第9話―ユキムラ―

真田左衛門佐幸村さなださえもんのすけゆきむらの本名は知っている人は多いことでしょう真田信繁さなだのぶしげです。

なら、どうして真田幸村になったの?という疑問の人はきっといることでしょう。


[難波戦記]

なんばせんき呼びます。

この軍記物が真田幸村という名前で全国に広まりました。

作者は不明で学者なども兄の真田信之さなだのぶゆきを配慮して信繁ではなく幸村にしたと推測されています。ちなみに

この本で真田十勇士も出る。


[真田信繁は若い頃は無名]

ゲームや大河ドラマなどで数多くの戦で活躍したイメージですが残念なことに大坂の陣のみです。

真田信繁の初陣ういじんしたのが小田原征伐と言われています。当時の年齢は22歳。

普通の武将からすればかなり遅いほうです。それは人質生活と前のように頻繁に戦はなかったこと。

第二次上田城の戦いの後に九度山くどやま蟄居ちっきょになりました。

生活は兄の信之から仕送りで生活していた。そして幸村も年を取り兄の信之に髪は白く歯がほとんどないと手紙には書かれいました。


[真田信繁は赤い甲冑ではなかった]

真田信繁の甲冑は赤なのが有名ですが、実際に使用していた実物は

派手ではない黒色で兜に角もない。信繁が味方を指揮を上げるために赤い甲冑をさせた説はあるけど恐らく可能性は高くない。

どうして赤いにしないかというと

目立ち夜になると見立たない黒がメリットあったり、赤色するには当時は高くってなかなか出来なかった。


[十文字槍の達人で誰も知られていますが別の槍だった]

その名の通り十文字の形をした槍が十文字槍。ウィキペディアやネット情報でも普通に十文字槍を紹介していて古い情報です。真田信繁の子孫様が鎧と槍を映像で観たところ一本槍いっぽんやりというシンプルな槍です。

普通の槍なのに十文字槍じゃないのは実践向きだからです。

どうしても十文字槍が強いイメージですけど、一本槍ほど戦いに向いていません。


[最強の武器は銃]

大坂の陣で、どこで入手したかは私も知りませんが最新銃を超える銃の名は宿許筒しゅくしゃづつ。サイズは通常の火縄銃よりも半分ほど。

次に撃つまでの時間は火縄銃の

3倍。徳川軍からすれば連射できる銃におののいたことでしょう。

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