お菓子の家とミラーボール

 夜の街にいた。星はなく、街灯はなく、それでもあたりは明るい。夜明けに向かう夜の色味いろみ

 人影のない街は、小さかった。狭いのではなく、全体が縮小されたように小さい。どの建物の屋根も俺の肩より低く、どの窓も俺の頭より小さい。玄関は、ついていない。外見そとみばかり整って、原色とも思えるほど鮮やかな塗装を施されながら、入り口も出口もない。

 沈黙する連なりは、つくりたての廃墟のようだ。



 昨日のうたた寝で見たのは、そんな夢だ。細かいところはあやふやだが、とにかく縮小された街を歩く夢。歩いたあげく、どこかにたどり着くのだが、どこだったかは忘れてしまった。

 もちろんそんなこと、実験を提案した誰かさんは知るよしもない。

 こちらも特段しゃべる気はない。小学生じゃあるまいし、いいトシこいて自分の見た夢の話をするだなんて、そんなことは。


「一度、糖粘雪で菓子の家をつくってみたかったんだ」


 自分の抱いていた夢と、その実現の成果を語る少女は、人間でいえば小学校高学年にさしかかるお年頃だ。

 お菓子の家。縮小された指で、目の前のまっさらな壁に触れると、かすかに沈み込む感触がある。

 指先に甘味の匂いが残り、吐き気がした。


「溶けてしまうのはもったいないなあ。ニンゲンの身体と融点も沸点も同じ物質はこれだけだから、致し方ないといえばそれまでだが」


 それならば、魔術で小さくした俺を放り込まずともよいのではないか。そう疑うのも当然だが、死に損なって苦しむ可能性はあるのか、苦しむとすればどの程度かを、確認しておきたいのだという。

 俺のことは、もったいなくないのだろうか?



「ぶはっ」


 小さくなった宮廷教師兼奴隷を一目見た瞬間、キタキツネっぽい姿に変身済みの総合監察官殿は、盛大に噴き出した。

 素早く別の方向を向くのだが、左右にならぶ白い髭が、秋風に吹かれるのように、そよそよと揺れている。

 口元が、細かく動いているにちがいなかった。なぜ細かく動いているのかというと、笑いをこらえているからにちがいなかった。


「ふふ、お前、ふふっ……小さいな……」


 アサガオの種を見た、小学1年生のような感想をつぶやく。今年は夏休みの課題に向けて、紫とか白だけじゃなくもっとカラフルな品種にするとかしないとか、そんな話が職場で持ち上がっている。

 そういえば、具体的なことを考えていなかった。どうしよう。やっぱり好きな色を選んでもらおうか。生徒の自主性を尊重して。いや、どれかの色に人気が集中すると面倒だから、種だけ選ばせて、どんな色の花が咲くかは、育ててみてのお楽しみにするか。

 悩みどころだなあ。


「あ、アサガオ……この期に及んで……」


 俺の思考をなぜかバッチリ読み取ったクソキツネは、腹をかかえてのたうち回っている。

 出会った当初から感じていたが、彼はいささか仕草が大仰だ。仕事中なのにいいのだろうか。それとも仕事では演技しないとダメなタイプなのか。だとしたら気持ちはわかる。


「センセイ」


「へぁっ?」


「どうだろうか、ルペーニヤの模型ミニチュアは」


「……ああ、いいんじゃないですか」


「そうか」


 いっぽう、魔王様は適当な返事にもご満悦だ。

 虫の入るような透明な箱の外側で、机の上の俺に目線を合わせて、にっこりと笑いかけてくれる。


「ただの実験だからな。肩の力を抜いて、気楽にしてくれ」


「気楽にしていれば命は助かりますか?」


「今回は放射線の影響は考慮せず、爆風と熱線についての記録データを採集する」


 にっこりと俺を無視したライオン娘は、手のひらに乗せた、小さなミラーボールのようなものを差し出した。


胚球ハイキューと似ているが、これは製菓用の熱炉オーブンだ。一瞬で温度が上昇するように細工してある」


 言いながら、ミラーボールを俺のいる街へ投げ込む。小さくなっていない魔族の手のひらほどの大きさだから、小さな街にとっては怪獣ぐらいの感覚。

 しかし、菓子の屋根が押しつぶされることはない。ミラーボールは空中で静止し、惑星の自転と同じ要領で回り始めたからだ。


「しばらく待ってくれ。少し時間がかかる」

 

 魔王様はそう言うと、屈めていた身体を起こした。巨大な視線は遠ざかり、ほんとうに怪獣を下から見上げる感じになる。

 少しというのが「少し」であることは、早々に閉められた蓋と光源の消失、周囲を閉ざす闇の密度で、容易に察せられた。


 巨大な雪平鍋の中に、自分が閉じ込められている。そんな状況を連想した。今から自分はとっくりと煮しめられて、後には骨さえ残らない……

 いや一瞬で焼き殺されるってのに鍋も何もないし、煮るんじゃなくて、たとえるならえっと、天ぷら鍋に投げ込まれた……天ぷらみたいな、灼熱の……


「うわあああ! 死にたくない死にたくない死にたくない!」


 だめだった。我慢の限界。無理。

 

「ここから出せクソがあああっ! ひぎぃゃああああぁぁぁんっ!」


 足下の履き物を脱いで手に持って、そんで闇の中の壁を縦横無尽にがんがんと殴る。

 なんで俺だけこんな異世界?


