罪と罰

 きわめて端正な、子犬を抱き上げるような動作で、転げ落ちた光輝の粒を魔王はひとつずつ拾い上げていった。

 傾いた卓に、もう一度乗せることはできない。あっという間に彼女の両手は、宝石でいっぱいになる。


「華美なものが美しいのは、華美であることがそのまま美しさであると、みなが理解しているからだ」


 そのうち最も鋭利な輝きを放つ、深い緋色をたたえた、金柑ほどの大きさのルビーを、牙の伸びる口元へ運んだ。そのまま噛み砕き、呑み込んでいく。


「偉大なる、いと貴き魔王陛下」


 と老人が言う。


「思い出の品、というものがある。その品物にわれわれが思い出を見出すのは、それを見るということが、そのまま思い出を顧みることであると、思い出の持ち主が理解しているからだ。わたしの言いたいことはわかるかな?」


 食事と演説が止まる気配はない。俺にしゃべれと命じておきながら、自分のしゃべるほうがお好きなようだ。


「え、ええ陛下、存じております、ですから何卒、何卒ルペーニヤを、いえ、それがまかり通らぬならこの卑しき老いぼれを、おお、いと高き御慈悲により救ってくださいまし、どうか、どうか」



 にこやかに、確然と言い放ち、魔王がこちらを見る。足裏を縫いつけるような、苛烈な眼光で。

 吐き気がおとずれる。部屋の隅へ駆けて、酒粕さけかすのような壁に、手をついて嘔吐する。


 濡れた雑巾ぞうきんを絞るような音。胸を焼くものが込み上げる。だが吐物が現れることはない。

 喉の奥に突き上げる膜が胃壁だと悟るのに、少し時間がかかる。半日もまともなものを飲み食いしていないのだから、吐けるものは何もなかった。


「彼は、異界のニンゲンでな。見ての通り、心は脆いが、なかなか怜悧れいりな男だ。このわたしの宮廷教師をつとめている。覚えているかね?」


 返事はない。魔王は続ける。


「彼は先頃、こんな知識をさずけてくれた。諸君にとって死は恐怖であり、その受容に多大な苦痛が伴うと。そこでわたしは、こんなを考えた。こいねがわくば、ご静聴を」

 

 沈黙が、篝火かがりびのように場を支配している。


「遠い昔の話だ。北のほうに、とても寒くて大きな国があった。大きな国が押しべてそうであるように、富めるものはさらに富み、貧しいものはさらに貧しくなっていく、そんな国だ」


 俺は、ゆっくりと腰を上げる。


「そんな大きな国の大きな街に住む貧しい青年が、ある日、こんなことを考える。自分の近くに住んでいる、富者ふしゃの老婆。彼女を殺し、財産を奪ってやろう。だが青年は、自分のやろうとしていることが卑劣な行為であることを、心の底では理解していた」


 額を土壁につけて、息を吸う。


「だから青年は、こう考えようとする。自分は貧しい。老婆は金持ちだ。この国では、富者は貧者から金を吸い取って、ますます富を蓄える。なら貧者が富者を殺し、その財産を奪うことの何が悪い? 奪われたものを取り返すことの何が?……そして青年は苦悩の末に、みずからの命を絶つ」


 俺は振り向く。魔王の唇は輝き、上品な微笑みが口角を持ち上げている。


「なぜ青年は命を絶ったのか? 老婆を殺したという、己の罪に耐えきれなかったからだ。己の命をもって己の罪をそそぐと決意し、みごとにそれを実行したわけさ。ちょうどこんな、薄暗くて広い部屋でね。さて、この話から得られる教訓は?」


 教師の身振りで老人たちを見やり、足取りはこちらに近づいてくる。

 離れたところで、ジアコモが手をあげた。


「死ぬには相応の覚悟がいる」


「悪くない。しかし覚悟だけでは足りない。わたしの考えでは、ニンゲンが死ぬには、死に値する罪が必要だ。青年が老婆の命を奪おうとしたような、罪が」


 肩に手を置かれた。少女のなめらかな指と、獣の鋭利な爪。


「諸君が死を恐れるのは、みずからの罪を自覚していないからだ。罪とは何か。おのれの生が、生きるに値しないと知らぬことだ。諸君はあまりに弱く、われわれに蹂躙されるがままである。そして弱さゆえに、さらに弱いものを傷つける。そのような生に、生きる価値があるとでも?」


 誰も答えない。


「罪を知れ。おのれの生の無価値を。さすれば魔族われわれは諸君の罪深きゆえに、その罪を雪ぐために、罰を与えることをいとわない。……理解できんか? ?」


 大演説を拝聴している奴隷は、死んでも生き返るから、罪があろうとなかろうと、助かるだろう。

 なんてすばらしい。


「生きるに値しない生を、生きている罪がゆえに、罰として諸君は死ね」



 ばたばたと、もつれるような音がして、開け放しの、土色に濁った出窓から鳩が入り込んだ。ルナルカさんが飛ばしたのと、似たような体型をしている。

 魔族の主のマントの肩に留まり、翼を広げると、穴を空けられた風船のように独りでにしぼんで、単なる紙の束になった。


「中心街で騒ぎが起きている」


 ふう、とため息をついて、読み上げた紙の束を懐にしまうと、彼女はマントを丸ごと飛膜に変えた。まるで吸血鬼だ。

 見計らったように、クロフュスは俺の影に滑り込む。なんで俺なんだ? 仕える主の影じゃダメなのか?


「反応が芳しくないな。わたしの話は理解していただけたのだろうか。皆々みなみなご老体だし、聴力や集中力が低下しているのかもしれない。文書のほうがよかったかな。センセイはどう思う?」


「さあ?」


 かぶりを振って、答えた。

 魔族の手先め、という声がどこから聞こえ、それはたちまち合唱となる。

 背中に石が当たるが、屋内だから石なんて転がっていない。たぶん宝石だ。ひょうのごとく投げつけられる前に退散せねば、青痣だらけになってしまうだろう。


「自分だけ助かるつもりか!?」


 という叫びが混じっていた。

 振り返ることなく歩き始める。だがどこへ?

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