第二十三節 死
わたしは自身の部屋に戻り、濡れ汚れていた服を着替えると、ベッドに寝転ぶ。天井を見上げた。目が冴え、眠れないようにも思えたが、気付くと
ベッドの横にある窓のカーテンを開けると、朝になっていた。
わたしは溜息を吐き、ベッドから下りる。キャビネットの上に置かれた水差しから洗面器に水を注ぎ、顔を洗って髪を整えた。
部屋を出るとオリヴィエとすれ違う。彼女はあっ、と言って一瞬わたしを見たが、すぐに目を
と、背中からどんとぶつかられ、よろける。
「邪魔なんだけど。廊下で扉開けたまま、ぼうとしてるな」
エステリティウスの声が響く。その後に、ふふふと、笑い声が続き、アミエスタの蔑んだ視線がわたしの体を撫でた。そのまま通り過ぎる二人。
「何時もの、こと」
わたしは自身にそう言い聞かせると、部屋の扉を閉め、教室へと向かった。
廊下で、教室に入ってから、わたしは辺りに気を配っていたが、アルシェールの姿を見付ける事は出来なかった。
そして怯えていたのだが、ケレミー達にも出くわさなかった。
わたしは黙って自身の席に着くと、腕を組んでから顔を埋めた。
腕で作られた四角い囲いがわたしの城壁のような気がした。
がらと音が鳴り、顔を上げると、エスタンティア先生が入って来る所だった。
そしてその顔を見て、わたしはなんだか、胸の奥が騒めくのを感じた。
普段は先生が席に座りなさいと言うまでは、騒がしいままの教室も、その日は、先生が入って来ただけだと言うのに、自然と静まった。
先生が黒板の前に立ち、そしてゆっくりとわたし達を見回す。それから静かに、
「今日、あなた達のお友達が亡くなりました」
静まり返る教室。誰もが、今いない子を探す。
アルシェール、そしてケレミー、クオルン、フェテスが居なかった。
「クオルン」
エスタンティア先生の初めの一言。
アルシェールは昨日会ったので心配していなかった。でもなぜクオルンが。わたしをあそこに置き去りにする気が、自分が遭難してしまったとでも言うのだろうか。
そしてエスタンティア先生は再び口を開けた。
「アルシェール」
「嘘だ!」
わたしは叫ぶと立ち上がった。
教室中の視線がわたしに集まる。
「えと、あの、えと、わたし、だって、その、昨日、アルシェールに会っているし……」
エスタンティア先生がわたしをジッと見てから、
「アルシェールは立てもしなかったのです。変な事を言ってはいけません」
わたしは、うっ、と言うと黙って席に座る。
そんなわたしをロンドとリタラはじっと見ていた。
アミエスタが手を上げた。
「なんです?」
エスタンティア先生の声を待って、アミエスタが立ち上がる。
「二人は、何故、亡くなったのですか?」
エスタンティア先生は
「クオルンは凍死。アルシェールは病死です」
アミエスタが顔を
「病死ならともかく、凍死とはどういう事ですか」
エスタンティア先生は目を細め、
「山に、入ったらしいのです」
「あの悪魔の洞窟のある山に?」
そんなアミエスタの質問が終わる前に、エスタンティア先生は手を打った。みんなを見回し、
「今は先にすべき事があります。みんなで二人を見送りましょう。町の南に墓地があります。さあ外出の用意をして」
そう言ってからアミエスタを見て、
「理由は後で話すから、あなたも先に用意をして頂戴」
アミエスタは黙って礼をした。
他の子供達も席から立ち上がり、話しながら教室を出て行く。
みなそれぞれショックではあるようだったけれど、どこか他人事だった。
わたしは席から立てずにいると、珍しい事にリタラがロンドと一緒にやって来た。
わたしをジッと見ているようだったが、わたしは
ふと、肩に手が置かれ、顔を上げるとリタラが悲しそうな顔をしていた。涙が滲んでいた。
「昨日、わたし、会ったんだ」
そう言う。
リタラの後ろに居たロンドが、リタラの頭をくしゃと撫でてから、その手を握って、教室から出て行った。
わたしは、アルシェールが死んだという言葉が、とても信じられなかった。人が変わったようなアルシェール。だけれどあの姿はどこからどこまでもアルシェールだった。
