博物館とアライグマ

 一件落着頃、入り口の前にたどりつく。丘陵をのぼったせいか、息が上がっているのが自分でもわかる。首筋を汗がつたう。

 黒い太陽は、建物の頂点と同じ位置にある。

 正午ということでいいのだろうか? 異世界だし、自転や公転の仕組みが異なる可能性もある。異世界だし。


「あれが、王立ニンゲン博物館」


 トドは建物を指さし、平坦な声で言う。ご大層な名前のわりに古ぼけた、忌憚きたんなく言うとボロい外観である。

 この世界における人間様の立ち位置を、無理にでも思い知らされた気持ちだ。



 とはいえ近づいてみれば、それなりの威容を誇っている。

 3階立てのビルぐらいの高さで、五本の支柱が均等な間隔で配置された、石造りの様式だ。屋根は円錐形で、赤レンガを思わせる色合いと質感。

 なんといったらいいのか、パルテノン神殿の上端を削り、その上にタージマハルの屋根を乗せてから、上野駅でデコりました、みたいな。あまりのちぐはぐ具合にめまいを覚えた。


 ひとまず首をふって思索を打ち消し、目の前の、こちらは大理石でつくったような、つるつるとした質感の階段を昇る。

 、かたわらで爪が鳴る。

 間違いなく建材に傷がついている最中だが、俺の私物ではないので指摘はしない。魔術で好きなだけ修繕してください。


「うわっ!」


 誰かが叫んだ。

 俺ではないし、爪の持ち主でもない。しかも建物の中から聞こえてきた。

 女性の声だ。


「ちょっと、まだ〈挺身術〉をかけてないのに……あーっ裸足で歩かないであなたたち!」


 正面の暗がりから、もっさりした塊が現れる。

 どうやら今度はアライグマだ。栗色の毛並みと、眼窩がんか隈取くまどる黒い短毛が特徴的だ。

 それにしても、とはどういうことか。俺はきちんと革靴を履いている。


 アライグマさんはこちらへ向けて駆け出し、すると階段を駆け下りることになるわけだがその途中で、自分の短い右足の甲に、左のかかとを引っかけて、転んだ。

 顔面から。


「うっ」


 とかいう呻き声まで聞こえてくると、無視するのも難しい。

 小走りで駆け寄ると、鼻をさすりながら顔を上げた。血は出ていない。


「あの、大丈夫ですか」


「ひいっ!?」


 なんか露骨におびえられちゃう。

 んなビクビクするこたねえだろ? 首を切り落とすなり脳味噌絞り出すなり、好きにしろよ。


「ニンゲンがしゃべってる!?」


 そっちかい!



 トドに頼んで、果実酒と同じ要領でどこからともなく(具体的にはジャケットの内側から)、ハサミとミネラルウォーターと脱脂綿を出してもらう。

 確認に難儀したが、体毛を短く切ってみると、予想どおり擦過傷さっかしょうになっていた。


 傷口を水で洗い、脱脂綿で軽くおさえる。

 消毒薬や絆創膏ばんそうこうは使わない。とにかく清潔を徹底すべし、職場の保健師さんはそう言っていたのでこれで大丈夫、だと思う。


「あ、ありがとう」


「いえ」


「ごめんなさいね、失礼なことを言ってしまって……まさか異界の方が魔族わたしたちの言葉を解するとは……」


「はあ、そうですね、なんでわかるんでしょうね……?」


 そもそも、魔王様のご脅迫を聴き取れている時点でおかしいのだ。この会話も知らない言語をぺらぺら喋っている状態なのだろう。柱時計の件を勘案すれば、自分が使っているのが日本語じゃないことは明らかだ。

 ……ん? ちょっと待て。俺、自分が別の世界から来ました、なんて言ったか?


