第二十七節 遁逃

「ご苦労様、リタラ。デルフィと、裏切者二人の場所を教えてくれるなんてお願いした通りね」

 ケレミーが微笑みそう言うと、リタラは視線をわたし達に戻す。

「そんなんじゃない! わたし、ただデルフィが」

「もう、どいてろ」

 フェテスがリタラを蹴り飛ばすと、リタラは雪の中に倒れ込んだ。

 ケレミーが進み出て、炎を纏った槍の穂先をわたしに突き付ける。

「呼んで貰おうか」

 目を吊り上げ、

「あの神域の子を!!」

 わたしは睨み返すと言った。

「わたしは、神域の子なんて呼べはしない!」

 ケレミーは表情を歪めるとわたしを睨み、

「何時からそんな口が利けるようになったんだ? だけれど、神域の子の仲間なんだから」

 腕を引き、

「神域の子だよなぁ!!」

 軍刀を引き上げ避ける。炎が棚引いたわたしの髪を焦がす。

 わたしは背負い袋とカンテラを投げ捨てた。

「ブリッツォも、クオルンも、お前達のせいで!! フェルミナは神域の子を滅するのが仕事。お前も死ね!!」

 槍が引かれ、振られる、飛び上がり、足の下を炎の波がくぐる。後ろに飛び退すさる。

 その時リタラが何事かを叫びながらケレミーに飛び掛かった。

 何時の間にか立ち上がっていたリタラに不意を突かれ、ケレミーがリタラと一緒にもつれながら雪の上に倒れ込んだ。

 わたしは踏み込み、軍刀を振り上げ振り降ろす。ケレミーは槍で避け、その隙にわたしは屈み、リタラの腕を取ってもつれたケレミーから引き抜いた。そのまま後ろに投げ飛ばすようにして手を離し、わたしは振り返らずに、森の中に逃げろと叫ぶ。

 ケレミーが、軍刀を押し返し、わたしは再度飛び退すさってケレミーとの間合いを取ったと同時、マントの留め金を引きちぎって投げ付けた。

 ふわりと舞ったマントを回転する炎の槍が絡め取り、燃やし尽くすその間、わたしはケレミー達に背中を向け、みんなが居るであろう方向に走り出す。

 灌木かんぼくの中に飛び込むと、通音つうおんちゃんにオリヴィエ、そしてリタラが寄って来る。

 一方、ケレミー達は直ぐに追って来る気配がない。

「ねえねえ、こんな闇夜の中、逃げられると思ってんの? 直ぐ照らしちゃうよ~。そこかな?」

 ケレミーの槍がわたし達の居る場所を的確に指す。

「逃げよう」

 わたしがそう言うと、通音つうおんちゃんがどこへと言う。

「今は山の中。さっきの槍、ホントに殺される」

 リタラはがたがたと震えて居た。

「大丈夫?」

 わたしがそう声をかけると、

「わたし、わたし、あの人達連れて来た訳じゃない」

 暗闇の中、見える筈もないのに、わたしは微笑んだ。

「わかってる。リタラはそんな事しない」

「う、うん」

 暗闇の中、か細いリタラの声が聞こえた。

 ケレミー達がゆっくりとこちらに向かってやって来る。まるでわたし達を甚振って楽しんでいるようだ。実際そうなのだろう。

「手を繋ごうぜ、はぐれたら終わりだ」

 通音つうおんちゃんの声。

「待って、軍刀をしまう」

 わたしは軍刀を鞘へと入れ、直ぐに誰かの手を摑み歩き出した。


 ぐじゃぐじゃの山肌を登り、雪の中を進んだ。わずかな月の光では、木々が鬱蒼と茂る場所は見渡せない。冬の夜の冷たさは、初めから山を登る事を想定していない、わたし以外の三人を苦しめて行く。

