蝉の棲む よるの森


 飲み直す、とはいってもこの辺りは住宅街で、小洒落たバーはおろか、居酒屋みたいなところも少し歩いた駅の近くにしかない。


 だから、ぼくらの足は自然と駅のほうへ向いた。日没から四時間ほど経ったにもかかわらず、相も変わらず外の空気は気味の悪い熱を孕んでいて、ぼくはジャージの袖を捲った。


 県道から駅へ抜ける近道は深夜と言っていい時間を回っているにも関わらず、ちらほらすれ違う人の流れがあった。深夜の住宅街に灯る青白い街灯に照らされた人々の顔には心地よい疲れが浮かんでいる。


 高校時代はこの道をしばしば二人で本の感想とかしょーもないこととかを話しながら帰ったものだ。細い道の左右に並ぶ家々は当時と変わらないはずだけれど、微かな秋の香りを身にまとった闇色のビロードに覆われているせいか、全く違うものに見える。


 抜け道を半ばほど行ったところで、Nはふと、足を止めた。

「こうやって夜に見ると、ここって闇に沈み込んで独立した別世界みたい」


 そこは、住宅街の中に絶海の孤島のようにぽつねんと切り取られた神社だった。

 たしか、ふたりで帰ったときは、いつもここで別れていた。Nの実家のすぐちかく。


「疲れちゃった。もうここで休まない? コンビニで飲み物とか買ってさ、昔みたいに。」

 今日はノスタルジィなんですね、昔話なんてらしくもない。

「旧友にばったり会ったのにどうして就活の愚痴を吐かなきゃなんないわけ?」

 美化して脚色された思い出を語ったほうが楽しいでしょう?」


  ***


 神社のすぐ近くのコンビニで買った、ビニール袋をぶら下げて、ぼくらは、神社の林へ迷い込んだ。


 袋の中には缶チューハイとチルドのおつまみ。

 境内は周りよりもいくらか涼しかったが、体内時計の壊れた蝉がそこらで鳴きわめいていた。


「夜の蝉の声ってさ、人間の環境破壊の恨み節のように聞こえてこない?」


 さっきからNはポエミーなことばかり言っている。もうずいぶん酔ってきたらしい。


「このくらいなら、素面でも考えるよ、なんたって小説家なんだぜ? 私はよぉ…」


 素面なら口に出しはしないらしい。



 深夜にお邪魔するということを本殿で一言詫びをいれてから、境内にあるベンチで缶チューハイを開ける。

 28円で許して貰えるだろうか


「んじゃ、改めて。乾杯」

「かんぱーい」


 口の中に飛び込んだアルコールと柑橘系の苦みが一気に胃の奥まで駆け下りていく。酔っぱらうための酒の味がする。


「そんで、読ませてよ、書いてるんでしょ、今も。顔に書いてあった。この作家先生に見せてごらんなさい」


 ぼくはしぶしぶ、というポーズをとりながら今書いている小説のリンクをNに送った。


 前回のトーク履歴は三年前のものだった。


「ありがと、それじゃ早速。」


 NはWordのアプリを立ち上げるとすぐに読み始めた。その瞳に映る色は真剣そのものだ。

やがて、スマホのバックライトで白く光るNの表情は、ころころと変わっていく。Nは楽しそうに本を読む。


Nが本を読む姿を眺めながら、僕は昔にもこんなことがあったことを思い出した。



 

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