個別指導
調度品と謎かけ
周囲の調度品をあらためて眺めてみると、これほどまでに貴金属の光輝をたたえていながら、端正な印象を醸しているのが不思議だった。
堅牢なつくりの戸棚にも、俺の倍ほどの背丈に背表紙がびっしり埋まった書架にも、あるいは燃え盛るような深紅の壁にも、唐草や蔦を思わせる浅葱色が、半ば強迫的に絡まり合っている。
戸棚と書架に挟まれるようにして、青紫の煉瓦でつくられた巨大な暖炉があり、その中央には海藻のような炎のような、
熱は感じない。まったくもって奇妙な物体だ。
香草の一種なのかもしれないと、周囲に漂う、嗅いだことのない薫りから推測してみる。
暖炉の上に掲げられた大きな壁画が、こちらを見下ろしていた。
血飛沫を浴びて牙を剥く、獅子とも熊ともつかない怪物の油絵。写実性よりも光の強さと奢りを強調した、色彩が渦を巻いてぶつかり合うような絵画。
蜂蜜のような光沢を帯びた額縁は、黄金でできているか、少なくとも一面に金箔を塗られている。時計回りにいくつも彫り込まれているのは、より呪術的な印象の、やはり猛る獅子の横顔だ。
俺たちはフラミンゴのように脚の細い、卵の腰から上を掘り崩した形状のテーブル越しに、それらを見ている。
「わたしの肖像画なのだが、ご覧のとおり、あまり似ていない」
部屋の主は顎をしゃくってそうつぶやくと、戸棚へ歩み寄り、ニッケルのような鉱物が入れられた瓶を取り出す。
そして奥からもうひとつ、グミのようなゼリーのような質感の、ピンポン球ほどの内容物が入った瓶をつかみ、ニッケルのほうは戻してから、大事そうに胸元にかかえて戻ってくる。いたずらがばれたみたいに、はにかみながら。
食事のあと、書斎に招待されてしまった。理由は謎だ。
*
「狭苦しくて申し訳ない。ここは、郊外にある離れだから」
取り出した瓶を、魔王様は軽く上下に振った。ごとごとという乾いた音が鳴る。
「わたしの好きな飴玉だ。グランケニッカ味のほかは食べてもいい」
甘いものは苦手だとさっき言ったのだが、もう忘れたようだ。爪先でコルクを抜く音を聞きながら、とりあえず自分の手のひらを差し出す。
「ど、どれがグランケなんとか味なんでっ……」
言いかけて思考が止まる。
手のひらに落とされたのは、飴玉ではなく眼球だ。
「ぎええっ!?」
「あっ」
放り投げたものに向けて、名残惜しげなつぶやきが聞こえた。俺はダッシュで扉に戻り、拳でノック。
「ちょっ誰か開けてくれおおおいっ!」
「ああ、もったいない……」
振り向くと、絨毯に落ちた飴玉を口に入れている。
王族のくせにはしたないがそんなんどうでもいい。死ぬのは嫌だが、目玉を食うのも嫌だ。どうぞ
「見たことがないのか?
見たことがあったところで食いたくない。こっちにくるな。2個目を取り出すな。口元に近づけるな。食べたいなんて言ってねぇだろ!
「甘くておいしいぞ? あっ、そうか、甘いものは苦手だったか」
自分の口に投げ込んでから、すまないと真顔で謝る。けっきょく自分が食いたいだけじゃねーか!
