ガラスケースとゴム手袋

 というわけで、一列になって真新しい廊下を進む。進んでいる最中、お姉さんと博士たちが仕事の話を始めたので、最後尾に移動した(盗み聞きはよくない)。

 そして予想通り、ついてきた黒毛くんを肘で小突く。


「あてっ」


「お前、お姉さんと、博士たちに、なんつった?」


「え?」


「俺が、ここに、来た、理由、だよ」


 小声なので、一語ずつ区切って発音しなければならなかった。


「人間を、……アレするって、伝えたのかよ、ちゃんと、ほんとのこと」


 つまりこういうことだ。

 博士たちは魔界の人間を研究している。いっぽう、俺は人間を滅ぼす方法を魔王様に教えなければならない。

 なんということでしょう。向こうからすればこちらは、研究対象を滅ぼす計画に手を貸すフィクサーそのものだ。


「あー……」


 考えておりませんでした、という副音声が聞こえかねない返答だった。

 つま先で、毛むくじゃらのすねを蹴り上げる。コンクリートのように硬く、むしろ蹴ったつま先が痛い。

 クソが。


「魔王様が、人間を、アレしたら、俺が、あのふたりに、アレされる、可能性大、だろ」


「滅ぼした後で研究対象の個体だけ蘇生させりゃよくね? フミみたいに」


「……ん、おう?」


 個体。個体て。


「ねえちょっと、早く来なよ!」


 少し先で立ち止まっているお姉さんが、あきれたようにこちらを振り向く。じゃれていると思われたのだろうか。非常に心外だ。もう一発蹴ってから小走りで駆け寄る。

 先をゆく魔族たちが立ち止まっている理由は明白だった。そこに展示物があるからだ。

 全裸の女性の遺体が、直立したままガラスケースにおさまっている。


「ひいっ!?」


 叫んだのは俺だけで、取り囲んでいた連中も後ろから追いついたトドも、平然としている。


「見なさい、ニンゲンの死骸だ。四肢ししが完全な形で残っている。本当に苦労したぞ、亡骸なきがらを土に埋める習性を持っているからな、彼らは」


 へーっ、この世界の人間たちは土葬なんだね。それはともかく、ご遺体は顔の皮膚が剥ぎ取られ、表情筋と眼球が剥き出しになっている。

 嘔吐すべきか腰を抜かすべきか、わずかに迷いが生まれているあいだに、なんとなく衝撃をやり過ごせてしまう。それでも正視せいしは堪えかねてうつむくと、みずみずしい性器が視界に飛び込んでくる。


「ご覧のとおり、股関節付近に陰唇いんしんがあるほか、授乳により乳頭にゅうとうが肥厚しています。女性ですね」


 アライグマの博士が微笑む。


「死因は槍による心臓の貫通、それに伴う大量出血による失血死と考えられます。これは〈複生術〉を利用した標本サンプルですが、傷口をよくご覧になってください。ひと突きで、臓器の中心を貫いています」


「あ、ほんとだ。すっごい」


 すっごい抵抗があったけど、それでもそう言われると乳房のあたりに注目せざるをえない。

 たしかに、みぞおちの真上には陥没かんぼつの痕跡がある。皮膚が張っているので見逃していた。


「これは当時、ダスピダヤ高山の部族間の紛争によってもたされた傷です。興味深いことに、私とブルカニア博士の調査では、死亡したニンゲンは全員、心臓や肺といった重要な器官の中心部のみを刺し貫かれていました。これは心臓や肺の位置を正確に把握はあくしていなければ、不可能な行動です。つまり、彼らはみずからの解剖生理に関する知識を有していた可能性があります」


「なるほど。しかし、他のニンゲンに致命傷を与えうることと解剖の知識を持たないことは、必ずしも矛盾しないのでは? たとえば、彼らが血液循環について理解していなくとも、太い動脈がどこにあるのかを慣習的に知っているだけで、致命傷を与えることはできますよね?」


 お姉さんが疑問を呈する。

 いや、もっともだけど、そこなの? なんでこんなもの見せるんですかじゃなくて?


「いい質問ですね。では、次のサンプルの説明をもってお答えしましょう。恥ずかしながら私たちの息子なのですが……」


「えっ」


 小さく叫ぶが誰も気に留めない。

 息子。展示、息子を?

 え、人間だよな、にんげっ、うわうわまた死体かよおいおいおい!


