四者面談と拳銃

 とにかく、このようにして会食は開始されたわけであるが、ここで残念なお知らせ。

 実のところ面談には合計、4名の参加者がいたのだ。俺、魔王陛下、魔王佐殿下、そして俺の監視役。



「そうか、視界がきかないか。では今から状況を説明する」


 俺はうなずく。


「センセイの前には、夕餉のためのテーブルがある。縦に置かれた細長い長方形で、センセイはそのうち、南に位置する短辺たんぺんのところに座っている。わたしはセンセイから見て右側の長辺ちょうへんにいる。聞こえていたらうなずいてくれ」


 俺はうなずく。


「正面、すなわちもう一方の短辺には母上がいる」


 俺はうなずく。


「左隣、すなわちもう一方の長辺にはクロフュスがいる」


 俺は首をかしげる。


「もう一度、おっしゃっていただいてもよろしいでしょうか」


「クロフュスがいる。ニンゲンの可聴域かちょういきに合わせて発語しているつもりだが、問題ないだろうか」


 お気づかい痛みるが、聞こえなかったんじゃなくて聞く耳を疑っただけだ。

 あいつがなんでここに。待っていたのか? こんな暗い場所で? いつから?


「燭台を動かしてもいいですか」


「もちろん。灯りを持ち込むのは戒律かいりつに反するが、今回は例外ですね? 母上」


 はははと笑う魔王様、および無言の魔王佐殿下はひとまず差し置いて、俺はテーブルに鎮座する青白いあかりを持ち上げ、左方にかざした。

 褐色の角が、鉤爪かぎつめのような仕草で光をまとう。ひとたび存在に気づいてしまうと無視しがたい。

 でもそれよりも俺の注意力は、テーブルに置かれた武骨ぶこつな手と、重々しく輝く撃鉄に向けられる。


「あれは?」


「あれは拳銃だ。見るのは初めてか? 魔物を仕留めるのに使う」


「今は、お前を仕留めるのに使う」


 口をはさんだのは拳銃の持ち主だ。荘厳そうごんでありながら、ひび割れたガラスや手負いの獣を思わせる神経質な声。

 かすれた母音の引きずり方と唸るような低音で、見た目はシカでも中身は壮年の男なのだとわかる。


「センセイが粗相そそうをしたら、殺すように言いつけてある。安心して死んでくれ」


「すみません、どういうことですか?」


「だから、センセイが粗相をしてしまったとして。自害するのは手間だろう? 痛いし、あっさり死ねるかもわからない。そこで彼の出番だ。暗殺の心得もある熟練者が手を下せば、すぐに安らかになれる」


 うーん。そっかあ。


「では皆々みなみな、今宵も佳き暗夜に黙祷」


?」


 と言ったのは俺だけだ。

 黙祷。

 の、ときに声を出すのは、粗相だ。俺は沈黙し瞑目めいもくし、背筋を伸ばす。

 まるで耳たぶの裏で鳴るみたいに、リボルバーの回転音がなめらかに鼓膜をゆらす。

 殺さんといて。


「センセイ、もういいぞ。終わった」


「アッはい」


「ニンゲンはそうやって黙祷するのだな。参考になる」


「……はい」


 惨憺さんたんたる一日の締めくくりだ。自分で自分に黙祷しておいて賢明だったと、悪意も屈託もない忠告を聞きながら思った。



 ニンゲンと魔族の視力の差異をめぐる話によって、会食は幕を開ける。

 魔王様いわく、


「ニンゲンは夜目がきかないのだな」


 たしかにそうだが、それにしてもこんな暗くせんでも。


「そうもいかない。魔族われらの慣習において、正式な饗食の場では、食卓に光源を持ち込んではならないことになっている。白は生けるものの真の姿に、偽りの覆いをかぶせる色だから」


「いや、はあ、そうなんですね?」


 燭台に目をやっていると、


「……今回は例外と申し上げたはずですが」


 真正面から声がした。栗色と紫の中間の眼光が、こちらを見据えている。


「そうでしたね。思い出しました。殺さないでください」


「センセイ、落ち着け」


 ところで目の前の平皿で、スープはかすかな湯気を立てている。その隣に杯があって、血のような色合いの飲み物が注がれていた。

 怖いので手をつけないでおこう。


 中央のパン籠には緑っぽいフォカッチャのような物体がいくつか。

 それ以外の大皿の上には、たぶんサラダのような葉物、オムレツとホールケーキを足して二で割ったような惣菜、台形っぽい形状の肉っぽい何か、鳥の丸焼きっぽい何か、などなどが乗せられている。


「あなたを食事に招待したのは、愚娘です。私ではなく。夜目がきく保障のないあなたのために、灯りを用意するよう取り計らったのも、私ではなく彼女です」


 食べ物に注目していると(率直に言って腹が減っている)、感情の見えない平板な声で魔王佐殿下が語りかけてきた。


「ありがたき幸せっ!」


 元気に叫ぶと眼光が強くなる。まだ粗相は勃発していないはずだが。


「……どうぞ、召し上がってください」


 言いたいことを呑みこむ音が聞こえたけど、幻聴だろう。ポジティブにならないとやっていられない。まっ、幻聴が聞こえたらもっとまずいけどね。八方ふさがり。みんな死んでくれないかしら?


