ子一人この界隈に近寄らなくなってしまっている。


「むしろ、臆病風に吹かれて挑んでくる者がいなくなるのが心配じゃのう。今夜、誰も現れんかったら、そろそろ場所を変えねばならんかのう……」


 ところが、逆にそのような原因での失敗を不安に思い始めた矢先のこと。


「…!? この笛の音は……」


 どこからか、甲高い笛の音が夜の寂しさをいっそう掻き立てるように聞こえてきたのだった。


「なにやら聞き憶えのある笛の音じゃが……いや、今の世に九郎の殿(※義経)はおるはずもなし。偶然の悪戯か……」


 夜気を震わす突然の笛の音に、眼刺坊が既視感を覚えながら耳を傾けていると、その音は徐々にこちらへと近づいて来て、いつしか目の前には宵闇の中から一つの人影が浮かび上がる。


 それは小柄な身に薄絹の衣を頭からすっぽりとかぶり、横笛を吹きながらゆっくりこちらへ歩いて来る……なぜ、こんな夜半に笛など吹いているのか疑問を感じるが、その風体からして女子おなごのようである。


 薄闇に爛々と光る鋭いまなこで訝しげに眼刺坊が睨みつける中、その女子はなおも寂しげな笛の音を奏でながら、静々と彼の方へ淀みない足取りで近づいてくる……いや、足音はせぬが、むしろ速足と言ってよいくらいの歩み方だ。


 怪しい……こんな夜中に女子が独り、しかも、笛を吹きながら歩いておるものか……あるいは狐狸妖怪の類か?


 そんな疑念も頭を過るが、しかし、眼刺坊はよく知っている……かような奇行を演じる者が如何なる輩であるかということを……。


 静々と橋を渡って来たその者は、そのまま何事もなかったかのように彼の傍らを通り過ぎようとする……。


「なんだ、女子か…………なんて、言うと思ったら大間違いだあっ!」


 その瞬間、眼刺坊は騙されたふりを見せた後、大音声を張り上げて女子のかぶっていた薄絹を薙刀の切先で払い除ける。


「うわあぁっ!」


 すると、その衣の下に隠れていたのは、真っ蒼い顔をして悲鳴を上げる男の童だった。


 水色の水干(※童子の服)を身にまとい、髪を総髪に結った稚児のなりをしている。


 また、手には今しがたまで吹いていた笛を握りしめているが、その腰には金細工の施された、たいそう立派な腰刀を一本差している。


「フン! 思った通りおのこであったか。これでもう二度目・・・だからな。そんな手に誰が引っかかるものか。どうせ変装をするのならば、せめて前とは違うもので来い! ……あ、いや、おまえは前回のことなど知る由もないか……」


 稚児様の童を大きなまなこで上から見下ろし、したり顔で嘲笑う眼刺坊であったが、己が前世と今生をごっちゃ混ぜにしていることにふと気づき、不意に大声を淀ませる。


「それもこれも、なんとも奇遇なことに貴様が九郎の殿とそっくりな格好をしておるからじゃ。見たところ、どうやら稚児のようではあるが、その腰刀のこしらえはただの稚児ではあるまい? ここが五条の橋だと知って来たのか? なぜ、こんな夜半に女子のふりなどして笛を吹いておる?」


「わ、私は、鞍馬寺で稚児をしている宇治若丸うじわかまると申す者です。お、お師匠さまに笛の稽古を命じられ、さる名手と謳われる公家のお屋敷へ参っていたのですが、不慣れゆえに道に迷い、帰りがこれほどまでに遅くなってしまい……そ、それで、五条にある親類の家を頼ろうと思い立ち、淋しさを紛らわすためにふ、笛を吹きながら向う途中だったのです!」


 現世に生きる今の自分を取り戻し、稚児には似合わぬ黄金こがね作りの腰刀へ鋭い眼光を向けながら尋ねる眼刺坊に、その宇治若丸と名乗る童はぶるぶると身を震わせながら、精いっぱいの声を絞り出してそう答える。


「宇治若丸? ……聞いたことがある。たしか、足利将軍が身分低き白拍子に生ませた子だとかなんとか……なるほど。将軍家に縁ある者ならば、その腰のものも頷ける」


「わ、私の身分をご承知なら、す、すぐにそこを通しなさい! ら、乱暴狼藉を働くと、後でどのような責めを負うかわかりませんよ!」


 これでも一応は叡山の僧の身。寺仲間に聞いた噂話から稚児の正体に気づいた眼刺坊を見て、宇治若丸はありったけの虚勢を張って、そんな脅しをかけるのであったが……。


「フン! 知っておるぞ。宇治若と申せば、笛と学問には秀でるも武芸はからきしな上にたいそう気も弱く、巷では宇治若丸ではなく〝うじうじ丸〟じゃと嘲笑われておるそうな。そのように力んではみても、心の内ではわしが怖くて怖くて仕方がないのであろう? 笛を吹きながら渡ろうとしたのも、その臆病心を誤魔化すためであろう!?」


