疑問点と明朝体

「まだ言ってんの? それ」


 パジャマのまま、自分の現状をふたたび説明したところ、トドは語尾を吊り上げて答えてくれた。

 すでに正座を崩し、だらしなく胡坐あぐらをかいている。謝意を感じられない。


 しばらく沈黙が場を支配し、俺は静けさの中に羽音を聞き取る。

 室内に、虫がいるようだ。刺す種類じゃないとありがたい。次回の死因はアナフィキラシーショック、なんてことになったら目もあてられない。1回刺されただけならセーフだけど。


「だってお前、これどう見ても異世界……とりあえず職業は教師だよな、いや賢者かな、勇者ってキャラじゃないし、異世界ファンタジーは一見地味なサブキャラが活躍する話が多いっぽいし。あっそうだギルドに行かなきゃ、てかステータスとかスキルとかランクはどうなって……」


 真っ黒くろすけデカワンコに戻ってしまわれた友だちは、チョークみたいな爪で頭頂部の体毛を掻きながら、アホを見る眼で俺を観察している。


「なあトド、ステータスってどうやって見るの?」


「つまり、おまえはおれに臓物を喰われて、異世界に来たと。正気?」


 喰ったやつに言われたくない。


「あのさ。何に影響されたかは予想がつくけどさ。フィクションと現実は別物だろ? もうさあ、社会人にもなってさあ、おれはともかく陛下の前で、あんな……なんだよ異世界って? たしかに最近、ネトフリもアマプラもそれ系のアニメ多いよ? でもああいうのはあくまで架空のお話でしょ? ところがどっこい、ここは現実だから。魔界だから」


「いや魔界は異世界だろ」


「はい?」


 そんな目で見るな。


「つか、お前も言ってたやん」


「何を」


「この前のアレでなんか、異世界でも教師やるのかよーみたいな、そんな感じの……」


「それとこれとは別だよ。介抱してもらって言うのも心苦しいけど、酔っ払いの言葉を根拠にするのはどうかと思うよ」


 そうだね。


「定義は?」


「え?」


「異世界転移の、定義」


「女神が出てきて死んだことのお詫びとしてすごい能力を……」


「もっとシンプルに」


「あの、あれだよ、……異世界に来ること?」


「だからここは魔界だよ」


「だから魔界は異世界……」


「そもそもおまえが来たんじゃなくて、こっちが呼んだんだけど。〈召喚術〉で」


「……そうなんだ」


「したらさ、転移、してなくない? こっちが呼んだわけじゃん? したら定義から外れるべ?」


「……そうかな。いやでも、基本的にトラックに轢かれて女神に呼びつけられる流れで始まるイメージがあるから、召喚されたならそれはそれで定義に」


「もうやめてくれん? 話が終わらんから」


「あ、うん……」


「……で、なんですかね、この怪文書は」


 怪文書、というのは俺が提示した疑問点リストである。ワードを起動してコツコツと執筆した自信作だ。

 実は自分の部屋を与えられた際に、ノートパソコンだけは返却してもらえたのだった。私物なので返してほしい、ついでに俺も帰してほしいと、しどろもどろに懇願したら後者はともかく、前者については快諾してくれたのだ。

 その勢いで家にも帰らせてくれ。


「バッテリーどうなってんだ、それ」


「今度はバッテリーですか。あのねえ、王都ギスカザル雷気ライキが無料なんだよ。だから勝手に充電されるってわけ」


「ぎす……なんて?」


「あー、まあ、あとでな」


 あぐらをかいて、首だけ突き出したトドは、膝にノートパソコンを乗せたまま、床に置いたマウスのホイールをひっかく。俺が心をこめて執筆した、〈今回の異世界転移における疑問点一覧.docx〉を閲読えつどくしているらしい。


「箇条書きかあ。律儀だねえ。上から1個ずつでいい?」


 よかろう、では――そもそも魔界とは、魔族とは?


「魔界は魔界で、魔族は魔族。ニンゲンがニンゲンなのと一緒」


 なぜ二足歩行の動物みたいな姿をしているのか?


「なんであっちのドーブツは魔族おれらに似てんの?」


 この世界の人間はどこにいるのか?


