着ぐるみと偽名
「フミ、だいじょぶかー?」
姿は見えずとも、声には聞き覚えがあった。
南の島にいる友だち。美人のお姉さんがいて、毛髪量が米津玄師より多くて、のんびりした性分のシネフィル(こうして列挙してみると、ずいぶんキャラが濃い)。
ところでここは、南の島ではなく魔界である。なんであいつが?
起き上がるか、それとも叫んでみるか、すごく迷う。
死んだと思っていたのが嘘のように、胸がすっきりしている。
代わりに背中と後頭部が
蘇生時は床に寝そべるべしというルールでもあるのか。死んだらセーブ地点からスタート、なんてのはRPGだとよくある話な気がする。そういうことなのだろうか。
宮内がこの場にいてくれれば……いや、死体が増えるだけか……
*
迷ったあげく、背中の不快感を軽減する目的も兼ねて、前者を選択した。すなわち、ちゃんと眼を開けて声の主を見た。
ヴォーダンだ。
俺は眼を閉じてふたたび寝転がる。おやすみ。
「おーい、寝るなー」
繰り返すが、姿にも声にも心当たりがある。
問題はそのふたつが一致していないことだ。
「お前、トドか」
眼を閉じたまま、寝たまま問いかける。ちがっててくれえ、と祈りながら。
「うん」
即答である。信じがたい。こいつには常識ってもんがないのか。
あっちょっと待て。ということはこやつは、えーと、あのオオトドヨシトモであるということ? 冗談きついぜ。
「なんで着ぐるみ着てんだよ。お前人間だろ?」
「いいから起きろって」
うるさい黙れ。
「お前、人間だろ?」
「魔族だよ」
「俺は信じない」
「あ、そう。まあ見てな」
見たいわけじゃない、というのは嘘で、好奇心がちょっと湧いたので、薄眼を開けつつ首を動かす。
黒い、イヌ科の脚が見えた。踵が持ち上がった獣の脚。ちいさく尖った爪が
次の瞬間、そこに密生する体毛が、ぶわりと逆立つ。風もないのに一本ずつが、意思を持ったようにうごめく。それが数秒続いてから、自分の動きに耐えかねたように抜け落ちていく。
綿毛のように飛び散りながら、銀粉のように光って消えた。風と砂がこすれる音を立てて、全身にかぶさる、影より暗い黒が溶ける。
あらわれたのは、礼服をまとった、若い優男だ。背丈は縮んで、俺より頭ひとつ低い。
「な。おれだろ」
トドは
俺は、俺が上体を起こしていることに、ようやく気づく。
*
「おれの名前は、ヴォーダン。そっちの世界じゃ
壁に肩で寄りかかり
「おれ、なんてーの、人狼だからさ。詳しい説明は省きますが、生まれつきの体質でニンゲンに変身できるわけでして」
その眼は満月のように黄色い。俺は立ったまま、それを見つめている。
そういえば瞳の形状がイヌみたいだと、からかった先輩にキレたことがあった(声を荒げるタイプじゃないが、怒ると多弁になる)。今考えると、正体がバレるのではと焦ったのかも。
正体を知ってしまった身としては、相手が自分の指を舌でなめるだけで肩が跳ねあがる。
「ひえ、お、俺はガリガリだから喰ってもうまくねーぞ!」
「そうでもなかったけどね。……さて、こっちの身の上話はこれぐらいにして。とりあえず、真っ先に謝りたいことがあるんだ」
まばたきひとつ、トドというかヴォーダンというかそんな存在なオオカミ星人は、だしぬけに言い放つ。
目の前で手を合わせながら。
「おまえが見た夢って、夢じゃないんよ」
「えっ?」
「あと、ぶっちゃけおまえを喰ったの、おれなんよ。マジでごめん!」
例の光景を思い出す――そういえば夢でオオカミに殺された。
「冗談」
「冗談じゃなくて」
少し考える。
「ガチで?」
「うん」
「えっ、てことは俺もお前を殺していい?」
「あ、あのごめん、調子に乗ったことは自覚してる。ひさしぶりに臓物が食べたくて」
「何言ってんの? 首絞めるよ?」
「おまえが何言ってんだよやめてよ! だいたい推薦したニンゲンが凶暴ってなったら……」
「推薦?」
「あっ」
なるほど。現状の元凶はこいつか。
「殺す。いつか絶対殺す」
「ご、ごめん。そんな怒るとは……いやほんと、すみませんでしたっ!」
正座して、土下座をかます姿を見下ろす。
ところで、この部屋には家具などという文明的なものは存在しない。視線をそらしても、視界に入るのは壁と天井の煉瓦くらいだ。
退屈になったので、足元にひざまずく後頭部に、自分のかかとを渾身の力で振り下ろす。
「いっでぇ!」
「るせえぞこの野郎! てめえそれ昨日の俺の真似か馬鹿にしてんのかあぁ!?」
「痛いたいたいたいっ、暴力だ暴力! ぎぃーっ!」
気が済むまで石煉瓦の床とキスさせてから、正座の続行を命令。自分はベッドに腰かけて脚を組む。SMクラブの女王様みたいに(行ったことないけど)。
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