 身分ばかりか、あまり耳障りのよくない話までこの怪僧はよく存じており、蔑むような眼差しを向けて鼻で笑うと、宇治若の心情を察して逆に威圧してくる。


「生い立ちまでそっくりとは、ますますもって九郎の殿にそっくりではあるが、あの時・・・のように遅れを取る気は微塵もせぬわ。さあ、貴様こそ痛い目に遭いたくなかったら、おとなしくその腰のものを置いてゆけ! さすれば今宵のことは一切他言せずにおいてやろう。将軍家に連なるおのこともあろうものが、坊主怖さに女子のふりをしていたなどと知れれば大恥だからのう、ガハハハハ!」


「ひいっ…!」


 ドスの利いた大声で凄み、まるで雷のようなバカ笑いを周囲に轟かす荒くれ法師に、宇治若丸はますます蒼白い顔から血の気を失せさせると、短く奇妙な悲鳴を上げてその場に尻餅を搗いてしまう。


「こ、これは、父上さまからいただいた、足利家の祖、源義康公より伝わる大切な宝剣……お、御渡しするわけにはまいりません!」


 それでも宇治若丸は勇気を振り絞り、ぶるぶると震える手でその柄を強く握りしめると、非力ながらもなんとか抵抗を試みようとする。


「ほう……なんとも趣向を凝らした拵と思うたが、そうと聞けばますますもって我が千本目となる刀にはもってこいの逸品じゃ」


 だが、その言葉による抵抗がむしろいけなかった。


「人里離れた鞍馬の山暮らしでわしの噂を知らなんだか、この五条の橋を渡ろうとしたのがそもそもの運の尽き……さあ、さっさと諦めてそいつを渡せ! なんなら、ついでに将軍家の落しだねの首を刀千本の記念にいただいてもよいのだぞ?」


 ぺらぺらとその由来をしゃべる宇治若丸に、ますますもって黄金の腰刀を手に入れたくなった眼刺坊は、月影にきらりと光る薙刀の白刃を彼の目と鼻の先にぬっと突きつける。


「ひぃぃ……わ、わかりました……い、命だけは……どうか、命だけはお助けくださいぃぃ」


 彼のか細い首など一振りで斬り飛ばせそうなその鋭利な刃先に、彼なりに頑張っていた宇治若丸もあっさりと降参の意を示し、戦慄く右手で黄金拵の腰刀を眼刺坊の方へ差し出した。


「よーし、いい子だ。命あってのものだねだからのう……さ、刀さえいただけばもう用はない。さっさと何処へなりといね! それともやはりそのそっ首、ここで斬り落として河原に晒してやろうか!?」


「ひ、ひぇえええっ~! お、お助けぇぇぇぇぇ~っ!」


 その腰刀を対照的な太くて逞しい手で乱暴にぶん取り、意地悪にもわざと怖い顔を作ってなおも脅しあげる眼刺坊に、宇治若丸は涙目になって悲鳴を上げると、脱兎の如くその場から逃げ去ってゆく。


「おお、すばしっこさだけは九郎の殿にも負けておらぬようじゃの」


 その飛び跳ねるような勢いで駆けてゆく様は、前世にて橋の欄干をぴょんぴょんと跳び回り、眼刺坊――武蔵坊弁慶を翻弄した牛若丸の身のこなしを彷彿とさせる。


「あの時は手も足も出ずに屈辱を味わったが、今となっては良い思い出じゃのう……ともかくも、これで目標の千本。しかも、それが源氏所縁の名刀とはなんたる僥倖! 今生こそ前世で果たせなかった千本の満願を見事かなえてやったぞ! ガハハハハハ…」


 眼刺坊は宇治若丸の後姿にかつての主君の幼き頃を重ねて懐かしむと、金色の腰刀を銀色の月の光にかざして眺め、ついに念願の千本目を手にしたことに愉悦の高笑いを上げる。


「…ハァ…ハァ……あ、あのお! ……ちょ、ちょっとすみませ~ん! ……ハァ……ハァ……」


 ところが、どういうわけか今しがた逃げ去ったはずの宇治若丸が、なにか慌てた様子で此方へ駆け戻って来るではないか。


「……ん? なんだ? やはりこの腰刀が惜しくでもなったか?」


 再び近づいて来るその小さく臆病な稚児を、高笑いをやめた眼刺坊は怪訝な顔で見つめる。


「愚かな。せっかく無事に逃がしてやったというものを……その勇気は褒めてやらんでもないが、非力な貴様では無駄に命を散らすだけぞ? それでも、それが望みというのならば致し方なし。将軍家のおのこらしく、武士もののふとしての最期を与えてくれようぞ!」