腰が抜けていたので、ドアノブに指をかけてどうにか立ち上がる。魔王様は豪奢な椅子に腰かけ、
椅子は、もう一脚あった。
その前で直立していると、紫の瞳孔がこちらを見上げる。
「どうぞ」
座りたくない。欲を言えば同じ空間にいたくない。
でも命令だし仕方ない。腰を落ち着けると、テーブルをはさみ、
堅牢な爪が瓶の首をこする。鉄琴のように澄んだ音が鳴る。
「ここは、郊外にある離れの宮殿で……さっきも言ったな」
言いました。
「〈学園〉への入学の際に、母上より
「な、なるほど」
「学友を呼ぶこともできる。客間が7つほどあるし、私兵の詰所もあるから警備も行き届いている。浴場も執務室も食堂も
「は、はは……」
「いつも、ああいうことを?」
「えっ?」
「いつもああいうことを考えているのだろうか、異界のひとは」
なんだなんだ、いきなり話題が変わったぞ。
「……そういうわけじゃないとは思いますけど」
「うーん、センセイが変わっているのか?」
「さあ……」
魔王様は3つ目の飴玉を口に放り込む。朱く色づいた口腔と青白い舌、白い牙のあいだに、銀色の唾液がかすかに糸を引く。
「……よくお召し上がりになりますね」
「数えていなかったのだが、今、何個目だ?」
「今つまんでいるやつで4個目です」
「なんと」
と言いながら、つまんでいるものを口に放り込む。いや戻せ。
「ところでその、なぜ僕をここに」
「あ。あー、えっと。うーん」
ボキャボキャと目玉を噛み砕きながら、かすかに獣の唸り声をあげる。
肝が冷えるが、単に懊悩しているだけと見えた。うなじの整えられた首をかしげ、俺を見たかと思えばシャンデリアを見上げ、壁の彫り物を見上げ、書棚も肖像画も見回す。
「その、つまり、センセイは変わっているなあと思って」
答えになっていない。
「そうですか」
「役に立つから勉強するのは、よくないことだろうか」
視線を足元に落とし、テーブルの端を人差し指で叩く。
視線がかち合う位置関係でもないのに、面と向かうのを避ける仕草だ。俺が怒ると考えているのか、自分は正しいという確信を隠したいがための、しおらしさなのかはわからない。俺は彼女ではない。
「よくないなんてことないですよ」
さっきも言ったけど、という言葉を直前で呑み込む。威圧的に聞こえるかもしれない。
「そうだろうか?」
「個人的な実感を言うと、あなたと同い年の子は、勉強なんてなんの役に立つんだって、そろそろ疑い出す頃ですね。あなたはもう、勉強が自分にとって役に立つことを理解したうえで勉強に取り組んでいるわけでしょう? そういうことができる子どもも大人も、世の中そんなにいないですよ。すごいと思います」
相手は、考え込むそぶりを見せる。
「あくまで僕個人の見立てですけど。それに実際のところ、僕もあなたが、どういう勉強をどれくらいされてきたのか、存じ上げていないので」
「専攻は政治学だ。
そりゃそうでしょうけど。
「そう納得していたのだが、センセイの言っていたことを聞いていて、……少し、わからなくなってしまった」
「僕のせいでしょうか」
「い、いやそんなつもりでは……」
顔を上げた少女は、ようやくこちらの眼を見る。
「うそです。すみません、混乱させてしまって」
見る見るうちに
ちょっとからかいすぎたか。頭をかいて、俺も肖像画を見上げる。勇ましい、
「本当の勉強は、役に立つ勉強が終わったところからはじまるのかも」
それはヒカダの言葉だったけれど、口に出すと自分の
ゆく川はたえずして、しかももとの水にあらず。
「つまり?」
「つまり、がお好きですね」
「うっ、すまない」
「お気持ちはわかりますけどね。教師ってどいつもこいつも、もったいぶるというか、謎かけが好きでしょ?」
思い当たる節でもあるのか、わずかに渋い顔をつくる。俺は笑った。
「やっぱり、そういう家庭教師がいるんですか?」
「まあな。心当たりがある」
「ひとを悩ませるのが好きなんて、根性が曲がってますよね」
「センセイもそのひとりだぞ」
「そんなことありませんよ。……じゃあついでに、宮廷教師として宿題。さっきの言葉の意味を考えてみて、これだってのが見つかったら、教えてください。いつでもいいですから」
ますます
記念すべきことだが、この世界に来てはじめて、俺は心から笑っていた。
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