宮廷教師と膀胱

 おわかりいただけただろうか。ここまでが、他ならぬ俺がこんな異世界にたどり着いた経緯である。

 あの場で口にした願望が、実現されてしまったとみえる。そうとしか思えない。

 そして実現にはおそらく、酌をしてやった友だちが関係しているのだが、さすがにまだ推測の域を出ない。もう少し回想を続けよう。


 ちなみに考えるべき点は、他にもある。異世界モノは、主人公の死で始まるパターンが多い(らしい)点だ。俺だって、殺されたのがきっかけでこんなことに。

 滑り出しとしては上々だし、やっぱりこれは転移とやらをしたに違いない。


 えっ?

 いつまでも過去にしがみついていないで、さっさとスキルとかステータスを確認してチートとか無双とかハーレムとかざまぁとかまったりスローライフを開始しろ?

 ちょっと待ってくださいよ。このあとたぶんやるから、そういうの。

 たぶん。



 そばかすの散った童顔にビンタすべきか、己自身にビンタすべきか。

 良識ある大人として、俺は後者を選んだ。


「ほぁうっ」


 ふつうに痛くて、交尾中のオットセイのような声を出してしまう。恥ずかしい。


「ど、どうしたセンセイ?」


 少女が日本語で話しかけてくる。

 俺は仰向けのまま、眼を閉じて、ひらいた。何も起こらない。

 夢ではない? まさか。


「ヴォーダンから、事情は聞いています」


 誰かがそう言った。声の感じからして女性だ。

 顔だけを向けると、何かが、目の前に座っている。毛だらけで、あるようだ。


「母上、今しばしお待ちを――」


「静かに」


 正面の玉座ぎょくざに腰かける、着ぐるみを大きくした怪物が、少女をいましめた。

 それなりに厳粛な雰囲気である。寝転がったまま話を聞くのもどうかと、体育座りをしてみる。床に。

 怪物の眼が明確に、こちらへ向けられる。


「まず、ひとつ。ここは貴方がた、の者があずかり知らぬ、もうひとつの常世とこよです。われわれと、そう呼んでいますが」


 口元の苦み走った笑みからして、俺のおふくろと同年代だ。

 落ち着け。


「なぜ、われわれが貴方ニンゲンを呼んだのでしょうか。結論から言えば、宮廷教師として、愚娘の〈学園〉、王立学術院の卒業研究の補佐をしてもらうためです」


 どうでもいいが、おふくろは医者だ。なのにかっぱえびせんを食いすぎてBMIが限界突破している。そしてこの怪物は、容姿ようしは似ていないが体格が、似ている、おふくろに。あっ、おふくろは脂肪だけどこのひとは筋肉だな、これは。うーん。

 落ち着け。


「研究内容は、魔界のニンゲンを滅ぼす方法」


 落ち着け。聞き間違いだ。ぜったいそうだ。

 ちくしょう、テンパったときに限ってどうでもいいこと考えてるからこうして肝心なときにお前はまったく!


「他ならぬ貴方あなたが選ばれたのは、貴方が、教師だからです。教育に従事させるとして、貴方自身の教育から始めるのは時間の無駄ですから」


 うるせえな落ち着かせてくれ、てかさっきから何をわけわかんねえことぬかしやがる着ぐるみのくせに、なんっ……

 何これ。

 えっライオン?


 よく見ると、よくよく見ると、いやーこれは西洋式の礼服、のようなもの、おやっ、肩当てに金糸きんし、とかのついた高そうなやつを着ていらっしゃる?

 壮年の女性の声で、ライオンさんが、口を動かしておられておって……

 幻覚? ドッキリ?

 俺は正座して、周囲にあるはずのテレビカメラをさがす。

 見つからない。なんで?


「母上、ここから先はわたしが……では行こうか、センセイ」


 かちゃん、というやさしい音がして、首筋に、締めつけられる鈍痛が走った。

 えっ、なんかされた。これは……あ、首輪。あら。


「きついな」


 首の皮と首輪の隙間に、黒曜石のような獣の爪が差し込まれる。俺は絶叫した。


「あっ、すまない。くすぐったいか?」


「うるせえっ!」


 そしてキレた。

 俺は、キレるとやっかいだぞ、いつまでも根に持つし。そんなアピールをこめて、ひとまず距離を取り、腕をふりまわそうとして、やめる。周囲からの視線を感じたからだ。暗くてちゃんと見えないが、おそらく想定以上にひとがいる。

 正座して土下座。


「ゆるしてください」


「いや、謝ることはないが……」


 着ぐるみではないほうの女の子は、びくびくしながら俺に応じる。


「ところで、今までの記憶は定かだろうか」


 はい?


「どうも、混乱されているようだから」


 そうだろうか? 目の前の光景が夢か現実かわからず、意味不明な挙措を連発しているのは、混乱したふるまいと見なせるだろうか?

 見なせるにちがいない。遅ればせながら気づいた。



 俺は、気づいたらここにいた。極限までシンプルに事実を述べると、そうなる。

 もちろんそれだけで、納得させられるとは思っちゃいない。水を得た魚のように、我ながら要領の得ない事柄を、身振りをまじえて懸命にしゃべった。日本死ね、草原の殺人、内臓喰われ映像、呑み会と抗うつ剤――。


