観光ガイドと副総統

 さて、実験というのは実験をして終わりではない。その結果を考察し、結論を出さねばならない。

 というわけで魔王様は考察のため、連れてきた従者たちと、会議をひらく算段となっている。


 宮廷教師兼実験体の同席は不要と考えたのか、彼女は実験につきあわせたことを軽く詫びると、そろそろ気分転換もかねて視察に出向かれては、と水を向けてくる。

 いや、いいんですけどね。それが当初の予定ですからね。はっきり言ってこれ以上1秒たりとも、あなたの顔を見たくないですし。


「いやはや、思わぬ難題が持ち上がってしまった。あれほど悲惨な生を紡いでいるというのに、なぜ死ぬのを拒む? まったく、よくわからん生き物だな」


 クソ魔族はぼやきながら、手の甲に自分の爪で魔方陣を刻み込む。

 引っ掻いた痕が血色けっしょくを帯びて、紫紺しこんの光を散らし、そして小さな立体図が浮かび上がったかと思うと、紙細工のように組み上がりながら膨らんで、巨大な円卓となる。

 その中心には、親指の断面と同じ紋様が彫り込まれていた。


「おお陛下、これっていつだったか、工作の講義でお作りになった代物じゃねえですかい?」


 そんな声がいきなり響いて、俺は爆速で壁際にダッシュ。背後の死角をつぶして、距離を取る。

 誰だ。聞いたことある声だぞ。

 そして魔王様はといえば、木板に薄く伸びる自分の影に話しかけている。

 怖い。何してんのこの子。


「そのとおりだが、喧伝けんでんするように言わないでくれ」


「いいじゃねえですか、照れなくても」


 声は影の中から聞こえてくる。もちろん影は足下に映り込むものなので、中も何もないのだが、とにかく傍目はためにはそう見える。

 魔族は影と会話する――その一文を、俺は心のnodebookにメモした。


「おい奴隷」


 影は唐突に低い声で、主を奴隷呼ばわり。なんたる不敬。銃殺刑を推奨する。


「てめえだよボケ。さっきまで泣き叫んで小便漏らしてた、下等生物のてめえだ。……聞いてんのか、殺すぞ」


 漏らしていないので俺に言っているはずはなく、したがって返事はしない。無視。あーうるさい。


「ち、お高く留まりやがって……」


「ジアコモ、喧嘩はよしてくれ。……センセイ、その、われわれのことは気にせずに、どうぞご出発を」


「はい、そうさせていただきます。失礼いたします」


 どうもすっきりしないが、とにかく一礼。様子をうかがっていたキタキツネとおっさんに向けて、無言でうなずく。

 なんで俺がリーダーみたいになってんだ。勘弁してくれ。



 魔術で天空に飛ばされたとはいえ、地下水脈や火山の活動が停止したわけではない。物理的には寸断されたとしても、元来がひとつながりであったからには、地学的な特質が損なわれるわけではない。

 街路にたちこめる硫黄の臭いを嗅ぎながら、俺はそう解釈した。


 あらゆる街角は、薄明の霧に包まれていた。頬に触れる熱や襟足の湿る感覚によって、それはおそらく、地中から噴き出る蒸気なのだと推測された。

 喉仏のすぐ下に、ふたつだけ取り付けられたボタンのひとつを外し、顎に垂れる汗を手の甲で拭う。空に向かって蒸気が伸び上がり、曇天を偽装していた。


「ここはもともと鉱業のみならず、貿易の中心地として高名であった都市だ。つまり、違法な狩猟に従事するならず者や、取引の半ばに分け入り、手数料とか紹介料とか称して、財を掠め取る詐欺師の温床でもあったわけだ。わかるかい?」


 ルナルカさんは汗ひとつかかずに、こちらをふり向いて講釈をつける。

 靴は履いていない。地味ちみが悪いため、ここの魔族は履き物を好まない。おのれの足指で地を穿うがつほうが、よほど歩調が安定する。彼はそんなことも言い足した。


 近くで甲高い音が聞こえ、見ると路上に座った、麦わら帽子のようなものを被った老婆が、赤茶けた角笛つのぶえを吹いている。

 舗装のない往来の泥を跳ね上げて、全裸の少年たちが寄り集まり、手を叩く。爪には泥が詰まっていた。


 がたがたと、立てつけの悪い音を立てて、軒先から突き出た水車がいくつも回っている。車軸しゃじく以外は木製で、黄土色に濁った汚水を、汲み上げては吐き出し、回転している。

