あの春の日の出逢い


 ぼくたちの文芸部は部室として使われている旧校舎の一階の――一階には全国大会の常連の大型の文化部の部室が軒を連ねていた――端っこにあった。

 教室の半分ほど広さの部屋はその三分の二以上が本や卒業生が遺したガラクタやなんかで埋め尽くされていて、生徒の間では実績も部員も少ない文芸部が一階にあるのは、もともとは分相応に文芸部の部室は上の階にあったけれど、ガラクタと本の重さで部室の床が抜けたために一階に移動したのだとまことしやかに噂されていていた。


 ぼくは中学二年生のとき、中二病が高じて痛いポエムを書いたことがあった。それがきっかけで、中二病が鳴りを潜めはじめた当時も何かを書くということが好きだった。


 だから、ぼくが文芸部の軋む引き戸を開いたは当然だった。新入生らしく調子に乗っていたから「たのもう」なんて叫んびながら。


 窓もカーテンも閉め切られて薄暗く、かび臭くてモノだらけの部屋だった。

 一列だけ点いた蛍光灯の真下、乱雑に積まれた本の塔の奥から、「ぃらっしゃい…」とくぐもった少女の声がして、近づくとノートに何やら書いている女子生徒がいた。ハードカバーの塔に挟まれるようにして大きな丸眼鏡をかけた一五十センチないくらいの女の子が小説を書いている。セーラー服のリボンはホームルームの女子の胸元にあったのと違う色だった。


 それが当時高校二年生だったN、いやN先輩との出会いだった。

 彼女は顏を上げずに「ちょっと待って、もうちょっとでキリが付くから」とだけ言った。


 適当に座っていいよとも言われたけれど、彼女の座るイス以外は何かしらモノが積まれていて、ぼくは座るに座れないまま十五分くらい立ちつくしていると、果たして、ようやく手を止めた彼女は初めてぼくを見て、一年でけぇ、とつぶやいたのを、ぼくは聞き逃さなかった。第一印象はそこですか、そうですか


「待たせてごめんね、まずは文学部へようこそ、部活勧誘解禁から三日目にして初めてのお客さんだ。…たぶん。」

「――私が部長のN、今は私しかしないけどね、だから今入れば君が副部長になる。活動内容は、見ての通りここで本を読むなり、何か書くなりすること。

 それから九月の文化祭で部誌を出すこと。あとは自由。することないならそこらに転がってる本でも読むといいよ。」



 なんでも去年まで三年生が五人ほど在籍していたらしく、それなりに賑わっていたらしいが、みんな卒業してしまって今はN先輩ひとりらしい。

 だから、このままだとなくなってしまうかもしれないとも。


「それとさ、たった一年、生まれた時期が違っただけで、時代遅れな年功序列制のまね事するのって、私、ナンセンスだと思わうんだよね」

「だから。私は君に最初で最後の先輩権限を行使しようとおもう、今後もきみがここに来るつもりなら、私たちたちに上下関係はない、年上だからって、その、取ってつけたような敬語はやめてほしいな、オーケー? 後輩君?」


 それに、私が文章を書くようになったのは高校に入ってからだから、物書き歴なら君のが先輩みたいだし、と言ってN先輩もとい、Nはころころと楽しそうに笑った。


 それだけ言うと彼女はさっさと自分の世界に戻ってまた続きを書き始めてしまった。


 ぼくは近くにあったハードカバーを手に取ってみた。三十年前に出た名作ミステリの初版本だった。スピンのところを開くと、ちょうど犯人が探偵に言い当てられているところだった。


「あ、タメで話すってことは部員確保ってことでいいよね?」

 こうして、ぼくの、ぼくらの文芸の日々は始まったのだった。


 ***


「どうしたの? それもう空なんだけど?」

 そうNに言われて、口をつけていた中ジョッキが既に空っぽだったことに気が付いた。

ぼうっとしていた。

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