「なのでワタクシは、異世界転移を、したのではないかなぁ、と」


 自分のひたむきさに、自分でも泣きそう。


「はあ?」


 だというのにこの反応。


「どうも要領を得ませんね。……ヴォーダン補弼書記官」


「はっ」


「この者の真意が、わかりますか?」


 俺は首を動かさず、目線だけで目の前のやりとりを追った。ヴォーダン、というのはたぶんこの、でかいイヌだろう。呼び掛けに反応していたので間違いない。

 いつ現れたのか、いつから跪いていたのか、気づいたら隣にいる。そして大事なことだが、イヌはしゃべらないし服を着ないし、後ろ足で直立できない。

 本格的にやばい。幻覚がビッグウェーブすぎる。


「偉大なる魔王佐殿下。官吏の末席を戴く獣として、畏れ多くも奏上いたします。僭越ながらこのニンゲンは、〈召喚術〉について述べておるのではないかと愚考いたします」


「それがどうして、このようなふざけた与太話になるのですか」


「愚見では、クァホートンにおける〈人肉採鉱業〉にて〈鉱体〉のニンゲンどもに典型的に顕現する、幻覚および誇大妄想の作用に影響されたものではないかと」


 しゃべりまくるイヌ科は靴を履かず、動物のように太く短い足指で立っている。堅牢な膝はゆるやかに曲がり、上体を乗り出すようにして、尻尾のついた全身のバランスを保っている。

 黒い艶を帯びた体毛が、頭頂部からつま先まで密生している。着ぐるみの感触からほど遠いことが、見た目にも明らかなこわい毛並み。それが脚どころか全身を、顔面を覆っている。

 どこかで、見覚えのある姿だ。


「つまり?」


の地にて顕現するニンゲンどもの幻覚が、ふたたび元の世界に帰されし彼奴等きゃつらの脳裏に、いわば残渣ざんさのようにとどまった結果、それらが言語化と物語化を施され、文芸作品として流通するという事態が近年、同胞よりあまた報告されております。ゆえにそれら諸作品に、この大春二三オーハルフミもまた感化されたのではないかと」


「……合点がいきました。つまりこの者は本気で、己がに来たと勘違いしていると。つまり、……なんと言いましたか、チートだの無双だのハーレムだのざまぁだのまったりスローライフだの、そういう愚にもつかぬ妄想に基づいて己の自尊心と性欲を満たすために拵えられた、俗物としかいいようのない、みすぼらしくもたわけた世界に来たのだと勘違いしている。……まったく、なんたる侮辱か」


 ゴリゴリに罵倒されているが、俺のせいなのだろうか。事実を話しただけなのに。おいどうにかしろよ、お前がまいた種だぞこれ。

 という気持ちをこめてイヌ科星人を盗み見ていると、勘づかれたのか、眼が合ってしまった。

 自分はともかく、相手の眼差しは弛緩しかんしていて、たぶん、おそらくだがこれは、笑いをこらえている。他者ひとの情緒不安定がそんなに面白いかこの野郎。


「だってさ、フミ」


 ん?

 なんか、聞き覚えのある声。なんで俺の名前を(女性みたいな名前だ、と女性からも男性からも言われることが多い。俺もそう思う)。

 ……そんなわけがない、そんなわけがない。自分に言い聞かせながら、ひとまず顔を伏せる。


「……トド?」


 冗談でひとりごとをつぶやくと、


「どした?」


 という声が降ってきて、顔を上げる。

 シャンデリアの逆光を背負った、毛むくじゃらの影。


「首上げたり下げたり、いそがしいやつ」


 黒い毛玉は噴き出すと、


「よーわからんけど、ちゃんとのおっしゃること聞けよ。じゃな」


 そんなことを耳元でささやき、きびすを返し、魔王なんとかに慇懃な敬礼をかましてから、支柱の周囲にわだかまる影の中へ消える。

 影に溶けゆく姿には見覚えがあって、さっきまでの夢が頭をよぎる。

 俺を殺したオオカミに似た何かが、俺の友だちの声で、しゃべった。


 ……やめよう。考えるのは、やめよう。そんなことより今はこっち、首輪。

 なぜ?

 答えを求めて、顔を上げたままでいると、玉座に腰かけた、黄金色の毛玉と眼が合う。ていうか毛玉じゃなかった、魔王佐だ、つまり魔王の補佐。

 

 そんなあなた、いくらなんでもそれは。異世界。


「処遇に不満が?」


「えっ?」


「野良のニンゲンとして、城下に放逐ほうちくしろと?」


 魔王佐殿下は、片肘をついてため息もついた。

 話を完璧に聞いていなかったが、殺されるのかしら? あっもう殺されてんのか。そしたらあっしはなぜ生きて……?


「現実を拒み、己の研鑽から逃れ、空想に惑溺し、事故死だの病死だのをきっかけに女神だのから褒美や詫びとして超常的な能力を授けられ、自身の世界より劣った文明や価値観を有する世界に辿り着き、あまつさえ自身のさもしい物欲や名誉欲や性欲を充足させるために無体をはたらくことを夢見る、貴殿のごとき下等生物を飼う物好きは、ごくわずかであると心得てください」


 んん、なんっ、なんの話?


「当然ながら、奴隷は主の所有物ですから、頭をきつぶし、骨と筋肉と臓器に分解し、売りさばくのも自由です。貴殿の妄想する異世界とやらではともかく、、ニンゲンの臓器は珍味として高値で出回っていますからね。とくに膀胱」


「ちょ、ふふっ……あのちょっと待っ」


 反射的にほほえむと、右手をつかまれる。誰だ。


「さあ行こうセンセイ、続きはわたしの書斎で」


 誰だお前。いやさっきの女の子か。

 え、誰この女の子?


「いや、えっ待って? 待って待って待って首輪……」


「大丈夫だ、わたしがついている」


 女の子が生やしている尻尾が、モーターで動いているかのように、なめらかに蠢いている。よく見ると大きいほう、玉座に坐っているやつと、毛並みの色味が同じだ。

 そういやとか言っていた。つまり目の前のライオンの娘。すなわちこの女の子が魔王陛下?

 なるほど。


「その、抵抗した場合は殺すので、ついてきてほしいのだが」


 俺はついていくことにした。

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