変装と視神経

 ところで恒例になってきたが、またしても俺は勘違いをしていた。あの場に魔族は3名いたのだ。ひとりは魔王、もうひとりはクロフュス、もうひとりはルナルカさん。

 なぜ人間の姿だったかというと、人狐だから。

 つまり人狼と同じく人間に化けられる。



 ひとまず同じ建物の、調度品の整えられている角部屋に退避したタイミングで、その正体を開陳されることとなった。


「騙すようで悪いが、俺はちょいと変装をしている。紛らわしいんで、今のうちに種明かししておこう」


 めっちゃ普通のテンションで言うので、危うく聞き逃すところだった。

 ちなみにというか、目の前にいる優男は、さっぱりとした二重といい、立派すぎない鼻と頬のつくりといい、指が長くて端正な手といい、けっこうな男前である。

 これが変装? その変装を俺にくれよ。


「え? あっ、はい」


 わけがわからず返事をすると、そのきれいな手をもう一度差し出され、しかしそこにはぶわりと黒い、キタキツネの体毛が密生。

 わちゃあ。


、俺は魔族だ。……あまり驚かんな?」


「……いや、ちょっと、びっくりするわけにはいかなくて……」


 びっくりして心臓が止まったらみんな死ぬし。


「もっと見たければ、後ほど」


 見たいとはひとことも言っていないが、内緒話であることを促すように、人間の形状を保つ自分の口元に指を当てた。


「いえ、すみません、なんというか……」


 もそもそと言い訳を試みるが、聞いているのかいないのか、胸ポケットから取り出した白手袋で、ルナルカさんは毛むくじゃらの手の甲を隠してしまうのだった。



 魔王様の休暇を利用したジェノサイドにあたって、さっそく詳細な予定を知らされることになる。

 すぐに滅ぼす算段かとビクビクしていたが、そういうわけでもないらしい。そうでなければ、3日も猶予を設けはしないだろうが。


「まず、これから模型ミニチュアを用いた実験を行う。センセイには〈虚函〉という容れ物に入っていただいて、わたしが術式で組んだ爆弾で、爆死していただく。本番はセンセイそのものが爆弾なわけで、役割がちょうど逆になる。なんだかおもしろいな」


 おもしろくない。


「……心停止で爆発」


「ああ、その点は問題ない。函には遮蔽用の蓋をする」


 俺はもさもさとゆれる、垂穂のようにふくよかな尻尾を見下ろす。尻尾の持ち主と目線を合わせるのを、避けるために。


「実験を終えてから、簡単に結果を検証する。わたしとクロフュス、それにジアコモはこちらに残って会議をするから、そのあいだにルナルカとクーベルツェ副総統に市街地を案内してもらうといい。明日は昼に〈自治区〉議長との会食。そこで段取りを再確認し、問題がなければ夕方に予行演習を決行。そして明後日、日の出の時刻に滅ぼす!」


 ざっくりした計画を宣言して、拳を握りしめてみせる。

 深呼吸しながら天井を見上げていると、服の裾を引っぱる力に気づく。少しばかり屈んでやると、耳元でささやかれた。


「彼らには言っていないのだが、手隙てすきの時間に課題をすませたい。ご指導を乞いたいのだが……」


 課題?

