着ぐるみと偽名

「フミ、だいじょぶかー?」


 姿は見えずとも、声には聞き覚えがあった。

 南の島にいる友だち。美人のお姉さんがいて、毛髪量が米津玄師より多くて、のんびりした性分のシネフィル(こうして列挙してみると、ずいぶんキャラが濃い)。

 ところでここは、南の島ではなく魔界である。なんであいつが?


 起き上がるか、それとも叫んでみるか、すごく迷う。

 死んだと思っていたのが嘘のように、胸がすっきりしている。

 代わりに背中と後頭部が熨斗紙のしがみにでもされたように。硬い床に寝ていたせいかもしれない。


 蘇生時は床に寝そべるべしというルールでもあるのか。死んだらセーブ地点からスタート、なんてのはRPGだとよくある話な気がする。そういうことなのだろうか。

 宮内がこの場にいてくれれば……いや、死体が増えるだけか……



 迷ったあげく、背中の不快感を軽減する目的も兼ねて、前者を選択した。すなわち、ちゃんと眼を開けて声の主を見た。

 ヴォーダンだ。

 俺は眼を閉じてふたたび寝転がる。おやすみ。


「おーい、寝るなー」


 繰り返すが、姿にも声にも心当たりがある。

 問題はそのふたつが一致していないことだ。


「お前、トドか」


 眼を閉じたまま、寝たまま問いかける。ちがっててくれえ、と祈りながら。


「うん」


 即答である。信じがたい。こいつには常識ってもんがないのか。

 あっちょっと待て。ということはこやつは、えーと、あのオオトドヨシトモであるということ? 冗談きついぜ。


「なんで着ぐるみ着てんだよ。お前人間だろ?」


「いいから起きろって」


 うるさい黙れ。


「お前、人間だろ?」


「魔族だよ」


「俺は信じない」


「あ、そう。まあ見てな」


 見たいわけじゃない、というのは嘘で、好奇心がちょっと湧いたので、薄眼を開けつつ首を動かす。

 黒い、イヌ科の脚が見えた。踵が持ち上がった獣の脚。ちいさく尖った爪が円筒形えんとうけいの指に埋め込まれ、ガラスのような輪郭を保っている。


 次の瞬間、そこに密生する体毛が、ぶわりと逆立つ。風もないのに一本ずつが、意思を持ったようにうごめく。それが数秒続いてから、自分の動きに耐えかねたように抜け落ちていく。

 綿毛のように飛び散りながら、銀粉のように光って消えた。風と砂がこすれる音を立てて、全身にかぶさる、影より暗い黒が溶ける。

 あらわれたのは、礼服をまとった、若い優男だ。背丈は縮んで、俺より頭ひとつ低い。


「な。だろ」


 トドは大椴義智おおとどよしともの声と姿で、断定した。

 俺は、俺が上体を起こしていることに、ようやく気づく。



「おれの名前は、ヴォーダン。そっちの世界じゃ大椴オオトドだけどな。平たく言うと偽名だ」


 壁に肩で寄りかかり柔和にゅうわな表情で言い放つ友だちは、気づけばチョコレートのような菓子を食べていて、手のひらに転がる一粒を、毛むくじゃらな指でつまんで口に放り込む。


「おれ、なんてーの、人狼だからさ。詳しい説明は省きますが、生まれつきの体質でニンゲンに変身できるわけでして」


 その眼は満月のように黄色い。俺は立ったまま、それを見つめている。

 そういえば瞳の形状がイヌみたいだと、からかった先輩にキレたことがあった(声を荒げるタイプじゃないが、怒ると多弁になる)。今考えると、正体がバレるのではと焦ったのかも。

 正体を知ってしまった身としては、相手が自分の指を舌でなめるだけで肩が跳ねあがる。


「ひえ、お、俺はガリガリだから喰ってもうまくねーぞ!」


「そうでもなかったけどね。……さて、こっちの身の上話はこれぐらいにして。とりあえず、真っ先に謝りたいことがあるんだ」


 まばたきひとつ、トドというかヴォーダンというかそんな存在なオオカミ星人は、だしぬけに言い放つ。

 目の前で手を合わせながら。


「おまえが見た夢って、夢じゃないんよ」


「えっ?」


「あと、ぶっちゃけおまえを喰ったの、おれなんよ。マジでごめん!」


 例の光景を思い出す――そういえば夢でに殺された。


「冗談」


「冗談じゃなくて」


 少し考える。


「ガチで?」


「うん」


「えっ、てことは俺もお前を殺していい?」


「あ、あのごめん、調子に乗ったことは自覚してる。ひさしぶりに臓物が食べたくて」


「何言ってんの? 首絞めるよ?」


「おまえが何言ってんだよやめてよ! だいたい推薦したニンゲンが凶暴ってなったら……」


?」


「あっ」


 なるほど。現状の元凶はこいつか。


「殺す。いつか絶対殺す」


「ご、ごめん。そんな怒るとは……いやほんと、すみませんでしたっ!」


 正座して、土下座をかます姿を見下ろす。

 ところで、この部屋には家具などという文明的なものは存在しない。視線をそらしても、視界に入るのは壁と天井の煉瓦くらいだ。

 退屈になったので、足元にひざまずく後頭部に、自分のかかとを渾身の力で振り下ろす。


「いっでぇ!」


「るせえぞこの野郎! てめえそれ昨日の俺の真似か馬鹿にしてんのかあぁ!?」


「痛いたいたいたいっ、暴力だ暴力! ぎぃーっ!」


 気が済むまで石煉瓦の床とキスさせてから、正座の続行を命令。自分はベッドに腰かけて脚を組む。SMクラブの女王様みたいに(行ったことないけど)。

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