第二十六節 パルを手にして

 晩餐の時間、大きな食堂には、孤児院に居る全員が集められていた。

 食堂の両脇には協会兵が一定の間隔を置き、立っている。前の方には先生達が居並び、老齢の先生の一人が、一人前に進み出て、手に持った紙を開く。

「名前を呼ばれた者は前に出なさい」

 そう言って、叙任試験の合格者の名前を読み上げ始めた。

「オリヴィエ・イストーリア、フェテス・バーグナー」

 名前が呼ばれる度、わたしは手を握りしめた。

「ケレミー・ララミー」

 この試験に乗り越えられないようでは、とても裏山になんていけない。何しろあそこには、神域の子が居るのだから。

「デルフィ・イルミナーゼ」

 わたしは、自身の名前が呼ばれた事に、初め、気付かなかった。

 そんなわたしの背中を誰かがパンと叩いた。

「おい、呼ばれてんぜ、フェルミナ様?」

 見ると通音つうおんちゃんだった。

 わたしは慌てて、大きな食堂の前へと進み出る。

 そんなわたしを通音つうおんちゃんは面白そうに見て居た。


 居並ぶ人達、先生に新たな一人前のフェルミナ。そしてそれを見る、孤児院の全員。

 大量の人を前にして、わたしは萎縮した。手と足が震える。

 恐る恐る、前に呼び出された新たなフェルミナ達を見てみる。嬉しそうにして居るのは、オリヴィエだけ。ケレミーとフェテスはわたしを憎々し気に睨んでいた。

 わたしは慌てて観客側に視線を移す。だけれどそこにも、わたしを睨む目が。エステリティウスとアミエスタだった。更に目をらすと、拍手する人だかりの中に、悲しそうにわたし達を見詰めるリタラの姿を見付ける。その隣には、意外にもロンドの姿があった。ロンドはリタラを背後から抱き締め、ケレミーを睨んでいるようだった。

 ロンドがケレミーに負けるとは思えなかった。何かあったのだろうかと思った。

 エスタンティア先生が手を叩き、わたしは観客に背を向け、先生達に向き直った。

 エスタンティア先生はわたし達に向かい、そしてわたし達の背後の全員に向かい、両手を広げて優し気な声で言った。

「長い時をこの孤児院で過ごし、今日は巣立ち行く四人の者達が決まりました。フェルミナの秘儀は始まりにすぎません。秘儀を乗り越え、更には多くの知識、頑健な体を備えた者だけが、真のフェルミナとなるのです。彼等、彼女等は、怠る事なく、努力した報いを受ける事になりました。ここにいる四人を讃え、未来を祝福しましょう」

 そう言うと食堂中から再度の拍手が巻き起こる。孤児達、使用人、協会兵、先生、ほぼすべての人が手を叩いていた。

「我々協会が、真のフェルミナと認めた者の証を、アポロフィス師より四人に授けます」

 エスタンティア先生の横から、白い立派なひげを生やした老齢の先生が進み出る。手には紐のかけられた、真っ白なホタテ貝があった。

 アポロフィス師がフェルミナになった一人一人の前に立つ。各々が首を下げると、アポロフィス師がお手づから、ホタテを結んで輪にした紐を、首に通してくれる。

 わたしも頭を下げ、そして胸に白いホタテ貝が輝いた。

 アポロフィス師は、全員にホタテ貝を配り終えると、食堂にいる全員を見回した。

「四人はフェルミナとして正式に任に就く事となる。その為、東のプリステ・アモージュの国の、王都ファラスに叙任の報告に行って貰う。その後、配属先と最初の使命を告げられる事になるはずだ。出発は明後日」

 わたしは驚いてアポロフィス師を見た。

 裏山を探るにはもう時間がない。

「みなと過ごすのも後わずか。仕事先で会う事もあるだろうが、今のように何時も一緒にいられる訳ではなくなる。四人は出発の準備をせよ。その為、明日一日は自由にしてよい」

 アポロフィス師はわたし達を見てそう言い、そしてその他の者達に視線を移すと、

「他の者達は四人に別れの挨拶を済ませておくように」

 そのアポロフィス師の言葉が終わると、エスタンティア先生が再度前へと進み出て、

「みなさんの中からは、初めての正式なフェルミナの誕生です。今日はお祝いに豪華な食事を用意しました。四人を祝い、送り出して上げましょう。そして、これまでの事を、この顔ぶれで語らえる最後の機会です。悔いのないように楽しんで下さい」


