居住区域と翻訳器

 お姉さんのご紹介によれば、俺の首を絞めたフクロウは博士で、名をブルカニアという(ついでに言うと、首を絞めるのは魔界における情熱を込めたあいさつのひとつらしい)。専門は人間解剖学、人間工学、その他いろいろ。

 副館長は隣のズィビィーシヤ博士で、専門は文化人間学、比較人間学、その他なんでも。


 ふたりとも魔界における人間研究の第一人者であり(人じゃないけど)、大学院生時代からのライバル兼パートナー同士だ。来年で結婚250周年、めでたく銀婚式を執り行うご予定だとか。


「でしたら、人間を殺す方法についてもお詳しいんでしょうね。どれぐらい首を絞めれば窒息するかとか」


 最悪の嫌味をぶつけてみるが、博士はこちらを、静かな鳥の眼で凝視して、首をひねるばかり。


「言っている意味がわからん。異界の諧謔ジョークか?」


「そんなところです。みなさんと早くお近づきになりたくて」


「なんだそうか、ふはは! フミ君とかいったな、ひとつよろしく頼むぞ!」


 天然の羽毛で肩をバシバシしばかれ、俺はうなずく。

 脳味噌のほうも天然みたいだ。


「はは。それでここは、どういった施設なのでしょう?」


「ん、なんだズィズィ、説明しとらんかったのか?」


「だって玄関まで7.543987158957253189520738メートルしかないんだもの。あいさつしたら終わりでしょ」


「それもそうか。いやはや申し訳ないお三方さんかたもほら、ニンゲン関係であるから予算が降りんでな、土地もデュゲェのひたいほどしか……ところでフミ殿は何を聞きたいと?」


「こちらがどのような施設であるのか、それが気になっていると申しております」


「ふーん。……なあ、君はずいぶんと毛を溜め込んどるな。とくに頭。暑くないのか?」


「これは失敬。いっそ夏場の羊蹄族よろしく、さっぱりさせるべきでしたな」


「いつもそう言って、刈り上げるのサボるくせに」


「姉上、愚弟ぐていの怠惰を開陳するのはおやめいただきたく」


「はっは!」


「仲がいいのねえ」


「……あのすいません、ここは、どういった、施設なんでしょうかっ!?」


 大声を出すと、みんなが俺を見た。何この空気。


「やあ、すまんすまん。ここはオピバニア保護区にある、王立ニンゲン博物館だ。見てのとおり奥のほうに……」


 羽が吊り下がる腕をひろげ、ブルカニア博士は突き当たりへ伸びる廊下を指した。

 真新しい、使われた形跡のない燭台が、造花ぞうかのような面持ちで左右の壁に居並ぶ。


「……近場で採集さいしゅうされた、ニンゲンの生活にまつわる蒐集品を展示している。ちなみにこの黒毛くんが持ってきた矢もそれに含まれるわけだが……さて、保護区とは何か、ご存知かな?」


 俺は首を横にふった。


「ニンゲンの居住区域は、行政法上、〈保護区〉と〈自治区〉に大別たいべつされる。前者はニンゲンの保護を目的とした、まあ自然公園のようなものだ。後者は魔族われらの領土内に設けられた、ニンゲン自身が統治を行う区域を指す」


「へー」


 ぼんやり答えると、骨ばった肘で小突こづかれる。黒毛くんはこちらを見ずに低い声で


「敬語」


 と警告。

 釈然としないが、言うとおりにしておこう。


「儂の説明は理解したか? わからないことがあったらどしどし聞いてくれっ!」


「えっ? あ、はい、ありがとうございます」


「ふむ。……他に何か、ニンゲン研究の大権威エスタブリッシュメントに質問は?」


 今すぐ家に帰していただけませんか?

 という懇願をこらえて代わりに口をついて出たのは、こんな疑問だ。


「なぜ、みなさん日本語をしゃべっているのでしょう」


「んん? 君が魔族われわれの言葉を話しているんじゃあないか」


 俺は瞠目どうもくし、お姉さんを見る。ねえ、ほんとなんなんですかねえ、このご老人(人間じゃないけど)。

 僕が魔族語を? んなわけないでしょうに。


「たしかに、異界の方にしては流暢りゅうちょうな……と言ってしまうのは失礼かもしれませんが」


 あれえ?


