致命傷と白黒映画

「……ルペーニヤのみなさんから、承諾は得ているのでしょうか?」


 自画自賛になるけど、短時間で考えたわりには悪くない質問だ。

 質問されたほうからすれば、簡潔で答えやすい。質問したほうからすれば、否定の返事を得た瞬間に、中止を提言できる。


「承諾? もちろん得ている」


 即答だ。


「嘘やん」


「嘘ではない」


 頭上の影が近づく。影絵のような墨色の鳩は、装飾のない寛衣ローブの胸元にもぐりこみ、首を丸める。細い腕がそれを抱き締め、そして引き裂く。

 羽根が飛び散ることも、血が噴き出すこともない。引き裂かれたものはすでに、鳩ではなく、新聞紙の束に変じているから。


 唖然としている暇もなく、事態はスムーズに進行していく。

 ひろげられた誌面は、中央アジアの絹織物を連想させる、絢爛けんらんな原色に彩られている。

 柱時計の数字に似た文字が、紙魚しみのような形象で固着していた。


「読めるか?」


 即答の内容に動じるあまり(自分たちの殲滅を承諾する人間が、この世にいることを想定していなかった)、とっさに声が出ない。無言で首をふる。


「そうか、〈翻訳器官〉がうまく作動していないのだな。……大丈夫か? 顔色が悪い」


「大丈夫でっす」


 舌を噛んだ。


「ならいい。……これは、私的に匿名で出した新聞広告だ」


「新聞広告」


 俺がこんな目に遭っている原因だった。


「要約すると、こう書いてある。『ニンゲンののための候補地を募る』」


 自助的殲滅?


「対して現地ルペーニヤの最高責任者の返答はこうだ。『偉大なる魔王女殿下、このたびの殲滅候補地の選定に、畏れ多くもわがルペーニヤを推挙いたします愚行を、寛大なる御心みこころにてお赦しくださいますよう』。魔王女というのは、昨日までのわたしの立場だな。臣下の者らが殿下と言うと、いまだに自分が呼ばれているのだと勘違いして、とっさにふりかえってしまうのだ。あれは恥ずかしいぞ! センセイにもそういう経験はあるか?」


「ちょいちょい、ちょい待ち」


「ん?」


「ん? じゃないっす」


 おかしいだろ。なんで公人(人間じゃないけど)のお前が、私的に新聞広告を出してんだよ。そしてなんで、最高責任者がわざわざ返事をよこすんだ。

 しかも匿名で出したはずなのに、向こうは広告主が誰かを把握している(魔王女殿下などと、ばっちり名指しだ)。


「変でしょ? 変じゃないですか?」


「うーん、たまたまじゃないか? そこまでこだわる話でもないのでは?」


「なんでだよ、なんでですか、たまたまで済ませるのは、いやそこじゃなくて、それはどうでもいいけど何が、言いたかったんだっけ……あれっ?」


「……いろいろと言いつのっているが、もしかして飛行竜ドラゴンに乗りたくないだけでは?」


 端正な面持ちを崩すことなく、心配げに眉根を寄せる。


「そう。そうです」


 断言した瞬間、首から上がロケットのように発射。天井のシャンデリアに頭をぶつける。眼下は血の海だ。

 予想はしていたが早すぎる。もうちょい時間をくれ。

 考える時間を。



「嘘をつく意味がわからない。何か、つらいことでも?」


 球根を土に植える手つきで、正座した俺の胴体に俺の頭を乗せながら、少女は心配そうな顔。つらさの原因はお前だクソガキ。


「僕のことはどうでもいいんです。それより本当に承諾を? 畏れ多くも確認させていただきますが」


「わたしは、嘘はつかない。貴殿と違って」


「……なるほど?」


 どうやら行くのは確定だが、あきらめきれない。


「なぜ、ルペーニヤの人間を滅ぼそうと?」


「大量破壊兵器の試験運用のためだ。隔離された土地であるがゆえ、どの程度の効果があるのかを検証するのに適していると考えた」


「お、おおう、そうですかそれじゃあ、あの、実験をするにしてもルペーニヤじゃなくてもいいよ被害が出ない場所のほうがいいよって、思うんですがどうでしょうか?」


「場所を変えるべき、と」


「そうですそうです、えっとたとえば大海原のど真ん中とか」


「いや、それはまずい。ご存知ないかもしれんが、魔族には水棲すいせいの者たちも多くいるのだ。政治史的にも複雑ナイーブな地域だし、そもそも同族の殺戮に、いかに私的な研究とはいえ王族が加担するなど、断じて赦されざる愚行だ」


 人間は?