 そのうちひとつが、目の前で損壊した。まったくもって唐突に。巨大な手に押しつぶされるように崩れ落ち、足元に飛沫しぶきがかかる。


 あわてて避けると、水たまりを踏んでしまった。踵を持ち上げると、薄い靴底が厚い泥に沈んでいた。

 閉口していると、目の前から怒号が聞こえてくる。巨大な荷車を引いた、股引と腰布だけの男が、上腕を緊張させ、吊り上がった眼で睨んでいる。


 身体を動かし通路を空けると、泥に逆らうように進みながら、こちらに唾を吐く。今度は避けられなかった。頬に張りついた唾液を指でぬぐう。

 振り返ると、男は自分の手のひらではなをかみ、泡立つ黄色い鼻水を建物の土壁になすりつけていた。


「世界内戦の終結後、そういった連中が野放しになり、都市は猖獗しょうけつをきわめた。そこで前魔王陛下が不届き者を一掃すると同時に、虐げられし奴隷どものための空中庭園バビロンを創造された次第だ」


?」


 たずねると、露骨に肩をすくめられた。


「やれやれ、今さらそんなことを聞くのか。博士の本はちゃんと読んでいるのか?」


「なんでそれを」


 反射的にたずね返し、すぐに後悔する。博士と顔見知りであることを、これでは暴露しているようなものだ。それに馬鹿正直に質問して、本当のところを教えてくれるとは限らない。相手は魔族だ。


「なんでも、さ。で?」


「いえ、不勉強ながら、魔界の文字をまだ読めず……」


「んな馬鹿な。こうして会話ができてるってことは、翻訳関係の〈臓器〉を入れてるはずだろ?」


「……うまく動作していないそうで」


「……さてこちらにありますのは、ルペーニヤで最も大きな時計台であります。御覧のとおり、魔樹の内部に時計盤が埋め込まれておりまして、市民は無償でいつでも現在時刻を知ることができるというわけですな。いっぽう、これはニンゲンに無学と蛮習を克服させ、文化的な生活をお与えにならんとする王族皆様がたの御慈悲の象徴としても――」


 ルナルカさんはあわれみの視線を逸らし、観光ガイドを始めた。

 クーベルツェさんが代わりのようにこちらを見る。ふたりともそんな眼で見ないで。



 ルペーニヤのひとびとにまつわる第一印象は、歯並びが悪い、だった。

 霧の向こうから叫び声が聞こえたかと思えば、すれ違いざまに口臭を吐き散らし、黄ばんだ、あるいは黒ずんだ乱杭歯をと鳴らしながら、腰の曲がった老爺ろうやや老婆が通り過ぎる様子を、何度も見た。

 毛髪はやにだらけで、皮膚は垢がひび割れながら盛り上がり、上半身に服を着ていればまともなほうで、ひどい場合は素っ裸で平然としている。


 想像以上に劣悪な生活環境が垣間見え、正直なところ内心では辟易していた。

 勤め先の保健室で打ったワクチンは、麻疹に風疹にB型肝炎に破傷風、そんなところだ。

 この地に未知の病原菌がいないことを、ひそかに願った。


 そうして街の外れまで歩いてきたとき、不意に硬い音がまばらに聞こえてきた。

 狭苦しい、煉瓦がまばらに盛り上がる、中心から離れるほど粗悪になっていった街道の向こうから、突如として馬がやってくる。いや、どう言えばいいのか……翼のない竜、あるいは鱗の生えた馬、……そのような生き物が、蹄を鳴らして駆けてくる。


「止まれ!」


 沈黙していたクーベルツェさんが短く、よく通る大声で命じた。

 途端に生き物は減速し、やがて俺たちの傍らで止まる。手綱を握っていたのは、鼻梁が瘤のように膨らんだ中年の男だ。頬が赤い。酔っているのではないかと、とっさに思った。


「何をしている。仮にも魔族の王君が滞在されているというのに」


「これはこれは、殿――」


 言いかけた男の足首に、太い腕が伸びる。

 予想だにしない力でくつわを引っ張られた生き物が、首をよじりながら、いななく。馬主が地面に頭から転げ、額を割る硬い音が同時に響く。


 うつ伏せのままのろのろと上体を起こすと、彼は赤錆びた色合いの血を垂らし、呆けたように俺たちを見上げる。

 苦痛ではなく、困惑に染まった表情で。


「副総統、だ」


 クーベルツェさんは冷然と言い放った。

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