物理学者と超能力者

「事後報告となりますが、〈転送術〉は私めが施しておきましたので、何卒ご了承を」


 媚びるような笑みとともに、優男が言い放ったとき、目の前の光景も、わざと起こしたのではないかと一瞬、疑った。

 暴動が起きて云々という、クーベルツェさんが口にしかかった弁解の想定が、寸分たがわず再現されていたからだ。


 魔樹に埋め込まれた、魔族の数字が刻まれた針時計。

 平生へいぜいのように駆動する時針と分針、秒針の回転の前に、青黒い紋様が縦横無尽に刻まれた、白い箱が置かれている。

 あとは、河岸の光景と似たようなものだ。箱の上に誰かが馬乗りになり、そばで誰かが足で蹴りつけ、誰かが斧でぶち破ろうとし、誰かが火を放とうとしている。重なり合いながら混然一体となった動きは、どれも立方体の破壊を目的にしていた。


 破壊されつつあるのは立方体だけではない。

 あらゆる家屋はひっきりなしの侵入にさらされ、そのたびに壁を壊され、家具を盗まれ、あるいは倒壊の憂き目にさらされている。

 冬瓜が、俺の足下へ転がってくる。拾おうとしたとき、通り過ぎた有鱗馬の蹄に踏みしだかれた。

 ルペーニヤに冬瓜があることを、このとき初めて知った。


 木の鎧と盾と槍を携えた歩兵が、人波を薙ぐようにして、男や女を追い払おうとする。すると槍は奪われ、やはり破壊され、路傍に打ち棄てられる。

 いくら武装しようが、四方八方から両手足を越える人数に襲われれば、ひとたまりもない。


「いやはや、どうせ滅ぶというのに、そこらの野良魔獣のごとき狂騒でございまして、まことに面目ない……」


 露骨な揉み手で、俺の影から這い出たクロフュスにへつらう声が聞こえる。年季の入った猿芝居と見えた。なんて、なんて頼りがいがあるんだ。皮肉ではない。本気で尊敬する。

 この状況でこの男は、仮面をかぶることができる。


「あのニンゲンの男は、何処だ」


 クロフュスが、感情の見えない声音で問う。


「ええ、ええ……何せこの騒ぎでございまして、早急な事態の収拾に東奔西走しておる最中で……」


 これは何か、発言すべきだろうか? 横入りして気をそらすとか。それとも猿芝居のプロ――俺だったらこんな芸当は無理だ――にまかせたほうがいいか。

 それにこちらからしても、この暴動とやらが収まってほしいのは変わらない。箱の中の俺には悪いが、こんな狂騒がだらだらと続いて計画が先延ばしにされて、後日あらためて〈転生術〉をかけることになったら最悪だ。

 だというのに、クーベルツェさんはどこに消えたんだ?


「めんどくせえ」


 不意に恫喝のような低音が響く。唸り声が混じっていた。

 王子様の影から這い出たジアコモが、牙を見せつけるように大あくびをする。

 耳の穴に黒い爪をつっこみ、引っ掻いていたかと思うと、耳朶の体毛を引き抜いた。破壊された物の粉塵が混じる黄土色の風に舞い上がる。


 そのままゆっくりと、1本ずつが銀色の針になる。陽光を跳ね返して中空に浮かぶ。

 針はどこまでも先端を伸ばし、太く育ち、やがて純銀の槍となった。歩兵の、鎧をつけた胴体とそう変わらない太さだ。

 回転しながら宙に、箱の上に浮かび上がり、散らばる。


 そしてあるとき、巨大な腕がなぎ倒したように、猛烈な勢いで地上へ降りそそぎ、人間たちの肢体を貫く。

 悲鳴やうめき声に混じり、血の噴き出す鮮明な音が聞こえた。

 崩れた積み木のように、死にゆく者どもが折れ曲がり、重なり合う。


「どうした、貴様ら」


 生きている者たちに向けて、おらぶ声がある。


「私はここにいるぞ。私を殺せる者があるなら、ここに出てこい!」


 ジアコモの咆哮を聞きながら、朝日を浴びる死者たちを眺めた。

 彼ら彼女らのうち、どれくらいの人間が、魔樹の内部に小さな分身を収めただろう。

 ルナルカさんの横顔を盗み見る。人間の姿を取った右腕の手首から先には、金色の和毛にこげの生えた、灰色の皮膚が継がれている。


 ――あいつなら魔樹の中にいる


 頭の中で声がした。

 その手のひらにはなぜか、俺の手のひらを貫いた、あの赤錆を纏った釘がある。心臓のように律動しながら、ゆっくりと育ち、人形の外観をこしらえつつあった。


 ――お前の分身が入っている箱の底面は、地面に接触している。紋章を刻んだ地面にな。だから、箱の下敷きになっている部分に、どういう術式が刻まれているのかは、目視では確認できない


 淡々とした言葉を聞きながら、自分が聴覚だけの生き物になった気がした。


 ――その箇所を改変した。つまり、実験が始まったときには失敗は決まっている。オゾン層とやらより上空で起爆するようにしてあるから、一部の放射線は遮蔽されるだろう。それでうまく行くかは知らん。俺は物理学者じゃない


 引っ張られるようにして浮き上がる箱の底には、いくつかの死体が磁石のように付着していく。紋様の改変が覆い隠された。これも、計算のうちなのだろうか。

 どの人間も、押し黙っている。ルペーニヤに魔族を殺せる者はいない。


 人間が死ぬことに、慣れつつあるのを自覚した。

 現に死んでいる人間よりも、人間が死んでいるという端的な事実よりも、彼ら彼女らが生きている可能性について考え、策をめぐらせているのだから、慣れつつあるのを認めるしかない。

 無数の人間がこれから死んでいくことにも、このようにして、慣れていくのかもしれない。


 彼方へ消失する、自分自身の詰められた物体を見送る。もうひとりの自分が、来たる自分の死について何を思うのか、それはわからない。俺は超能力者じゃない。

 朝霧を徐々に吹き払う空は、嗜虐的なまでに晴れわたっている。

 青く澄んだ天蓋てんがいを見上げて、眼を閉じる。すると視界が真っ黒になり、真っ赤になり、黄色く染まり、最後に白く融けた。

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