「やあやあ、ご無事ですかな博士」


 あからさまに後方で状況を見守っていたトドが、ここに来て割り込んだ。


「お前もちょっとは動けよ」


「こういうのフミのが慣れてんじゃん」


 まあね。小学生は元気いっぱいだからね。保健室行けって何回言っても職員室に来るからね。


「申し遅れましたな。私はヴォーダン補弼書記官、この者は大春二三。灰狗カィク族のと、正真正銘の、異界のニンゲンでございます」


「あ、これはどうもすみません……」


 差し出されたトドの腕につかまり、女性はやっと立ち上がる。

 白衣を思わせる、裾の長いまっさらな上着に、チノパンともスウェットともつかない飴色のボトムスを合わせている。細くて飾り物のないベルトが腰に巻きついていた。


 わりとカジュアルな恰好だが、胸にはカブトムシのようなブローチが留められている。リストバンドもつけているし、首からはネームプレートも提げている。

 異世界要素ゼロだけど、学芸員のひとかな。

 ぼんやりと考えながら、人間じゃないけどな、とぼんやりしすぎな思考を訂正した。


。ご案内いたしますので、どうぞこちらへ」


 アライグマの女性はにこりと笑って(少なくとも笑ったように見えた)、建物の中へ戻っていこうとする。

 その背中をトドが呼びとめた。


「不躾ながら、宮廷秘書の者がこちらに参上しているかと思うのですが」


「ええ。先にお会いしますか?」


「ええ、少しばかり荷を送らせていただきましたゆえ、そちらの確認を――」


「あの」


 と俺も、割り込んでみる。

 アライグマの女性がぎょっとして俺を顧みる。野蛮な生物に口を利かれて気持ち悪いだろうが、我慢していただこう。


「僕は、その、日本、じゃなかった、異界、から来たんですが」


「あっ、えっ、あ、はい、お話は、うかがって、ます。は、はい」


「……なぜ?」


「そ、そのよう、に、魔王佐殿下より、賜わって、おり、ます……ので」


 めちゃめちゃ挙動不審の女性は、つっかえながら返事をしてくれた。

 どう解釈すればよいのだろう? 口を利いてくれたことに感謝すべき? それとも会話に割り込むタイミングじゃなかった?


「……大春二三と申します。よろしくお願いします」


「……はい」


「お名前をうかがっても?」


 風が吹いた。相手は黙っている。やばいことを聞いてしまったのか。

 とにかく笑顔を、がんばってみる。


「ご不快でしたら、……かまわないのですが」


「あ、いや、そんな、滅相めっそうも、……ズィビィーシヤと申します」


 それきり手が差し出されることはない。なんか、俺が強制的に名乗らせた感じになった。


「な、なるほど」


「お、覚えづらいとよく言われます」


「え? いやいやそんなことないですよあの、いいと思いますけど、って人間ごときに寸評されてもご不快かもだけど、こう、あの、……気品がおありというか」


「あ、ありがとうございます。そう言っていただけますと……」


「あっいえいえそんな」


「いえいえこちらこそ」


「お二方」


 今度はトドの番だ。あからさまな作り笑顔だが、助け舟にはちがいない。


「微笑ましい限りですが、そろそろ参りましょうか」


 仲人なこうどみたいな台詞を吐いて、自分はさっさと案内役を決め込んだ。

 勝手知ったると言わんばかりの、よどみない歩調でエントランスへ向かう。


 女性の背丈は、俺より頭ひとつ低い。こちらを時々見上げるが、話しかけてくることはない。

 場をもてあまし、きれいな建物ですねとか広いですねとか、そんなお世辞を垂れ流していると、足元を見つめてくる視線に気づく。


「あの、何か?」


「あ、っごめんなさい不躾ぶしつけに……ええと、その、ご立派なひづめですね」


?」


 ぶふっと吹き出したのは、先導せんどうするイヌ科である。


「そいつは、異界の靴です」


「……え、まさかそんなニンゲンが、これほど頑丈な靴を!? すごい……っ」


 感涙かんるいにむせぶ声が聞こえる。よくわからないが、これが異世界に特有の、何をしても褒め殺しにされるアレなのだろう。

 遠目とおめの印象に反し、真新しい柱の塗装を見つめながら、無言でリボンタイを締め直した。

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