 内容にもよるが(どうせろくなものじゃない)、断るのも心証が悪いかもしれない。

 軽くうなずきながらルナルカさんを見ると、こちらの視線を察したように近づいてきて、そのまま膝を折る。


「陛下」


 呼びかけに気づいた魔王様は、とたんに俺から離れて、愛想のよい愛想笑いで迎え撃つ。

 険悪な仲なのかと誤解しかけるが、そういうことでもなさそうだ。事務的な付き合いに徹したいのだろう。政務官だかを相手取るならそんなもんかと、自分を納得させた。


 対する人狐はゆったりとその場にひざまずいて、新雪のように真っ白な手首を取ると、片膝を砂と泥で汚しながら、手の甲に唇を当てる。

 くどいようだが、毛だらけなので唇がどこなのか区別がつかない。


「このルナルカ、畏れ多くも貴きご勅命、しかと賜わりました。御心を為すため、身を粉にして働かせていただきましょうぞ」


「……彼はちょっと変わっていて、決してわたしが強権をふるっているわけではないぞ」


「はあ」


 真顔で言い訳するのを聞き流し、適当に返事をしておく。問題はこいつらではなく、隣で跪きっぱなしのロン毛のおっさんだ。どう声をかければいいのかわからない。

 ルナルカさんが口上を述べ終えたとき、全身がかすかに震えるのを見過ごせていたらよかったのだが、またしても後悔先に立たずである。



 屋外にある、馬の水飲み場で身体を流し(泥の混じった汚水だが、注文をつけてはいられない)、ついでに防護服も洗ってから、上下半袖の麻服を拝借する。

 クーベルツェさんの寝間着ということで、ちょっとサイズが大きい。長めの裾は丸めて調節した。


 ベルト代わりの腰紐をぎゅっと縛ってから、雪駄と草履を掛け合わせたような履き物をつっかけ、最後尾につく。

 オピバニアの博物館を訪れたときと同じように。


「さっぱりしたな。水もしたたる、いい男だ」


 ニヤニヤといやらしい笑みを浮かべたルナルカさんは、そんなことを言いながら、こちらの頭からつま先までを眺め回す。

 この眺め回し方をするのは、彼に限らない。思い返せばトドも博士たちも、魔王様ですら同じ仕草で、ことあるごとに全身をじろじろと見つめてくるのだ。

 そういう文化的慣習なのだろうか。どうにも居心地が悪い。


「貸していただいて、ありがとうございました」


 居心地が悪いので、いやらしい笑みとは視線を合わせず、クーベルツェさんに向かって頭を下げた。灰色の眉がかすかに持ち上がるさまが、視界をかすめる。

 頭を下げた俺の隣では、教え子が従者のように(というか実際に従者だが)腰を屈めるクロフュスに、耳打ちしている。

 と思ったらこちらを見た。


「身支度が済んだ間際まぎわで申し訳ないが、さっそく実験を……いや申し訳ない、予定が過密というか、ひとえにこれはわたしの手抜かりなのだが……」


「陛下。無駄口を叩く暇があらば、早急に準備をなさるよう」


「うんわかった、すまんクロフュス。というわけでセンセイ、その、……が、がんばるぞっ!」


 は? 死ね。

 とはいえ一応は、小学校教諭の端くれなわけでして、クソシカの言い方がしゃくにさわらないこともない(もっとちゃんとサポートしてやれよ)。

 しかし口を出す気もない。俺はこいつらに対して、自分の仕事をしようという気が微塵もないのである。


「……はい、承知しました」


「では、皆々よろしく頼む」


「はっ!」


 いつの間にやら片肘をついたルナルカさんが、威勢よく返事をした。知らないところで段取りがすでに決まっていた雰囲気。

 異論はない、というか異論が聞き入れられる気がしないので付和雷同、沈黙と作り笑いをキープ。


 するとブチブチッという、アース線を引きちぎるような音がして、見ると魔王様が笑いながら、自分で自分の右目を引き抜いている。

 ぽっかりと空いた穴からは、親指から噴き出たのと同じ黒い体液が、塗料のように粘っこく垂れ落ちていく。

 引きちぎられた視神経が、ゆで上がって鍋のふちに残されたのように、所在なくぶら下がっている。


「せっかくだから、センセイのひたいにこれを埋め込もう。ニンゲンの視点で逝くのも悪くない」


 ナイスな思いつきの産物を手のひらに乗せて、腰を抜かした奴隷ちゃんにずんずん接近してくる。

 あとで報告書でもなんでも出すから勘弁しやがれと絶叫しつつ、パジャマを貸してくれたおっさんの背後に全力で隠れた。

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