「もうやだ、もうやだもうやだもうやだほんと無理、無理、無理だからあああぁ! うあああああ!」


 当然のごとく泣き始めているのだが、泣いたところで現実は変わらない。宙づりにされた水平の自転は加速し、甲高い音を立てて今にも弾けそうだ。

 そして突然に俺は盲目となる。あまりに光が強く、一瞬にして目が眩んでしまったからだ。


 光は最も速く到来し、次に破壊が、最後に熱風が来る。

 そのすべてにさらされたにも関わらず、どの時点で死んだのかさえ見当がつかない。光に視力を遮られ、吹き飛ぶ菓子の瓦礫に全身を打たれ、膨大な反応熱に焼かれる。

 どの時点でどうなるかに関わらず、俺は完膚無きまでに、殺されている。



 ところで、こんなふうにしてはばかりなく、社会人にもなって恥知らずにも、叫んでわめいて命乞いをしたのは、閉ざされた街なら漏れ聞こえはしないと、そう考えていたからだ。

 まさか録音と録画をなされているとは、思いもよらない。


《うわあああ! 死にたくない死にたくない死にたくない! ここから出せクソがあああっ! ひぎぃゃああああぁぁぁんっ! もうやだ、もうやだもうやだもうやだほんと無理、無理、無理だからあああぁ! うあああああ!》


 魔王様は球体の表面に映り込む歪んだ図像の中で、鼻水を垂らしてわめき立てる成人男性を見ながら、胸元に抱えた菓子の焼け残りをつまんでいる。

 ときおり端っこがほろほろと崩れて、焦げた匂いが漂った。


「まるで赤ん坊だな……」


 試合の解説にいそしむ、元プロ野球監督の表情と口ぶりでひとしきりつぶやき、左側に突っ立つクロフュスをふり仰ぐ。

 俺は右側に、首輪をつけられて立っている。

 何が悲しくて、自分で自分の悲鳴を聞かねばならない?


「陛下。何ぞお尋ねになる心積もりであらば、僭越ながら私ではなく、隣にいる者をあてにすべきかと存じますが」


 老木のようにくすんだ角を揺らして、屈んだ体勢から背を伸ばしたクロフュスが俺を見る。

 片方が傷でふさがった隻眼は、極端に表情が読みづらい。

 黒く膨らんだ鼻から吐息が聞こえてくるが、それが苛立ちゆえか、単なる呼気こきなのかもわからない。


「うむ、それもそうだな。センセイ?」


「はい」


「ニンゲンというのは、死ぬ間際に幼児退行を起こす生き物なのか?」


「説明させていただいてもよろしいでしょうか?」


「許可する」


「エリザベス・キューブラ・ロスという異界の医師によれば、人間が死を受容するまでのプロセスには5つの段階があるそうです。まず死ぬことを認めない段階、つぎに自分が死ぬことに怒りを覚える段階、それから死を回避しようと取り引きを持ちかける段階、そしてすべてに絶望する段階。最後に、死を受け容れる段階」


 すっげえ。我ながらすらすらと出てきた。


「つまり、みずからの死を受け容れていない場合、先刻のセンセイのような恐慌状態に陥る可能性が高いと」


「そうですね」


「なるほど、これで理解できたぞ」


 何がですか?

 そうたずねるより早く、耳をぴんぴんと揺らしながら得意げな推理を口にする。


「先ほどのご老人らの反応だよ。あれほど騒がしかったのは、みずからの滅亡を受け容れていないことが原因と見た。ルナルカ、君もそう思うだろう?」


 先ほどまでの威勢はどこへやら、泣きわめく実験体の様子にドン引きしていたルナルカさんは、突然の指名にあわてて膝を折る。

 隣でうつむいていたクーベルツェさんの裾をつかみ、強引に同じ姿勢を取らせながら。


「まことのご賢察、この卑しき小官吏めは、感服いたすばかりでございます。さだめし仰せの通りでございましょう」


 そんなおべっかを澱みなく口にする。よく舌が回るなあ。

 しかしおべっかを向けられたほうは、たいして関心もなさげにうなずいて、今度は自分の従者に矛先を向ける。


「ひるがえって考えるに、なすべきは彼らの教化だな。つまり、みずからの運命を、彼らに受け容れさせることこそ、わたしの使命。……と思うのだが、どうだろうかクロフュス、何か意見は?」


「陛下、私は字引きではありませぬゆえ、あらゆるご質問に答えを持ち合わせているわけではございませぬ。ましてや此度は貴方様の研究であるのだから、貴方様の見解については、他ならぬ貴方様の責において判断なり、実行なりをされるがよかろう」


 丸投げじゃねーかと思っていたら、丸投げした野郎がこちらを一瞥する。

 相変わらず、とても鋭い眼つきだ。一瞥しているのか睨んでいるのかさえ判断がつかないが、なんとなく言いたいことはわかってしまう――余計な口出しはするな。


「あ、ああ。そうだな」


 ふう、とため息をついた魔王様は、それにしても、とか口にしながら、同意を求めるような苦笑を浮かべる。


「彼らときたら、さきほどは魔族に滅ぼされるという喜悦に気が動転し、あのような様子を見せたのだと、そう思っていたが」


「そう見えたんですか? そうですか」


「……。あれほど惰弱で、死にやすい生き物が」


 絶句している小学生に向けて、当たり前だが何を言う気力もなく、俺は無言でうなずくばかりだった。

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