「近くならオピバニアの〈保護区〉か、ルペーニヤの〈自治区〉。オピバニアは今日、研修オリエンテーションで行くとこだな」


 彼らの扱いはどうなっているのか?


「どうって……、保護したり、してなかったり」


 魔王は原子爆弾についてどこで知ったのか?


「ゲンシバクダン自体は、魔界にもあるからなあ」


 疫病はいつばらまくのか?


「陛下に聞いて」


 毒ガスはいつ使うのか?


「さっき使ったじゃん。……えっ、おまえさっき死んだんだよ? こんな小さい部屋にサリン撒かれたら死ぬに決まってんじゃん。んでおれが様子見に来たの。しばらくしたら死んだけどね。虫みたいに。あっ、換気はしといたから心配しなくていいぞ。ところで窓がないのにどうやって換気したと思う?……ごめんどうでもいっか。次行こ次」


 なぜ俺のブルーレイと俺のノートパソコンが異世界にあるのか?


「ん? 持ってきたのおれだよ?」


 いつ俺の家から盗ってきたのか?


「おまえを殺って、もろもろの手続き済ませて、また戻って、そんで。パソコンぐらい要るっしょ」


 なぜ俺の前で俺の私物を使っているのか?


「しゃーないよ、奴隷だし。奴隷は主の所有物だから、奴隷が有する所有権と占有権は主との共同ってなるわけ。そこはしょうがない、法律だから」


 なぜ俺を奴隷にしているのか?


「だって新聞広告に出てたし。異界で教師やってるニンゲンを募集って。おれも運良く書記官の試験通ったわけだし、いい機会かなと。おまえだって教職はゴミとか日本死ねとかスカイプで死ぬほど愚痴ってましたし、win-winじゃないすか?」


 なぜ俺に首輪をつけているのか?


「首輪なかったら奴隷じゃないじゃん」


 なぜ人類を、滅ぼさなければならないのか?


「……そっから?」


 顔を上げたトドは、馬鹿を見る眼でこちらを一瞥する。

 もちろんそんなことで恐縮する俺ではない。


「そっからだよ」


 と、堂々たる直立不動で腕を組む。


「立ってて疲れない? 座れば?」


「いいから質問に答えろや」


「えーっ、でもニンゲンなんて死んだほうがよくね?」


「あの、マジでいい加減にして……?」


「納得できないならもう1回説明するよ。さっきまで死んでたのに、元気だな」


 たわけたことをほざきながら、何やらキーボードをダカダカと叩く。

 ブラウザゲーでもやってんのか? 殺すぞ。


「ざっくり解説すると、こんな感じ」

 

 そんな言葉とともにこちらに向けられた画面には、新規の文書が勝手に作成されていて、以下の文面が打ち込まれていた。明朝体の、簡潔な箇条書きだ。


〈①ニンゲンどもは悲惨な生活を送っている

 ②魔族からすりゃ死んだほうがマシ

 ③いっそ死なせたほうがよくね?

 ④殺るか~

                ―終―〉


「わかりやすいっしょ?」


「確認するけどふざけてる?」


「女神がどうだの女騎士がどうだの、不埒な妄想ばかりしている大春先生に言われたくないですぞ」


「殺すぞ」


「おれを殺したら宮殿から放逐ほうちくされちゃうぞ? だめ。ダメでーす」


 毛むくじゃらの腕がバッテンをつくる。俺はそっぽを向いた。


「すねてんの?」


「死ねよ……」


 相手を直視する気にはなれず、かといって視線をそらすにも限度があった。なんせこの部屋、自分が腰かけている寝具の他には窓ひとつないのだから。

 手持ち無沙汰ぶざたに、背後の壁をふりかえる。


 瞬間、煉瓦が吹き飛んだ。

 堅牢に塗り固められた、薄紙にも満たない厚さの目地材めじざいは、温められたのりのように融け出す。隙間から青空がむき出しになる。

 即座にベッドから離れた理由は、それだけにとどまらない。青空の只中に、重厚な緋色の塊が浮かんでいた。

 俺は塊を見た。塊も、俺を見ていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る