無性生殖と大演説

 生物が殖えるやり方は、大きく分けてふたつ存在する。有性生殖と無性生殖だ。


 たとえば、クラゲやジャガイモやアメーバは、無性生殖のグループに属する。成体の触手の先端が分離し、それがそのまま幼体になる。このとき、親子の持つ遺伝子情報は共通で、DNAの構造もそのまま受け継ぐ。

 有性生殖の場合は、事情が異なる。魚類にせよ爬虫類にせよ哺乳類にせよ、精子と卵子が減数分裂の過程で結合することで、新たな個体が誕生するのだ。


 どこかの誰かの有性生殖によって誕生した俺という個体は今、クラゲのような無性生殖をさせられている。

 頭から頭が、腕から腕が、腰から腰が生える感触は未知のもので、自分の骨肉に自分でハサミを突き立てるような、鈍く鋭い痛みに耐えなければならなかった。


 なるほどな、これが〈複生術〉か。震える指で、地平に滲む曙光しょこうを遮る。

 逆光のせいで、そばに立つひとの影が、よく見えない。

 はじめは低木かと勘違いしたほどだ。実際、その角の質感は、海岸で立ち枯れた木に似ている。どっしりとした質感も乾いた褐色も、長い歳月を潮気にさらされたような重みをたたえている。

 角の持ち主は、分裂しかかる俺の上体にまたがると、みぞおちに刃を刺し込んだ。


「うお、お――」


 俺はうなり、喉元から血をこぼす。安っぽいスプラッター映画の特殊効果みたいに。

 心臓と肺を裂かれたことを直感した。脊椎のかたちに隆起する背を痙攣させて、呼吸をやめていく。砂を噛んだ瞼を閉じることなく、瞳孔をひらいていく。


 策士だな、と思った。

 分裂する途中の心臓を裂けば、新しい俺が死ぬ前に、古い、衰弱した俺を殺せる。なおかつ、新しく分裂する俺は死なない。だから爆弾が起爆することもない。

 分裂しきらない心臓は、分裂をしながらも、ずっと動いているからだ。俺は死ぬが、起爆の条件には抵触しない。


「行くぞ。陛下がお待ちだ」


 こちらを待つそぶりは微塵も見せない。陽を受けて輝く、青い建物のあいだへ消えていく。

 消えていく姿を見送る暇も惜しく、その場で振り返れば、落書きは目の前にあった。俺が書いたものも、そうでないものもある。目まいに襲われた。俺が書いていないものを書ける状況にあったひとは、この場にひとりしかいない。


 対岸のひとびとの数は、減っている。いなくなったわけではない。けれど、確実に減っている。

 ひとびとは叫び立てているが、その合間を縫うように、方々で誰かしらがひとつの動詞を叫んでいる。グァーセ、グァーセ、グァーセ! 声は聞き取れないが、唇の動きはそんなことを叫んでいるように見えた。

 聞き取ったひとびとは一様に、あたりを見回し、不安げな表情を浮かべながら、それでも河の向こうへ引き返そうと、濡れそぼつ鼠色の裾をひるがえした。


 なぜ協力を?

 真剣に考え始めるのはずっと後のこと、雨の音を聞きながらのことで、つまり、まだ先の話だ。

 今はただ、透明な壁に描かれた血文字の羅列を振りきり、武具を吊り下げた後ろ姿を追うことしかできない。



 約定のことは頭から追い出してしまえと、努力はしていたのだが、現実は知ったこっちゃないとばかりに、最悪な方向へ転がりまくっている。

 今もそうだ。魔族連中とともに湖を渡り、人間の居住区域へと引き返した俺は、これからこの、初日に魔王様が親指を転がしたテーブルの前で、大演説をぶちかまさねばならない。

 テーマは、魔族に殺された人間がどうなるか。


「ここに来るまでに、今まで何回殺されたか数えてみました。まず、草原でオオカミに内臓を喰い散らかされまして、それからこちらの、いとたかき魔王陛下の御手により、畏れ多くも毒殺されまして、……」