「……あの、僕には、みなさんがその、僕が日常で使っている言葉を話している、ように聞こえるんですが」


 不安なのでたずねると、ふたりの博士は目配せをした。


「ごめんなさい、ちょっと動かないで」


 動いたのはズィビィーシヤ博士だ。胸ポケットにさしていたペンライトのようなものを、俺の胸の下にやさしく押し当てる。

 つられて覗き込むと、藤色ふじいろの光の輪の中に、硬球こうきゅうほどの大きさのゼリー状の物体が、半透明に浮き出ている。

 光はペンライトの先端から出ているようだ。では物体はいずこに?


「やっぱり、〈翻訳器〉」


「ほんやくき?」


 おうむ返しに尋ねると、困ったように眉根まゆねを寄せる。


魔族わたしたちは任意の臓器を仮想的な身体に埋め込み、認知機能や身体能力を拡張することができるんです。これを〈拡張臓器〉と言うんですが、〈翻訳器〉もそのひとつですね。文字通り神経系の中枢における言語野に作用し、聴覚や視覚を介して知覚された言葉を、自分の母語に翻訳する器官です」


「な、なるほど……?」


「あなたの場合、ちゃんと機能してないみたいだけど……適応がないのに無理やり入れてるなあ、これ……」


 初耳の情報だが、なるほどしかし、話し言葉が理解できて柱時計の文字は読めなかった理由は、半端にしか機能していないという言葉から説明がつく。

 あと施設までの距離。耳がおかしくなったのかと思った。魔界における距離の単位を、強引にメートルに換算しているのだろう。

 ていうか、え、それはいいけどそんな臓器入れるとか、ひとことも聞いていないけど誰が……


「フミ、おまえ合計で何回殺られた?」


 俺は指を2本立てた。


「んじゃ、どこかのタイミングでブッ込んだんだな。陛下が」


 あいつのしわざかよ!


「なんと哀れな……まあいい、あの小娘にはわしから言っておくさ。はっは!」


 腰に手を当ててブルカニア博士が笑う。みんなも笑う。

 何笑ってんだこいつら。ふざけてんのか? 死んでるあいだに知らん内臓ブチ込まれたんは俺やぞ?



「しかし、こうして支障なく会話をできるというのも、あるいは偶成ぐうせい奇縁きえん、気を落とすな。さて」


 そこまで言ってから、フクロウの博士は湿った咳をして、人間と同じかたちの喉仏をふるわせる。痰を飲み下したのだろう。そういうところは人間のおじいちゃんと同様だ。


「君の出自はもちろんだが、ここに来た理由も、この秘書官殿から聞き及んでいる」


「そうなんですか?」


「そうだとも」


 なんか知らんがニヤニヤしておられる。もっとこう、フクロウって怜悧れいりな動物ってイメージだったんだけどな。ミネルヴァじゃないが知性の象徴というか。実際は鳥類の中でもめっちゃバカなんだけど、それはそれとしてなんかこう、目の前の彼はただの、おじいさん、ですなあ。


「君は陛下へのお傍仕そばづかえにあたり、魔界こちらのニンゲンの生態を知る必要がある。そうだな?」


 そういえば、そういうことになっていた。俺はうなずく。


「一方、儂らは今回の邂逅を通して、異界におけるニンゲンのサンプル、君との交流を望んでいるわけだ。つまり儂らが今後、有効な関係を保つことは双方に利益をもたらす。まさに一挙両得、ゾクネシネの泣き所じゃあないか!」


「今死ねって言いました?」


「んん? 言ってないぞ」


「そうですか」


 俺は、まばたきをしてから博士を見て(とうとう幻聴が聞こえ始めたようだ)、それからお姉さんを、最後にトドを見る。

 奴は力強く頷き、毛だらけの親指を立ててみせた。


「……そうですか」


「ん?」


「いえなんでも。そうですね、そういうことなら望むところです」


 営業スマイル(昔、i'm lovin' it なファストフード屋でバイトしていたときに習得した)で答えると、博士はくちばしをカタカタ鳴らして呵々大笑かかたいしょう。配偶者の呆れた視線に気づき、あわてて胸元に結んだ紫紺しこんのリボンタイを締め直す。


「よし、決まりだ」


「あの、交流というのは具体的には……」


「それは後ほど。さてさて社会科見学の始まりだな、儂らが直々にご案内進ぜよう!」

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