 そして、舞い戻った宇治若丸にもう一度その覚悟を確かめるようにそう告げると、大薙刀を大上段に彼の小さな頭の上へと振り上げる。


「ま、待ってください! そ、そうじゃないんです! 一つ、お伝えしなければいけないことに思い至りまして……」


 だが、鬼のような形相で今にも斬りかかろうとする眼刺坊に対し、宇治若丸は手を前に出してそれを制すると、何やら妙なことを言い出したのだった。


「伝えねばならぬこと?」


 意表を突かれた眼刺坊は薙刀を振り上げたまま、きょとんとした顔で小首を傾げる。


「ひゃ、百聞は一見に如かずです。まずはその腰刀を抜いて刀身を見てみてください」


「これを抜けだと? ……はっ! よもや竹光ということはあるまいな!?」


 何のことだかさっぱりわからぬ眼刺坊ではあったが、宇治若丸のその言葉にそんな疑念が脳裏を過り、言われた通りに慌てて腰刀を金色の鞘から抜いてみる。


「ハァ……なんだ、ちゃんと真剣ではないか。人を驚かしおって……」


 そして、再び月明かりにかざしてみるが、それは仄かに蒼白い光を闇に反射し、正真正銘、鍛冶師に鍛えられた真剣の短刀である。


 ただ、少々変わっている所といえば、通常、片刃であるところが峯側にも刃の付いた柳葉状の両刃造であるということぐらいのものだ。


「いいえ、そうではありません。見ていただきたかったのは、それが片刃ではなく両刃だということです」


 しかし、宇治若丸はその〝両刃である〟ことこそが重要なのだと、それまでとは一変、妙に落ち着き払った声で安堵した眼刺坊に言って聞かせる。


「いいですか? 先程から聞いておりますに、どうやらあなたは刀を百本集めているご様子。ですが、古来、唐土もろこしより伝わる分類の倣いからして、片刃のものを〝刀〟、両刃のものを〝剣〟と呼んでおります。さすれば、その腰刀は正しくは剣。厳密には刀ではございません」


「なんと!?」


 滔々と語る宇治若丸の説明に、そんなこと、まったく考えもしなかった眼刺坊は思わず頓狂な声を上げる。


「つまり、その腰刀…いいえ、腰剣を手に入れたところで、あなたが千本集めているという刀の一振にはなり得ないのです。私、こういう故実に反することはどうしても見過ごせない性質たちでして……ということで、それはあなたの欲しているものではありませんので、よろしければ返していただきたいかと……」


 武芸はからきしなれど、学問好きという噂もどうやら本当だったらしく、やけに堂々とした物言いで宇治若丸は眼刺坊に意見をし、こと学問に関することになると肝が据わるのか? 今度は恐れることもなく腰刀の返還を乱暴者の山法師に要求する。


「……くううぅぅ~! おのれぇっ! せっかく良い気分でいたところを余計なこと言いおって! かような話を聞いてしまっては、これを千本目と数えられぬではないかっ! ええい、こんなものいらぬわ!」


 だが、愉悦に浸ったのも束の間、またしても前世と同じような風体の童子に満願成就を邪魔された眼刺坊は、怒り心頭、烈火の如く顔を真っ赤にするとその怒りに任せて腰刀を宇治若丸へ投げつける。


「うわっ…!」


 辛くも凶刃は的を外れたものの、その可愛らしい頬をかすめると橋の欄干へ鋭く突き刺ささり、刺さった衝撃にぶるると震える金色の柄を見て宇治若丸は再び蒼くなる。


「もしや、貴様も九郎の殿の生まれ変わりか!? やはり、稚児の格好をした武家の御曹司とは一戦交えねばすまぬ因縁のようじゃ。よくも前世に続き今生でも邪魔してくれたのう! 最早、刀集めなどどうでもよい! さあ、いざ尋常に勝負せい!」


「……えっ? わあっ! ぜ、前世ってなんのことですかあ? お、落ち着いてくださ……ひぇえっ!」


 無論、それだけで眼刺坊の怒りは収まらず、問答無用で斬りかかる彼に白刃を掻い潜って宇治若丸は逃げ回る。


「ええい、ちょこまかと! やはり貴様、その正体は九郎の殿であろう? このわしを二度もたばかりおってからにいっ!」


「に、二度ってなんのことですか? ひぃ! ……く、九郎の殿っていったい誰…うわあっ! や、やめ…やめてくださいぃぃぃ~っ…!」


 こうして、眼刺坊は前世に続き今生においても、五条の橋の上で大薙刀を振り回し、あちらこちらへと跳び回る稚児に格闘することとなったのであった。


                            (千本目の刀)

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千本目の刀 平中なごん @HiranakaNagon

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