致命傷と白黒映画
「……ルペーニヤのみなさんから、承諾は得ているのでしょうか?」
自画自賛になるけど、短時間で考えたわりには悪くない質問だ。
質問されたほうからすれば、簡潔で答えやすい。質問したほうからすれば、否定の返事を得た瞬間に、中止を提言できる。
「承諾? もちろん得ている」
即答だ。
「嘘やん」
「嘘ではない」
頭上の影が近づく。影絵のような墨色の鳩は、装飾のない
羽根が飛び散ることも、血が噴き出すこともない。引き裂かれたものはすでに、鳩ではなく、新聞紙の束に変じているから。
唖然としている暇もなく、事態はスムーズに進行していく。
ひろげられた誌面は、中央アジアの絹織物を連想させる、
柱時計の数字に似た文字が、
「読めるか?」
即答の内容に動じるあまり(自分たちの殲滅を承諾する人間が、この世にいることを想定していなかった)、とっさに声が出ない。無言で首をふる。
「そうか、〈翻訳器官〉がうまく作動していないのだな。……大丈夫か? 顔色が悪い」
「大丈夫でっす」
舌を噛んだ。
「ならいい。……これは、私的に匿名で出した新聞広告だ」
「新聞広告」
俺がこんな目に遭っている原因だった。
「要約すると、こう書いてある。『ニンゲンの自助的殲滅のための候補地を募る』」
自助的殲滅?
「対して
「ちょいちょい、ちょい待ち」
「ん?」
「ん? じゃないっす」
おかしいだろ。なんで公人(人間じゃないけど)のお前が、私的に新聞広告を出してんだよ。そしてなんで、最高責任者がわざわざ返事をよこすんだ。
しかも匿名で出したはずなのに、向こうは広告主が誰かを把握している(魔王女殿下などと、ばっちり名指しだ)。
「変でしょ? 変じゃないですか?」
「うーん、たまたまじゃないか? そこまでこだわる話でもないのでは?」
「なんでだよ、なんでですか、たまたまで済ませるのは、いやそこじゃなくて、それはどうでもいいけど何が、言いたかったんだっけ……あれっ?」
「……いろいろと言い
端正な面持ちを崩すことなく、心配げに眉根を寄せる。
「そう。そうです」
断言した瞬間、首から上がロケットのように発射。天井のシャンデリアに頭をぶつける。眼下は血の海だ。
予想はしていたが早すぎる。もうちょい時間をくれ。
考える時間を。
*
「嘘をつく意味がわからない。何か、つらいことでも?」
球根を土に植える手つきで、正座した俺の胴体に俺の頭を乗せながら、少女は心配そうな顔。つらさの原因はお前だクソガキ。
「僕のことはどうでもいいんです。それより本当に承諾を? 畏れ多くも確認させていただきますが」
「わたしは、嘘はつかない。貴殿と違って」
「……なるほど?」
どうやら行くのは確定だが、あきらめきれない。
「なぜ、ルペーニヤの人間を滅ぼそうと?」
「大量破壊兵器の試験運用のためだ。隔離された土地であるがゆえ、どの程度の効果があるのかを検証するのに適していると考えた」
「お、おおう、そうですかそれじゃあ、あの、実験をするにしてもルペーニヤじゃなくてもいいよ被害が出ない場所のほうがいいよって、思うんですがどうでしょうか?」
「場所を変えるべき、と」
「そうですそうです、えっとたとえば大海原のど真ん中とか」
「いや、それはまずい。ご存知ないかもしれんが、魔族には
人間は?