「諸君、めつすがめつ眺めておくれ。愛しの愚息だ」


 ふさふさの、顎らしき場所をさすってご満悦な博士は、俺たちの後ろから叫ぶ。そこで死んでいるのは、俺と同じくらいの歳の若者だ。腸の詰まった腹が、皮膚を剥ぎ取られてむき出しになっている。


「……名前は?」


 息子の遺体を展示するなとキレるかわりに、そんなことを聞いておく。死者へのこういう扱いは、もしかしたら万が一、魔族からすれば普通のことである可能性が、ないこともないわけで。

 ズィビィーシヤ博士がこちらを見る。返事はない。質問の意図が伝わっていないのだろうか。いい加減にしろ。


「……息子さんですし、お名前ぐらい、ありますよね?」


「ええ、もちろん。……ブルカズィと呼んでください。きっとこの子もよろこびますから」


 嫌味を垂れようとして見返した瞳が、なんというか、感情を帯びているのに気づく。どういう感情なのか、それはなんとも言いがたい。

 反射的にたじろぐ。ふざけているわけじゃなさそうだ。


「……そ、うですか」


「はい。もちろん、これらは魔術による複製ですけど」


 それより注目してほしいのは、とブルカニア博士が唐突に横入りする。鉤爪に似た形状の鋭利な爪で、小腸と大腸の境目、虫垂ちゅうすいの下がるあたりを指した。


「ここを見てくれ」


「……あー、小腸と大腸ですね」


「そうじゃないだろ! ほらここに、縫合の痕跡があるじゃないか!」


 うるさいので顔を近づけると、なにやら黄色っぽい、小さな縫い目が肉壁の上に走っている。


「……手術のあとですか」


「そうだ。さすが異界のひと、さすがあのクソガキの専属教師」


 ちょくちょく魔王様をdisってくるが、大丈夫なのだろうか?


「儂とズィビィーシヤ博士の調べたところ、これは出生後の腸閉塞ちょうへいそくを治療するための、開腹かいふくの痕跡だと推定される。つまり、先天性疾患や奇形を有する小児に外科手術が行われていた可能性があるということだ。ニンゲンの、一地方の一部族に!」


 うーん。

 言われてみれば、大発見であるのやもしれぬ。


「面白いですね」


「ふふふ、きょうが乗ってきたかね?」


 こちらを見据える片眼鏡モノクルが妖しく光る。俺は腸に視線を戻す。


「……えっと、はい、そうですね、興味深いなあって」


「そうかすな。次は当館の目玉である体感型展示品だ!」


 急かしていないしもう勘弁してほしいが、体感型というのは気にならないこともないかもしれない。

 数メートル先にあるのが、直立するブルカズィくんpart.2だったとしてもそれは同じだ。


「こちらでは、来館者がご自分の爪で展示物の内臓を掻き出すことができます」


 ズィビィーシヤ博士が慣れた口調で案内してくれた。なるほど、だから体感型。だからお腹の皮膚がそのまま(掻き出すブツが丸出しだと興が乗らないものね)。なんで同じ遺体が2体あるのかというと、複製だからだね。あーなるほど。そう。

 ケースの脇には、薄手のゴム手袋が何枚か無造作に重ねられている。


「では、どなたか?」


 トドが一番に手をあげる。社会科見学に来た低学年みたいに。

 背伸びをしたズィビィーシヤ博士が、真っ黒な手に、パツンパツンと威勢のいい音を鳴らして手袋をはめていく。


「よっし、んじゃいくぞー」


 クソ魔族はノリノリだ。反り返る爪のついた指が、ブルカズィくんの腹をやすやすと貫通する。凝固剤でも使っているのか、血液が噴き出す様子はない。見たところ皮膚も破れていない。泥の中に手を突っ込んでいるようにしか見えない。


「今の博物館はすごいですね」


 お姉さんが耳元でささやく。ぶちゅぶちゅぐじゅぐじゅと音を立てて引っ張り出されたのは、扁平へんぺいな形状とくすんだ赤銅色あかがねいろからして、どうだろ。肝臓かな?

 ははぁこれは、とかなんとか取り出した野郎がほざきやがる。


存外ぞんがいに大きいですな。見て見てフミ、いぇーい」


「近づけんな近づけんな、アアアアッ!」


「大丈夫ですよ。あくまで複製ですから、衛生的には問題ありません」


 松葉がここにいなくてよかった。

 俺がここにいるのは、本当によくないことだ。

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