 このままではダメだ。どこかで休まなくては、そう思っても、どこまでもケレミー達の声が付いて来る。暗闇の山の中では有り得ない事だった。

「デルフィちゃ~ん、アルシェールちゃ~ん、諦めてもう死の? ね?」

 そんな呼びかけが響き、

「なんでアイツ等、付いて来れるんだ!?」

 息を切らしながら通音つうおんちゃんが言う。

 確かに背後を見回してもケレミーの持つ槍の炎は見えない。昼間だってこんな鬱蒼とした場所では、少し離れたら、見失ってしまう筈だ。だが、夜の真っ暗闇の中、ケレミー達は、わたし達との距離を一定に保ったまま、確りと付いて来ているようだった。

「今は考えても仕方がない。急ごう」

 わたしはそう言ったが、自分の言葉に、どこへ? と、そんな疑問が沸く。実際この事態の解決策をわたしは見出してはいなかった。

 やがて視界は開け、月光とクリシュナスピールの光が降り注ぐ、雪原に出た。

 少しホッとするも、ケレミーの声がまた響く。こんな見晴らしのいい所にいる訳にはいかない。

 光の下へ出て、みんなを見渡すと、もう余裕のない事が分かった。さして登ってもいないのに、軽装備で足場の悪い、こんな所を登らされれば当たり前の事だろう。

 こちらは四人。フェルミナもわたしと、オリヴィエ。逃げるのはやめて戦うべきか。でも、その時、勝てたとして、ケレミーやフェテスを殺すのか。殺す覚悟のない四人と、殺す覚悟のある二人。二人の方が絶対的な強さを持っていると感じた。

「勝てない」

 そんな風に考えている時、オリヴィエが雪原の奥の方を指差した。

「見てください!」

 そこには木々が連なっていた。そして枝が、柔らかい触手のように蠢き、一方を指していた。反対側を向いていたであろう枝すら、幹を回り込むようにして一方を指している。風の影響とも考えられるが、雪原の奥の木以外、そんな風にはなっていない。明らかに不自然だった。

 そしてリタラが呟いた。

「何か、聞こえる」

 わたしも耳を澄ます。風の音。冷たい。だがそれに交じって微かな、

「歌声!」

 わたしの言葉に、通音つうおんちゃんとオリヴィエはわたしを見た。

 憶えがあった、確かに。

「急ごう!」

 わたしの言葉に通音つうおんちゃんとオリヴィエは頷き、リタラは訳が分からないと言うような、戸惑いの表情を浮かべる。

 そんなリタラの手を取って、わたしは走り始めた。

 木のしるべ、それは雪原の奥にそそり立つ、小さな崖の裏手へと続いている。

 途中で森に入り、天上を見上げると、月の光が森の頂に触れ、枝の向きがかすかに見える。まだ枝々はわたし達を導いている。

「どこに、行くの?」

 掠れた声でリタラが聞いて来る。

「アルシェールが、呼んでる」

 灌木かんぼくを掻き分け、森が切れる。そこは、切り立った崖が周囲に聳える行き止まりだった。岩壁に囲まれた小さな空間。見回しても何もない。だけれどそこでは、歌声がはっきりと聞こえた。

「どこ?」

 わたしがそう言った時だった。浮遊感。そして落ちる。足元が崩れた。

 雪が雪崩れ、悲鳴が重なり、そしてわたしは、目を強くつむって、リタラを強く抱きしめた。ざく、と体が打ち付けられる。そして静かになった。


 わたしは恐る恐る目を開けると、間近に、強く目をつむるリタラの顔があった。リタラもわたしを抱き締めていた。

「リタラ、もう、平気そ」

 わたしがそう言うと、リタラも恐る恐ると言った風に、うっすらと目を開けた。

 わたし達は揃って上半身を起き上がらせて、辺りを見回した。

「どう、くつ?」

 リタラはそう呟き、

「そう、みたい」

 わたしはそう答えた。

 わたし達は人が立って四、五人は歩いても平気な程に広い、洞窟の中に居た。足元には雪。わたし達が落ちたと同時に雪も落ちて、それがわたし達の転落の衝撃を和らげてくれていたようだった。