 食事が始まり、わたしは主賓の席にケレミーと隣り合わせで座らせられる。もう片側にはオリヴィエ。わたしはあまりの居心地の悪さに終始うつむいていた。

 ケレミーもこちらを見る事がない。

 料理に手を伸ばそうと思った時、何かが振り降ろされ、慌てて手を引っ込めた。わたしの手があった所にケレミーが手にしたフォークが突き刺さっていた。

 ケレミーを見るとこちらを見向きもせず、笑いながら他の子と話している。

 わたしは控えめに睨むと、ケレミーもそれに気付いたのかこちらを見る。

「なに? 神域の子?」

 わたしは席を立ち、食堂を出た。

 もう片方の隣のオリヴィエは、わたし達の様子に気付き、固まっていた。

 だがオリヴィエ以外、食事や話しに夢中になっているのか、誰もが、わたしを気にする事はなかった。


「フェルミナ……」

 わたしは暗い廊下を歩きながら呟いた。

 訳も分からずここに来て、これから戦いの中に投げ込まれる事に不安を憶える。当時のわたしはそんな事を人に話すという事も知らなくて、押し潰されそうになっていた。

 壁によりかかり外を見上げる。冬の寒空の中、月が冷たく輝いていた。

「デルフィちゃん」

 そう声がかかったのはそんな時だった。

 わたしが慌てて振り返ると、そこにはリタラが居た。てっきりロンドも一緒かと思って見回したが、廊下にはわたし達以外いない。

 わたしは何と返事をした方がいいか迷ってしまい、

「そ、その、リタラだったら、きっと次は、フェルミナになれるよ」

 わたしがそう言うと、リタラは力なく笑い、首を振った。

「正直、わたしもお兄ちゃんも、叙任されない事で、安心しているんです」

 わたしはリタラがオフェーリアさんに語っていた事を思い出し、頷いた。

「そうだね。でも、ならなきゃいけないなら、二人一緒になれるといいね」

 わたしがそう言うと、リタラはにこりと笑い、ありがとうございます、と言った。

「それよりどうしたの?」

 わたしがそう聞くと、リタラはうつむき、上目遣いで、

「抜け出して来ました」

 そう言った。

 わたしは理由がわからず、どうして? と聞くと、少し恥ずかしそうにする。

「やっぱり、デルフィちゃんも恩人です。わたしがフェルミナの力ヴィジョンを使えるようになったのも、それ所か、最終試験にまで出れるようになったんです。きっとアルシェールちゃんとデルフィちゃんのお陰だから」

 そう言って、顔を上げて真っすぐ見て来る。

 リタラもどこか変わったんだと思い、どこか微笑ましくも感じた。同時にそんな真摯な目を向けられて、わたしは恥ずかしくなってしまった。

「そんな事ない。あれはリタラが頑張ったから」

 リタラは首を振る。

「うんう。わたし、フェルミナの力ヴィジョンを使えなかったら、ここから追い出されていたと思います。そしたらわたし、お兄ちゃんと一緒に居れず、生きて行けなかったと思うから」

 前々から思っていたが、ロンドとリタラの結び付きは少し強すぎると思っていたけれど、この時程それを感じた事はなかった。

 わたしは大げさと思い、生きて行けないなんてと呟くと、リタラは再度首を振った。

「わたしは小さい頃だったんでよく憶えていないのだけれど、両親にお兄ちゃんと一緒に遠くまで連れて行かれて、そこで迷子になったんです。お兄ちゃんに言わせれば、それは、両親に捨てられたと言う事なんだそうですけれど」

 リタラの話しに、わたしは何か答えなくてはならないと思ったが、何も言葉が浮かばなかった。

 リタラは笑い、

「ごめんなさい。デルフィちゃんも〝ここに〟いるって事は、きっといっぱい苦しい目に遭って来たんですよね」

 わたしは首を振った。

「わたしには記憶がないんだ」

 そう言うと、リタラは目を丸くして動きを止めた。

「わたしは何故ここにいるのかも、自身が誰なのかもわからない。ただ気付いたらここにいて、何時の間にかフェルミナに〝させられて〟」

 するとリタラはうつむき、呟いた。〝怖い〟よねと。

 その言葉がわたしの心に響く。そうだ、わたしは怖いのだと。これから何をさせられるのか、自身が何者かも分からないのに。

 そしてリタラがこう続けた。

「アルシェールちゃんや、オフェーリアさん、どこに行ったのかな?」

 わたしは歯を噛み締め、うつむく。

「アルシェールは、わたしの事を何か知っていた」

 リタラはえっと言って顔を上げる。

「わたしはフェルミナとして働く前に、アルシェールに会わなくちゃいけない」

「でもアルシェールちゃんはもう……」

 憐れむ顔で見るリタラにわたしは首を振った。

「いるんだ。死んだと言われた前日に、すごく元気な姿で、わたしは裏山で会ってる」

「じゃあ先生達が嘘を吐いてるって言うんですか」

 困惑した顔のリタラにわたしは頷いて見せる。

「アルシェールもオフェーリアさんも、いなくなった時期は同じ。ケレミー達も、わたしがアルシェールと会ったと同じ日に、裏山で、アルシェールでないと出来ない目にあったと言っている」