「えっ? すまん、何か申したか?」
「人間は?」
「ニンゲンは、よかろう。べつに」
めっちゃ真顔で断言されて、それ以上の反論に出遅れる。
それが致命傷だ。
「思い出してほしいのは、われらの研究は
していない。それはてめえの都合だ。
あと、われらって呼ぶな。共犯扱いやめて。
「ルペーニヤのような閉ざされた空間での殲滅が可能なら、他の土地でも応用がきくだろう。ニンゲンの生息区域は基本的に、魔族の居住域からは隔離されているのだから。なればこそ、今回の
あかん。どうやら手詰まり一歩手前だ。
とにかく、とにかくこの場は辞すべき。話を切り上げて冷静になって、対処法をあらためて考えよう。
よし。
「わ、わ、かり、ました。ちなみにし、しっぱつは」
「出発か? 明朝だ」
「ほああああっ!?」
「わ、びっくりした。急に大声を出さないでくれ」
ライオン特有の丸い耳と肩をふるわせる仕草に、罪悪感を抱く時間もない。
「みょう、ちょっ、おまっバカ、マジでバカっ!? ふざけんなこの野郎マジでおまえさあああ!?」
「あっそうか、ニンゲンは夜に眠る習性があるのか!……その、魔族は睡眠を摂る必要がないから、時間の感覚がセンセイと異なるのだ」
そうじゃない。
出発が早すぎて、フィールドワークを止めようがない。
「そうだな、こんな時間まで起きている場合ではない。早く眠りたいのに、遠慮して言い出せなかったのだろう? それで悩んでいて、鬱憤がたまり、その気もないのに嘘をついてしまった。そういうことだな?」
自己完結して椅子から降りたクソガキは、尻尾をゆらし、扉へ向けて歩き始める。
「今からでも遅くない、寝台で横になろう。来た道は覚えているか?」
「あのあのあの」
「迷うといけないから、わたしが案内する。ついてきて」
「あのぉっ!」
とっさの判断で、仕立てのよい紺色の寝間着に向けて、叫ぶ。遠ざかる後ろ姿を引きとめるみたいに。
「うん?」
「これから、特別授業をさせていただいてもよろしいでしょうかっ!?」
*
驚くべき幸運だった。目当てのブルーレイディスクは、書斎の棚にちゃんと収納されていた。『はだしのゲン』、もしくは『風が吹くとき』がベストであったわけだが、こいつも悪くない。
子ども向けの内容じゃないにせよ、またしても俺の私物であるにせよ(パッケージに傷がついている)、この偶然に今は感謝したい。
ブツを小脇にはさみ、俺は魔王様に付き従って自室へ帰還。遠回りでいいから誰とも会わないルートを、なんてお願いしながら(これからやることを考えると、人目というか魔族目につきたくない)。
奴隷を付き従えて扉を開けた少女は、うめき声とうなり声の中間の音を鳴らした。
「……これは、倉庫ではないのか?
自分の書斎と、奴隷の独房との落差に、ショックを受けたご様子だ。
「もう少し上等な部屋を用意するよう、言いつけるべきだったか」
言いながら勝手にベッドに腰かける。安手のスプリングがぎちぎちと鳴った。
俺はその様子を監視しつつ、後ろ手でゆっくりと、音を立てないように扉を閉める。
オッケー。これでふたりきりだ。
部屋の床に置いていたパソコンをスリープモードから復帰させ、爆速でEドライブをシャッ、ディスクをガッ。
生徒に画面を差し向け、自分はその真横に陣取る。内容はだいたい覚えているし、古い白黒映画なので大人の解説が必要かもしれない。そう判断してのポジショニングだった。
「いいのか? 眠らなくて」
「いいんです」
「かくせんそう、の恐ろしさを伝える物語ということだが、実験とどのような関係が?」
「いいから観てください」
「そもそも、つくり話に興味はないのだが」
「いいから」
このようにして、鬼教官の個別指導は開始された。教科は道徳。勝負は、この1時間33分。
覚悟しやがれクソガキ、大量破壊兵器の恐ろしさをこれでもかというほど叩き込んでやる、人類を滅ぼすモチベーションを罪悪感で塗りつぶしてやる、一生消えない傷を心に負わせてやる、泣いたり笑ったりできなくしてやる!
教諭生活史上最もゲスい気合いを、死ぬ気で自分に言い聞かせるのだった。
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