卒業研究と保健室

 そんなわけで、一度は前後を間違われつつも無事に首をくっつけていただいた俺は、状況を理解するために他ならぬ教え子に教えを乞う羽目に。

 教わった事情は以下のとおり。



 ちょうど昨日、お母様(旧魔王様)から譲位されたばかりだという偉大なる魔王陛下は、現在、通っている〈学園〉の卒業を1年後に控えるばかり。

 卒業研究のテーマは、魔界の人間を滅ぼす方法。

 彼らがあまりに悲惨な生活を送っているから、みなごろしにして、楽にしてあげようと思ったんだって。


 ところで、卒業後は魔族を束ねる者として、本格的に辣腕らつわんをふるわなければならない。なので実務に向けた訓練として、実際に滅ぼすところまで達成したーい!

 であれば直接、人間に滅ぼし方を教えてもらうのがベスト。これからはコンプライアンスの時代、滅ぼされるほうの意見も尊重しなくちゃ。


 とはいうものの、彼らは知能が低いし、悲しいことに魔族を恐れているので、意見を求めることさえ容易ではない。これは困った。

 だが待てよ? 異界の人間ならば、少しはまともな教育を受けているはずだから、高潔こうけつなる魔族とも、かろうじてコミュニケーションが取れるのでは?


 そうと決まれば、さっそくさらおう。殺して首輪をつけて、奴隷にしよう。

 奴隷にしちゃえば何度殺しても生き返るから、どうすれば人間が安らかに逝けるかの実験台にも使えるよ!

 ところで攫ってくる個体は、どんなのがいいかな? 教えを乞うのだし、教育を専門とする者であるほうが……

 ……教師でいいか。



 結論から言うと、帰る方法は見つからなかった。そしてわからないことが増えた――

 しょうがない。生きていれば、そういうこともある。20余年の短い生涯において、間違いなく今がどん底だが、明けない夜はないと信じている。『雨に唄えば』の精神でいこうじゃないか。


 それに、あれだ。異世界に来たんだし、底辺から這い上がる筋書きな可能性も、ゼロではないというか。

 わからないけどあるんでしょ、そういう展開? だからさ、そういったこともあるかもしれない、ないかもしれない。今のところ蓋然性がいぜんせいとしては絶無だけど、でも、強く生きよ?

 それでは冒頭の一場面に戻ろう。



「えーっと、あのですね、あの、毒ガスというのは、えー、資料で、資料でご覧いただいたとおりですね、第一次世界大戦から、使われ出した、えー生物、じゃなかった化学兵器でありまして……」


 こうして、魔王様専属の宮廷教師兼奴隷となった俺は、VXガスやサリンについて、乏しい学識を伝えなくてはならなかった。

 毒ガスそのものは第一次世界大戦から使われ始めたとか、気管に炎症を起こしたり神経伝達物質の正常な機能を妨げたりするとか、昔はテロに使われたこともあるとか、国際法で生物兵器は使用が禁止されているとか、でも破る国もあるとかその程度のことだけど、教え子はちゃんとメモを取っているようだ。

 気づけば、だいたいのところを話し尽くした。


「……はい、というわけでですね、第一次世界大戦から、使われ出したんですね」


「それは最初に聞いた」


 知っている。時間稼ぎだ。


「ところで、そういうことについて詳しい書物はあるだろうか」


 言っている意味がわからず、文鳥のように首をかしげていると、


「異界……センセイがいた世界の、書籍が読みたい。その、サリンとかいう化学兵器について書かれたものを。何か知っているのでは?」


「知らねっす」


 俺は天井に頭をぶつけた。切断された首が勢いよく真上に射出されたからだ。


「ほげああああ!?」


 悲鳴をあげながらも、眼球を限界まで真下に向ける。

 頸動脈から噴き出す鮮血で、魔王様は髪の毛ならず全身がド真っ赤だ。いっぽうの俺は、鉄錆の臭気を鼻いっぱいにねじ込まれる感覚とともに、意識を失う。

 そして気づけば、床に寝転がっている。


「おはようセンセイ。嘘はつかないように」


 立ち上がり、首に手を当てると、首輪がついている。どういう理屈であろうか、血痕けっこんは一滴も散っていない。

 俺は泣いた。



 泣きわめいてまぶたを腫らしても、生徒の攻勢は収まらない。


「なんでもいいから、読んでみたいんだ」


 どこで手に入れるんですかとか、どうでもいいことをたずねる代わりに、決死の抵抗として人道的な書物をご紹介さしあげる。村上春樹の『アンダーグラウンド』、あるいは森達也の『A3』。


「感謝する」


 すまねえ人類。俺は未来の犠牲者へ、内心で祈りをささげる。

 初日にして心労で壊れそうだ。精神の安らぎを保つためにも、プライバシーの確保された空間が欲しい。そんなものくれるだろうか? それともここで、教えのついでに許しも乞うか?

 をおさめるために目頭めがしらをおさえた瞬間、ぼうん、ぼうん、と柱時計が鳴る。

 んなもんあったっけ? ていうかあるのかよ、異世界に柱時計が?


「もうこんな時間か」


 どんな時間だと、見上げた文字盤(窓の脇に埋め込まれていた)の数字は、読めない。

 え? こいつ話してんの日本語じゃね? 気づかなかったがどうやって平然と会話を……あああもういい、だめだ考えるな、そういうの今はいい。


「明日もよろしく頼むぞ、センセイ」


「断っても」


「断ったら殺す。殺していいか?」


 にこにこと、笑って言い放つ。

 俺には窓のない個室と、保健室に置いてありそうな、薄っぺらなベッドが与えられた。しあわせだ。

 祈ることもせずまた泣いて、やっぱり祈ってから、寝た。

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