第6話―イエヤス―
幼い名前は
幼い頃、今川家に人質として運ばれる竹千代を織田家へ運ばれるトラブルがありましたが、最近は徳川家康をすごい人物像にさせる脚色したのではと言われます。小さい家柄である松平家の竹千代を人質を奪うような行為にメリットはあまりないからです。
ここから説明すると長くなるので泣く泣く割愛します。
ちなみに今川家で人質生活での学問を教えたのは今川義元の参謀である
19歳になった松平元康は主君の今川義元が亡くなると独立します。
しかし滅亡の危機すぐに起きます。三河一向一揆です。
軍事などこれからを思って税を上げたことなど原因で。
それから武田信玄の最後の戦い
若い頃の徳川家康はどこにでもいる弱い大名に過ぎなかった。
三方原の戦いでは若い人ならよくある派手な格好だったり、税を上げると一向一揆が起きることの浅慮なことも。あと、この戦いを反省するため[しかみ像]ですが創作でウソなのです。
[タヌキと呼ばれたがすぐ怒る]
徳川家康はよくよく我慢強いイメージを多く持ちますが少し前の私もそうでした。でしたが短気です。三方原の戦いの挑発にも乗るぐらいですから。
家臣にはよく怒ったりする資料もありました。自分で病気なり薬を作り治そうとして、違う!と指摘した医者には流刑するなど記録に書かれている。
しかし本当に短気だったか、間違いないとは言えず私からもすぐに怒るから短気かは今のところ推測するしかありません。
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