4日目

署名と追伸

〔突然の連絡に、驚かれたことだろう。

 念のために署名は避けるが、小生が誰であるか、貴公にはすぐに見当がつくと信じる。


 貴公がどの程度、こちらの文字を解するものか。小生には図りかねるところがある。

 平易な叙述を心がけたが、解釈の容易ならざる箇所が見出されるのであれば、すべてこちらの責である。悪文をご寛恕かんじょいただけるよう。


 いかがお過ごしだろうか。王都は、いまだ雨季が明けていないと仄聞する。

 異界のひとであれば、気候が肌に合わぬことも多いことだろう。体調を崩さぬよう、ゆめゆめご注意召されたい。


 貴公が何を知りたいのか。見当がつかないわけではない。あたう限り、あるがままを書き記す。

 もっとも、ご承知のとおり事態は錯綜している。上述のごとく、曲がりくねった筆致になるのはやむをえないが、どうにか道筋をたどっていただけることを願う。


 例の場所へ、最終的に収容されたのは、およそ6000人、といったところか。

 換言すれば、助かったのは人口の2割だ。


 私兵と、兄上から借り受けた兵とに行わせたことは、次のふたつだった。

 すなわち、中心街は言うに及ばず、この空中都市の端から端までを有鱗馬で走らせ、道具や衣服を収集させ、人間がいればその人間の毛髪を手に入れさせた。

 そしてそれらを魔樹の洞へ投げ込み、この手で〈複生術〉を施した。


 ルナルカの右腕を見ただろうか。手首から先がになっていたかと思うが、それは彼と私との手首を交換したからだ。

 彼いわく、〈複生術〉は術式こそ複雑だが、ひとたび習得してしまえば、魔方陣を描く必要もなく、発動できる代物らしい。


 小生は魔樹の内部で、絶えず待ち構えていた。

 洞は薄暗く、ひんやりとしていた。鍾乳洞に入ったことはあるか? ちょうどあんな感じだ。

 どこからか流れ込む、匂いのない風が襟元を抜けていく。麻布には堪える気温だが、贅沢は言えない。


 魔樹の幹に、ルナルカの、獣の掌底を当てると、一瞬、浅葱色あさぎいろの火花が激しく散った。

 そして不意に、こちらを埋め尽くす勢いで絶えず投げ込まれる、塵芥ちりあくたと形容するにはいささか大き過ぎる物体が、にわかに人形ひとがたを取り始めた。


 どう言葉にすればいいのか、あるいは魔族のなすことを間近で見ている貴公にとっては、小生の驚きこそ、滑稽やもしれぬが……

 炭が、木片が、潰れた梨が、豚の屍骸が、あるいはその周囲を旋回する蝿が、そう、蝿までもが膨らみ、ねじれて、手足を突き出し、指と爪を生やし、骨と筋肉を固め、皮膚を一様に伸ばし、顔貌がんぼうをかたちづくっていった。

 異教的な神秘さえ、たたえた光景だった。畏怖という情動を、あれほどまでに生々しく体感することになるとは。


 それからゆっくりと、己の半分ほどの背丈の小人しょうじんたちが、元の物体の一部が変形した衣服を纏い(帽子を被り、靴を履いた者も紛れていた。元老院の老いぼれだ)、小生を取り巻く光景を見渡した。

 洞は完全に外界と断絶されていた。樹幹そのものが、演習の際の〈膜〉と同じ作用を持っているらしかった。


 当たり前だが、人民たちは混乱していた。

 自分に何が起こったのか理解できずにいたし、そも、統治者の顔を知っている者は少数だ。貴公らが地上で暴動に苦慮していたときに、魔樹の内部でも、似たようなことが起きていたわけだ。


 彼らの動揺をどうにか鎮めた小生は、魔族がルペーニヤを滅ぼそうとしていること、それは未知の、とてつもなく強力な兵器によってなされること、しかしこの場にいれば安全であることを伝えた。

 出口は無いと、無害な嘘をろうしたことを、罪として告白させていただく。弁疏べんそにふける腹積もりはないが、こちらとて必死だった。これぐらいは見過ごしていただきたい。


 さて、その後の顛末は、貴公のほうがよくご存知かもしれない。

 ……結局、計画より遥かに高い位置で爆発した兵器は、地上の構造物を一掃しこそすれ、かろうじて大地だけは崩落を免れた。

 頃合いを見計らい、小生はルナルカの、つまりは自分の手を広げた。手背しゅはいには、刃で刻みつけた〈転送術〉の紋様が描かれていた。


 とはいえ、紋様の大きさからして、一度の発動でひとりを〈転送〉するのが関の山と踏んだ小生は、己自身に〈複生術〉をかけ、手首から先だけを無数に分裂させてから、小人たちにそれら、肉と骨の塊を配り、一斉に術式を発動させた。

 転送先は地上の、かつてのルペーニヤだ。あの辺りはルナルカの生家の領地なのだ。

 どさくさにまぎれ、難民としての身分を登録し、当分は天幕暮らしでもさせるつもりだ。この手紙は、その事務作業の合間に執筆している。


 正直なところ、洞をあらためられ窮地に立たされる局面を想像し、冷や汗をかいていたが、魔王とやらは破壊の結果にしかご興味がおありでないらしい。あれ以来、他の魔族と簡素なやりとりをしたくらいで、さっさと帰ってしまったと聞いている。

 自分が何をしたのか、いまだに理解していないに違いない。永遠に理解しないだろう。


 領地の件について、あの人狐にたずねた際、あの少女は、小生が死んだものと思っていると聞かされた。

 そして、彼女はこうも言ったそうだ。

 人間が死を恐れるのは、死を救済と考えないからだ。死を救済と考えないのは、おのれの罪を知らないからだ。罪とは、おのれの生が、生きるに値しないと知らないことだ。

 罪を知れ。おのれの生の無価値を。さすれば人間は罪深きゆえに、罰を受け、死によって罪を雪がれることを厭わない。


 であれば小生は、いやルペーニヤの人間は、魔族にとでもいうのか?〕

 

〔追伸:

 己を責めるな。貴公はよくやってくれた。感謝する。

 兄者を救えなかったことが心残りだ。〕

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