 洞窟の天井には穴が開いており、月の光が差し込んでいる。どうやらそこが崩落して落ちたのだと分かった。そして崩落した所からは幾本もの木の根が垂れ下がっていた。

 近くには同じようにしている通音つうおんちゃんとオリヴィエが居て、わたし達は顔を見合わせた。

「地上に、戻るのは大変そうですね」

 オリヴィエがそう言うと、通音つうおんちゃんは天井から垂れ下がる無数の木の根を指差した。

「あれ、登れないかな」

 通音つうおんちゃんがそう言った時、洞窟の奥の方から歌声が響く。

 わたし達は再度、顔を見合わせた。

「やっぱり呼んでる」

 わたしは立ち上がると、リタラの手を引いて、洞窟の奥に向かって数歩進める。

 通音つうおんちゃんとオリヴィエも立ち上がり、わたし達の横に並んだ。

 その時、ずるりと音がして、わたし達は振り返る。そして呆然とした。

 木の根が、ずるずると動く。持ち上がり、宙に浮き、そして天井に張り付いて、わたし達が落ちて来た穴を塞いで行く。

 そして、穴が閉まり、光等ない筈なのに、見える。穴が開いていた時は月の光だと思って気付かなかったが、洞窟の壁が、淡い、橙色に発光しているようだった。

「なんでしょう? この光?」

 オリヴィエが呟く。

「でも、ここで間違いないな」

 通音つうおんちゃんの言葉にわたしは頷いた。

 リタラだけはがたがたと震えている。

 わたしは屈むとリタラを見上げ、

「平気。木の根は、アルシェールのフェルミナの力ヴィジョンだから。アルシェールが、ケレミー達から救ってくれたんだ」

「ほんと?」

 か細いリタラの声に、わたしは大きく頷いた。

 だけれど、洞窟が光る理由は分からない。ここが噂に聞いていた悪魔の洞窟ではないのか、神域の子の力なんじゃないのか、そんな考えも浮かんだが首を振る。

「じっとしていても仕方ない。奥に行こう」

 わたしはそう言った。

 木の根が上がった先は行き止まりで、進む道は一方にしかなかったのだ。

 通音つうおんちゃんとオリヴィエは頷いてくれた。リタラだけが心配そうな顔のままだった。

 わたしは立ち上がると、リタラの手を摑んで、ゆっくりと歩き出した。


 わたしは先頭になって歩いた。洞窟は進む毎に明るくなって行くようだった。

 この先に何があるのか。落ちてからさして時間が経っている訳ではないのに、外の景色が見えないだけで、息が詰まりそうになった。時間が長く感じる。地の底に居る、怪物の口の中なのかも知れない、そんな考えが頭の中をよぎる。不安が拭えない。

 そんな感情を読み取ったのか、リタラがわたしを見て来る。

「平気」

 何の根拠もないその言葉。そんな言葉がよりリタラを怯えさせる気もしたけれど、自身を鼓舞する為にも言わざる得なかった。

 そんな時、一本道の洞窟の先が寄れて、曲がった所に、大きな壁が立ちはだかった。

 それは何だったのか、皮膜とでも言うべきか。橙色に薄く発光するそれは、どくん、どくんと小さく脈動しているように思えた。

「な、何だよこれ」

 通音つうおんちゃんがそう言い、全員が足を止めた。オリヴィエが呟く。

「封印された、神域の子?」

 わたし達は、血管の浮き出たような模様のある、薄気味悪いそれを、しばらく呆然と眺める。

 リタラの手からは震えが伝わって来ていた。

 わたしは静かに言った。

「触れないように、進んでみよう。どちらにしろ、出口を探すには進むしかない。それにわたし達に何かする気なら、木の根で襲ったっていい筈だ」

 通音つうおんちゃんも、オリヴィエも、リタラも顔を見合わせる。どう見ても気乗りしていない顔だったが、みんな黙って頷いた。

 わたし達はその壁に沿って、うねうねと曲がりくねる道をゆっくりと進み、そしてやがて行き止まりに突き当たった。

 そしてそこに、黒い服を纏った、金色の髪の人物が、わたし達に背を向けて立っていた。その人物は、ゆっくりとわたし達に振り返り、そして真っ直ぐにわたしの目を見てこう言った。

「おかえりなさい」

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