 長いので省略するが、だいたいこういう感じで事実を列挙した。


「……、それでここに来る少し前に、こちらの、瀑角族のクロフュスさんに、胸を刀で貫かれました」


「嘘だ!」


 髭を伸ばし、丸々と脂ぎった顔をこちらに差し向けた老人が、矍鑠かくしゃくたる声で怒鳴り散らす。眼の下が黒ずんで、細かい血管が浅く浮き出ていた。

 引き裂かれたような紗羅さらを、身体中に巻きつけている。鼠色の生地の向こうには、魔王の奴隷が来ているよりよほど上等な、おそらく絹の上衣の裾が透けていた。


「貴様は現に生きているじゃないか! 証拠を出せ!」


 途端、そうだそうだの大合唱が始まる。


「どうします?」


 と振り返った俺の側頭部を、弾丸が貫く。

 脳漿のうしょうが木板に飛び散り、倒れ込んだ視界が4分の1回転して止まる。冷たい床に耳を強打し、鈍い痛みが走る。

 抜け落ちた羽のような、あるいはのような柔らかく軽いものに、思考能力が蹂躙じゅうりんされる。


 視界が闇に沈み、しかし一瞬すると、頭を打ちつけた痛みがずきずきと脈打つ。

 自分のデスクでうたた寝をして、ハッと起きたような心地のまま、頭を撃ったシカ野郎の肩を支えにして立ち上がる。

 なるほど策士だ。脳細胞が破壊されたからといって、すぐに心停止するわけではない。このやり方なら殺りたい放題。


「まだ持ってたのか……」


 睨みつけたが、撃った魔族は当然、意に介さない。最悪だ。今ので死ぬほどお前に対する好感度が下がったぞ俺は。

 とはいえ撃ったクソシカは、撃たれた人間のことなどどうでもよく、他の人間たち――というのはつまり、元老院の人たちだが――の狂騒を注視している。

 俺も隣に並び、ひとまず申し訳なさそうな顔をつくる。


「えーと、まあ、人間には死を受容する過程が……いや違うか、あの、みなさんは生きていてつらいことはおありですか? 僕はずっとつらいんですけど。生まれてこなければなあっていうのが標準で、人生を送ってますけど」


 誰も何も言わないが、遠慮なく続ける。


「えー、で、つまり、なんでしょうね、生きていくことは、つらい、じゃないですか? だから魔族のみなさんはですね、それを哀れに思って、僕らを、滅ぼしてあげようと、こう考えたわけです。死ねば生きていてつらいのも、なくなるじゃないですか? どう思います? いや、僕はどうとも……思わないこともないですが……」


 そんな理屈をかろうじて絞り出したが、案の定、


「狂ってる……」


 という反応をいただく。同感だ。本当に。


「なんなのだ、何を言っているのだ貴様は!?」


 先ほどとは別の老人が、俺を指差し、わなわなと震える。首筋に浮き出た頸動脈が盛り上がり、今にも破裂しそうだ。


「この若い男を殺せっ、今すぐに……衛兵はどこにいる!? 八つ裂きにでも串刺しにでもしてやれっ!」


 激しく頭をふり、飛び出た目玉で周囲を睥睨へいげいする。メロンパンそっくりの形と色味の帽子がずり落ちた。

 何やら物騒なご提案だが、何が起こる様子もない。衛兵は出払っているのだから当然だ。副総統殿がひとり残らず連れて行ったのだから。

 知っているのは俺だけ。

 あまり騒がれると、魔族たちが要らぬ疑念を抱く。さっさと話題を替えよう。


「ちょっと待ってください、僕を殺しても秒で蘇生しますよ?」


「うるさい黙れっ!」


 拳で叩いたテーブルが、バキンと音を立てて割れた。支柱の根元が腐っていたらしい。どうも嫌な臭いがすると思えば、脳漿ではなく、腐敗した材木が発していたのだった。

 乱雑にぶち撒かれていた宝石や宝玉が、硬い音を響かせて床に転げ落ちる。魔族たちに献上するつもりで、それぞれのから携えてきたのだろう。


「貴様が、貴様が殺せないなら……」


 言いかけて、彼は激昂を取りやめた。


「わたしを殺すかね、ご老人」


 ざりざりと、獣の爪が木板をこする音が聞こえる。


「冗談だよ。……どうかやめてくれ、宝石も宝玉もいらない」


 俺の早合点だった。ざりざりという音は、老いた手が貴金属をかき集める音だった。

 進み出る魔王を前にして老人は、金銀は言うにおよばず、拳ほどもある翡翠ひすいや水晶を、皺の多い、くすんだ掌底に転がす。まるでそれらが、お守りであるかのように。

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