鮮紅色とテーブルクロス
「まあ、言ってもしょうがないさ。それよりフミ君、折り入って頼みがあるのだが!」
「もあっ?」
飲みこんでいる途中で大声を出され、むせかけた。
梨型のグラスに入った炭酸水に口をつける。ガス抜きのほうがいいけれど、用意していただいて贅沢も言えない。
「な、なんでしょうか?」
「うむ、しかと聞いていただきたい」
ブルカニア博士はいきなり起立した。異世界では食事中に立つのがマナーなのかな?
「ちょっと、食事中に」
「せっかくだ、いっしょに立とうズィズィ」
ズィビィーシヤ博士は、一瞬だが露骨に「は?」という顔になる。キレているのではなくて、意味がわからないほうの「は?」だ。
一瞬だったので慣れているのだろう、無言で立ち上がり、仲良くこちらを見下ろす。
付き合わされてかわいそうに。
「フミ殿は異界から来られたニンゲンということだが、にも関わらず、こうしてわれわれと会話ができている。それはよろしいか?」
「はあ」
「このことは、われらにとって重大な意味を持つ」
「ねえ私恥ずかしいんだけど。あなただけでやってくれない?」
「というのもこのことによって、儂らは異界のニンゲンに直接、物をたずね、話を聞くことができる。たとえば、えーと」
回りくどい話を続けながら、博士はサスペンダーのポケットをまさぐる。
「ほら、これだ」
取り出したのは俺のiphoneだ。
「見なさい、異界の機械だ。競売に出ていたのをツテでかすめ取った」
「そうですか。それ僕のです」
「そんなことはどうでもいい!」
よかねえよ。窃盗だぞ。
「これを使ったことは?」
「返してください」
「もちろんもちろん。あ、ついでにどうやって使うのか実演していただきたい」
「うおっちょ、投げ……っ」
床に落ちかかるのをあわててキャッチ。すでにバキバキなので、これ以上衝撃を与えたくない。
ロック画面を表示してパスワードを打ち込む。電波が入っていないか確認するものの、まあそんな虫のいい話はないよね。
俺はメモ用のアプリを起動し、「みんな死ね」と打ち込んで、みんなに見せた。
「おお、たしかニホン語とかいう言語だな。どういう意味だ?」
「みなさんとお会いできてとてもうれしい、と書きました」
「なんと!……若造だてらに
羽毛が俺の肩をバシバシと叩き、トドは非常にセンシティヴな表情をしている。無視して電源を落とし、すばやくポケットに収納。
博士は壷のような酒瓶を取り、隣の奥さんの
ふたりともけっこう呑むなあ。
「頼みといっても、そんなに難しいことではないんです。さっきの話だと、少しだけ大げさに聞こえたかもしれませんけど。ねっあなた?」
もうひとりの博士が言う。
確認ではなく、
「うん、つまり君がときどきここに遊びに来て、今みたいに異界の物をいじってくれたり、異界の話をしてくれれば、儂らとしては御の字だ」
「はあ。えっと、失礼かもしれませんが、なぜでしょうか? 僕はその、特別に聡明な人間ではないし、特殊な職業に従事しているわけでもないし、おふたりにとって興味深い話ができるかは……」
少なからず胸をなで下ろして質問すると、こんな答えが返ってきた。
「そんなことは気にせんでいい。ニンゲンに関する
俺はトドを見た。
「ああ、彼は人狼でしょう?」
「……はあ」
「いくらニンゲンの姿を取れても、異界に赴くことができたとしても、持っているのは
それは、そうかもしれない。
「承諾していただけるかな? 今なら蔵書も無料で貸し出しちゃうぞ! 教務に必要なものがあれば、いつでも自由に持っていってかまわんぞ!」
「う、うーんそうですか?」
どうしよう、おトクな話に聞こえてきました。貧乏人の俺は(奨学金という名の借金の完済には、あと10年かかる。日本学生支援機構は死ね)、無料の好意にとても弱い。
「じゃあ、お言葉に甘えて……」
正直なところブルカニア博士だけが相手なら断っていたが、もうひとりはそこそこ常識的なオトナに見える。帰れる見通しもないというのに、頼みを拒絶してつながりを失うのも、賢い選択とは思えない。
まあ、
「ふはは、そうかそうか。よしズィズィ、乾杯だ!」
「はいはい」
かちん、とひかえめな音がして、杯の淵が鳴る。風鈴を思わせる音だ。酒がこぼれて、テーブルクロスに鮮紅色のシミを落とす。
俺の味方になる魔族。とは、つまりこういう意味であったのだろうか。ありがたいのか迷惑なのか微妙だけれど、興味を持たれているのは悪い話じゃない。必然性もなく他者に興味や好意を持たれるのは、異世界ファンタジーによくある展開らしいし。
「で、君はあの小娘に何を教え込んでいる?」
「最近お太り気味だし、異界の〈痩身術〉でも紹介してるんじゃない?」
「はっは、そいつは傑作だ!」
博士たちは好き勝手に言い散らしながら、同じタイミングで酒を呑み干す。
ちょっと悩んだけれど、素直に真実を伝えることにした。しばらくは付き合いのありそうな相手だ。隠し事をしてトラブルになっても困る。それにウソをしゃべると首が飛ぶ。
「たいへん申し上げにくいのですが」
「なんだなんだ、遠慮はやめたまえ!」
「魔界の人類を滅ぼす方法を教えています」
伝えた瞬間、視界が真っ赤になる。
血ではなく酒の色だ。大丈夫、死なないパートだ。落ち着け。
酒を吹き出したフクロウとアライグマが、いかにも
俺はテーブルクロスの端っこで顔を拭いた。
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