ユキヒョウとサイコパス
魔王陛下は魔王である。名前はない。
まだ、とかじゃなくて永久に存在しない。魔王様は魔王様だ。ひとりっ子なのでそれで充分だ。
魔王とは何か。自国や属国の諸侯、その他貴獣を権力で従える存在。
先の世界内戦にて、陸境や海境をまたいで相まみえていた諸種族を調停し、先王すなわち魔王佐殿下が、その権能を確立した。
彼女が調停の場で述べた声明は、いまなお
武ではなく言の葉で戦を終わらせたのは、魔界史上、偉大なる殿下が初めてのことであった。
だからこそ、
王冠はお仕着せの装飾品などではない。まさしく民の求めによって掲げられた
*
「しかるに、われら
肩章つきの、大仰な軍服に身を包んだユキヒョウの女性は、そこで言葉を区切って、苛烈に肉食獣な眼差しをこちらに向ける。
「……
そして割り込むのは、俺の心臓をぶっ潰した少女。
「難しい話じゃないんだ。晩餐をともにしたくて」
ああそう。
*
部屋に入ってきた理由がようやくわかった。どうやらこれから、次期魔王とその保護者と、メシを食わねばならないらしい。
面談がどちらの発案なのかは知らないが、いずれにせよ、俺が人類を滅ぼしたがっていないことは、隠しておいたほうがよいのだろう。
滅ぼしたがる人間がいったいどこにいるのか問い詰めたいが、そういう
「畏れ多くも、貴様が拝謁するのがいかに偉大な
ハードな二択だが、サーベルに手をかけられては、うなずくしかない。
うなずくとその、近衛隊だかに所属するとかいう、たぶんだけどユキヒョウとかそんな感じな種族の女性は、高潔な口調で凛々しく吐き捨てた。
「この程度で見知らぬ化け物に隷従するとは。誇りはないのか? ニンゲンとはなんと恥知らずな生き物であることか……」
カラーとタックのついたワインレッドのジャケット、まっさらなシャツと深緑のリボンタイ。人間の基準では男物の正装だろう。腰に吊り下がる武器がなければ、
ファンタジー感は出ているが、暴力装置の構成員の恰好ではない。わかりやすく迷彩服でも着てくれ。
「ネジウチ、それくらいに。センセイが自決してしまう」
しねえよ。
「あのー、服、大丈夫、ですかね、これで」
例によってワイシャツも無事に修復されたので、ジャケットだけ羽織ってきた格好だ。
当然の疑問だろうに、近衛隊員さんは露骨に鼻を鳴らす。あのシカはどこいった? あいつのほうがマシなんだけど。
「ニンゲンごときが服を着るとは、まったくもって不相応な奇態だ。
「なるほど、興味深い視点だ。ニンゲンはどれぐらい皮膚を
サイコパスがふたりもいるので会話が成立しない。これから会食する相手の情報を叩き込まれながら、あずかり知らぬ場所へと進んでいく。
人肉とか喰わされたらどうしよう。
*
二度右に折れて三度左に折れ、それから螺旋階段を降りて、それから渡り廊下のような吹き抜けの設備を抜けた。
降りたのに渡り廊下?
まあ仕方ない。異世界だし。
10分以上は確実に歩かされ、やがて俺の背丈の3倍を超える、大きな鉄扉にぶち当たった。
細工の彫り込まれた銀の取っ手にユキヒョウが、肉球の名残りをとどめるグローブ状の手のひらをかざし、ぼそりと何かをつぶやく。
――入りなさい。
同時に周囲では、それまでの罵倒が止んだ。
魔族だろうが近衛隊だろうが、ここからは沈黙を強いられる、そういう場所に、今から入っていくらしい。
「巨大な皮剥き器をつくるんだ。
招待したやつだけが、空気を読まず拷問用具のプレゼンをしている。
「実験も必要だ」
こっち見んな。
「母上。いかがでしょう、今の案は?」
俺から視線を暗がりに移し、彼はそのように呼びかける。
え、暗いな。暗いよねこれ? あたしの眼がおかしいのかな? 闇の向こうに浮かび上がる
何が始まるの? 生贄の儀式?
「立ち話のために呼びつけたのではありません。早く座りなさい」
吐息混じりの声は厳粛で、
ごうん、と金属を鈍く叩くような音が背後で鳴った。あらためて視界を闇に包囲される。
正面には唯一の光源があり、そしてそれが目の前の、食卓の白とダイニングチェアの赤の輪郭を明らめる。
あたりは静まり返り、魔王様が黙ってしまうと吐息さえ聞こえない。
俺を連行してきたユキヒョウも、舗道に張りついた街灯の影が夜に呑まれるみたいに、いつの間にか見えなくなっている。
「座ってくれ。わたしはこちらに」
もうひとつの声のほうを向けば、そこには何もない。
少なくとも、俺の視力では何も見えない。
「センセイ、そこにいると椅子を引けない。もう少し横に」
そもそも自分がどこに立っているのかがわからない。椅子を引けないということは、背もたれのすぐ後ろにいるのか?
正面に手を突き出すと、なるほど固い感触がある。言われたとおりにすれば、それが音もなく、後ろに引かれるのがわかった。
……誰が引いたんだ?
座面に指で触れると革張りになっている。きちんと腰掛けなければ滑ってしまうだろうし、それはきっとマナー違反だ。
「ニンゲンは、食べるものによっては身体が溶けて死ぬと聞いている。受けつけないものはあるか?」
甘いものは好きじゃない。特に菓子パン。
「かしぱん?……聞いたことのない食材だが、承知した。ところでセンセイは肝が太いな。母上の正面に座っているというのに、まるで動じないとは」
「暗すぎて何も見えないだけです」
とにかく、このようにして会食は開始された。
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