 よく見えないが、目の前にいっぱい並んでいるらしい左側のスプーン類をつかみ、スープをすくって口をつける。

 唇や食道が溶ける感覚はない。セーフだ。

 味は、……味は、嘘みたいにうまい。ええ、うま……え、えぁ、なんっ……

 死にすぎて味覚が壊れたのだろうか?


 二口目をすするが、いきなり舌がただれることもなく、乳の香気をたくわえた液体がなだれ込む。どことなく青っぽい、カシューナッツを噛んだような風味が鼻を抜けた。

 え、めっちゃうま。なんなんこれ。


「どうだろう、口に合うといいのだが」


「あ、うま……美味しいです」


「そうか! それはよかった」


 とてもうれしそうな声が闇の奥から聞こえ、少し遅れて、食器を動かす音が響く。


「異界にも汁餉スープはあるのか?」


「ありますね、えー、味噌汁とか……味噌って調味料を、お湯に溶くんですけど」


 いやはや、おいしいなあこれ。西洋っぽい味つけを想像していたが、むしろタイ料理とかに近い。ガパオとかグリーンカレーみたいな、鼻に抜けるタイプの香草の味。

 ひとを選ぶかもしれんけど拙者は好きよ。うまうま。


「なるほど。原始的で低劣な調理方法だが、蝙蝠竜ワイバーンの餌か?」


「溶くだけじゃないですからね。具とか入れますからね」


「詳しいな。調理の現場を見たことが?」


「あんなもんいくらでも自分でつくりますし、みんな」


 じゃなきゃ誰がつくってくれんだよ。


「ふむ、そうか」


 魔王様は黙り込み、何やらナイフらしきものを動かす音が聞こえる。

 そんなことよりこの会話。異世界っぽい。よくあるじゃん、誇り高き日本のおもてなし文化を紹介して、スゴイって言わせる流れ。

 で、平穏な世界ならここで味噌に似た調味料とか都合よく発見してさ、目の前で味噌汁もどきテキトーにこしらえて飲ませてさ、


「お、おいしい……っ」


 とかさ、胸が大きい奴隷の女の子に言わせてさ、一目ぼれさせてハーレム構成員ゲットだぜみたいな?

 でもね、甘くない、現実は。あー妄想してると死にたくなるなー。


「お、おいしい……っ」


 自分で言ってみるが、誰も何も言わない。恥ずかしい。死にたい。


「……これはどなたが作られたんですか?」


「給仕だ」


 左辺から野太い声が俺の疑問に簡潔な答えを打ち返し、会話は終了。


「で、ですよねっ」


「そうだ」


 食器を動かす音がなければ、葬式と勘違いしかねない陰鬱さだ。誰か言葉を発してくれ。

 だいたい野郎ふたりはともかく、おふたかたは親子でありましょうが。気兼ねないコミュニケーションをぜひお取りになって?


「お、お母様はお料理は、ど、どうですか? されます?」


「それを知ってどうするつもりですか」


「へ、へーっ! そうなんですねえ! えっと……ヘイカは?」


「いや、わたしは、とくに」


 どういうわけか料理の話を振ってしまっている。

 魔王とそのお母様に料理の話を振るのは粗相だろうか? わからない。俺には何もわからない。


「というか、わざわざそんなことをしたがる者はいないと思う」


 魔王様はどうやら繊維質の生野菜を噛んでいる。しゃくしゃくという、水菜をすり潰すような音が聞こえてきた。

 牙を生やしているのに野菜を食べるのか。魔族の食習慣はよくわからない。


「は、はあ。どうしてそう思われるんですか?」


 会話がつながったことに安堵し、さりげなく水を向ける。少女は咀嚼を続けながら、こう言った。


「第一に、手間がかかる。第二に、自分で食べるものだけを自分で作るのは効率が悪い。大量生産は経済の基本だ」


「う、うーん……」


 それは、一理ある。カレーだってシチューだって寸銅鍋で大量生産したほうが効率的だ。


「それに、料理など覚えても役に立たない」


 それも一理……


「……えっ、それは違うんじゃないですか?」


 疑問形を駆使すると、闇が近づいた気がした。

 向こうの返答が途絶えたからだ。

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