「えっ? すまん、何か申したか?」


「人間は?」


「ニンゲンは、よかろう。べつに」


 めっちゃ真顔で断言されて、それ以上の反論に出遅れる。

 それが致命傷だ。


「思い出してほしいのは、の研究は実践的クリティカルなものであるという点だ。われらは殲滅のための方法論の研究にあきたらず、。そのことは承知しているだろう?」


 していない。それはてめえの都合だ。

 あと、われらって呼ぶな。共犯扱いやめて。


「ルペーニヤのような閉ざされた空間での殲滅が可能なら、他の土地でも応用がきくだろう。ニンゲンの生息区域は基本的に、魔族の居住域からは隔離されているのだから。なればこそ、今回の遠征フィールドワークはきわめて重要だ。重圧をかけるようで申し訳ないが」


 あかん。どうやら手詰まり一歩手前だ。

 とにかく、とにかくこの場は辞すべき。話を切り上げて冷静になって、対処法をあらためて考えよう。

 よし。


「わ、わ、かり、ました。ちなみにし、しっぱつは」


「出発か? 明朝だ」


「ほああああっ!?」


「わ、びっくりした。急に大声を出さないでくれ」


 ライオン特有の丸い耳と肩をふるわせる仕草に、罪悪感を抱く時間もない。


「みょう、ちょっ、おまっバカ、マジでバカっ!? ふざけんなこの野郎マジでおまえさあああ!?」


「あっそうか、ニンゲンは夜に眠る習性があるのか!……その、魔族は睡眠を摂る必要がないから、時間の感覚がセンセイと異なるのだ」


 そうじゃない。

 出発が早すぎて、フィールドワークを止めようがない。


「そうだな、こんな時間まで起きている場合ではない。早く眠りたいのに、遠慮して言い出せなかったのだろう? それで悩んでいて、鬱憤がたまり、その気もないのに嘘をついてしまった。そういうことだな?」


 自己完結して椅子から降りたクソガキは、尻尾をゆらし、扉へ向けて歩き始める。


「今からでも遅くない、寝台で横になろう。来た道は覚えているか?」


「あのあのあの」


「迷うといけないから、わたしが案内する。ついてきて」


「あのぉっ!」


 とっさの判断で、仕立てのよい紺色の寝間着に向けて、叫ぶ。遠ざかる後ろ姿を引きとめるみたいに。


「うん?」


「これから、特別授業をさせていただいてもよろしいでしょうかっ!?」



 驚くべき幸運だった。目当てのブルーレイディスクは、書斎の棚にちゃんと収納されていた。『はだしのゲン』、もしくは『風が吹くとき』がベストであったわけだが、も悪くない。

 子ども向けの内容じゃないにせよ、またしても俺の私物であるにせよ(パッケージに傷がついている)、この偶然に今は感謝したい。


 ブツを小脇にはさみ、俺は魔王様に付き従って自室へ帰還。遠回りでいいから誰とも会わないルートを、なんてお願いしながら(これからやることを考えると、人目というか魔族目につきたくない)。

 奴隷を付き従えて扉を開けた少女は、うめき声とうなり声の中間の音を鳴らした。


「……これは、倉庫ではないのか? かび臭いな……」


 自分の書斎と、奴隷の独房との落差に、ショックを受けたご様子だ。


「もう少し上等な部屋を用意するよう、言いつけるべきだったか」


 言いながら勝手にベッドに腰かける。安手のスプリングがぎちぎちと鳴った。

 俺はその様子を監視しつつ、後ろ手でゆっくりと、音を立てないように扉を閉める。

 オッケー。これでふたりきりだ。


 部屋の床に置いていたパソコンをスリープモードから復帰させ、爆速でEドライブをシャッ、ディスクをガッ。

 生徒に画面を差し向け、自分はその真横に陣取る。内容はだいたい覚えているし、古い白黒映画なので大人の解説が必要かもしれない。そう判断してのポジショニングだった。


「いいのか? 眠らなくて」


「いいんです」


「かくせんそう、の恐ろしさを伝える物語ということだが、実験とどのような関係が?」


「いいから観てください」


「そもそも、つくり話に興味はないのだが」


「いいから」


 このようにして、鬼教官の個別指導は開始された。教科は道徳。勝負は、この1時間33分。

 覚悟しやがれクソガキ、大量破壊兵器の恐ろしさをこれでもかというほど叩き込んでやる、人類を滅ぼすモチベーションを罪悪感で塗りつぶしてやる、一生消えない傷を心に負わせてやる、泣いたり笑ったりできなくしてやる!

 教諭生活史上最もゲスい気合いを、死ぬ気で自分に言い聞かせるのだった。

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