 リタラは窓の外を眺める。わたしも釣られてそちらを望む。

「クリシュナスピールの光の届かない、悪魔の洞窟」

 リタラの呟き。

「クリシュナスピールの結界の中に、神域の子を封印しているなんて変だ。そもそもクリシュナスピールは封印じゃなく、入って来れないようにする為の物。それに、神域の子がいると言う場所の、こんな近くに孤児院を置くなんてやっぱり変。もしかしたら悪魔の洞窟には、別の何かがいるんじゃないかって」

 リタラは首を振った。

「危ないよ。だってクオルンだって」

 そう言って視線を下げる。

 わたしは頷き、腰に差した軍刀の柄に手を置いた。

「だからこれを待ってた。もう時間がない」

 リタラはうつむき、何も言わなかった。

「明後日の朝に遅れる訳には行かないから明日の夜はダメ。昼間は食事の時間があるから明日も気付かれる。夜に、だから今しか、行けないんだ」

 リタラは目を見開いて、わたしを見た。

「だめ、ダメだよ、そんな!」

 わたしは首を振った。

「だから、もう、行く、そう決めたんだ」

 リタラはうつむき、

「最後には、結局みんないなくなっちゃうんだ……」

 わたしは黙ってリタラに頭を下げると、その場を後にした。


 その頃は晴れも続いていて、積もった雪も大分溶けていた。

 それでも山にはそこそこの雪が残っていたし、溶けた水で足場も悪いだろう。緩くなった地盤、視界の利かない夜に行くなんて自殺行為に思う。それでも行こうと決めていた。

 悪魔の洞窟、きっとそこに何かがある。もしかしたらそこにアルシェールやオフェーリアさんがいるかも知れない。そんな事を思っていた。

 自身の部屋に戻ると、服を何着かダメにして、隠れて縫い合わせて作った、大き目の背負い袋に資材置き場から持ち出したロープと釘とトンカチ、カンテラを入れる。毎日少しずつ貯めていたビスケットを布に包み入れる。両脇開きのコートタバードを着て、ベルトを締め、火打ち袋と軍刀をそこに下げると、首から懐中時計とホタテを下げる。マントを羽織り、ブーツを履いて、わたしは人目を忍んで本館から外に出た。

 別棟へと向かう。建物の中の人目を逃れる為、窓の下では身を屈め、壁伝いに歩いた。

 本館の端に来ると、一気に走って別棟へと続く細い道へと向かう。

 夜の空の下では、そこはもう真っ暗だった。それでも月とクリシュナスピールの光で道の判別は出来る。

 わたしはそのまま進んで、別棟の前へと辿り着いた。

 背負い袋を雪の上に下ろすと屈みこみカンテラを出す。火打ち袋から火口箱ほくちばこを取り出すと、火打石を打ち、火口ほくちに火を点ける。周りに人がいないか見回しながら、火口ほくちを服の繊維を予め解しておいたものに包むと、ふうふうと息を吹きかけた。

 木切れに火を点け、カンテラの芯に燃え移した時、

「よっ」

「ひっ!」

 わたしは急に声をかけられ硬直した。

「たく、何やってんだよ。こんな所で」

 見上げると、厚着をした通音つうおんちゃんと、オリヴィエがいた。

通音つうおんちゃん、どうしてこんな所に」

 そう言うわたしに答えず、通音つうおんちゃんはわたしの腕を摑んだ。

「ほら行くぞ」

 わたしを立ち上がらせる。

「行くってどこに?」

 通音つうおんちゃんは歯を噛み締めて、

「ブリッツォの次はケレミーだよ。いなくなったお前を探して来いって」

「ケレミーが?」

「ぶっ殺すんだとよ。オマエを。最近のアイツ等まともじゃねぇ。崖の時は嫌々だったけど、もうあんなヤツラの手伝いなんて真っ平御免だ」

 オリヴィエが進み出る。

「前はわたしのせいですいません」

 頭を下げるオリヴィエ。

 わたしは今一状況が呑み込めないでいた。

「あいつら、媒介パルまで持ち出す気だ。しゃれにならないから先生達の所に行こうぜ。お前、別棟か何かに隠れる気でいたんだろ? やり過ごすとか、そんな状況じゃもうねぇよ」

 通音つうおんちゃんの言葉にわたしは首を振った。

「わたしには行かなきゃならない所があるんだ」

 通音つうおんちゃんとオリヴィエが顔を見合わせる。

 そんな時、さくさくと、人の足音が聞こえた。わたし達は慌ててそちらに視線を向ける。

 わたしがカンテラを掲げると、それはリタラだった。わたしは驚いて、それから驚いた。

 リタラの背後で闇夜の空間に炎が燃え上がったのだ。

「え?」

 わたしは呟き、リタラも足を止め振り返った。

 そこには、炎に照らされたケレミーとフェテスの姿があった。ケレミーの手には穂先の燃え上がる槍が握られていた。

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