ではやはり別人だったのだろうか。だが彼女は自分自身でアルシェールと名乗ったではないか。
わたしは訳が分からなくなった。
わたしは立ち上がると廊下へと駆け出し、幾人かの子を追い越しアルシェールの部屋へと向かった。扉のノブを勢いよく回す。以前、エスタンティア先生がかけた筈の鍵もかかっていず、それは簡単に開いた。
中は、がらんとした、空洞が、ただ在った。
自身の部屋に戻り、一番いいと思われる黒い服を着て、わたしは本館の玄関ホールへと向かった。
ホールに出ると、そこに居た子達はわたしを見て、明らかにギョッとしたような顔になった。
わたしが不思議に思っていると、
「お前、アイツに似すぎ」
誰かがそう言った。
アイツ、アルシェールだろうか。わたしはわたしの事をアルシェールに似ている等、一度も思った事はない。容姿も性格も、まったく別じゃないかと思った。
わたしは周りの視線を意識的に無視して、ホールの中央に置かれた台の上にある、黒い二つの棺へと向かった。
片方は蓋が開けられ、片方は閉じられていた。開けられた棺にはクオルンが横たわっている。その頬は異様に赤く、口は歪んでいた。
正直、同情は覚えなかったものの、ずっと見て来た人間が、今黙って目の前で固まってしまっているのを見ると、不思議と心が動かされた。時は進むんだ。世界は変わって行くんだと、そんな事を思った。
わたしは
エスタンティア先生は何も言っていなかったが、ケレミー、フェテスはどうしたのだろうと思った。この場を見回すが二人の姿はどこにも見当たらない。
わたしが二人の事を気にしている事で、あの雪山であった事を他の人に知られるのは、なんだか憚られる気がした。だから、わたしは二人の事を誰にも聞かなかった。
二人は、実はまだ見付かっていないだけで、あの悪魔の洞窟のある山の中、眠っているのではないかと、そんな考えが頭を過り、寒気が首筋を襲った。
わたしは首を振ると、もう一つの棺に近付く。
その棺は異様だった。既に釘が打たれ、中に誰がいるかもわからない。
わたしは棺の側に立つエスタンティア先生を見上げて言った。
「会えないんですか?」
エスタンティア先生は無言で首を振った。
中にアルシェールがいるとは信じてはいなかったが、もし、こんなお別れをさせられる人は、どんな死に方をしたのだろうと思った。
「理由は」
わたしが再度そう口にすると、
「できれば言わせないでほしいかな」
エスタンティア先生はわたしを見下ろしそう言った。
その後、わたし達は葬列を作って、エルファティアの南へと向かった。葬列は森の中の道、今は白い布団に包まれた畑の中を通る道、小高い丘、大きな木の前を通る。
アルシェールやリタラと一緒に歩いたあの頃が、遠い過去であるかのように思えた。
葬列の中、主に男子に担がれた棺が、わたしの眼前にはある。ふと、アルシェールの棺を担ぐ、
何なのだろうと思ったが、気にしない事にした。
葬列はエルファティアの町の中には入らず、その周縁をぐるっと回って、広い墓地に着いた。
そこはとても大きな墓地だった。広く大きな丘陵に、延々とお墓が並んでいる。石の、木の、棒を立てただけのようなものばかりだった。
そこには既に何人かの大人が居て、予め墓穴を掘っていたようだった。二つの墓穴の上には木が組まれ、そこに滑車が取り付けられていた。
全員で棺をそっと持ち上げると、滑車から垂れ下がる二つのロープの輪に、それぞれの棺をかける。大人の人達が滑車の反対側に垂れているロープを引くと、棺にかけられたロープはピンと張った。そこからは慎重に、ロープをたるませないように、棺を墓穴の上へと持って行き、エスタンティア先生の声で、ゆっくりと数人ずつが棺から手を離す。
やがて、吊るされた棺は、大人たちがゆっくりとロープを緩める毎に、墓穴へと沈んで行った。
棺が墓穴に収まると、それぞれの墓穴の前で、一人づつ、導師が弔辞を述べる。
わたしはアルシェールの墓穴の前で、エスタンティア先生の弔辞を聞いた。
「新緑の内に絶えし息吹よ。世界の
その言葉を聞き、全員で頭を下げた。
かつて、話に聞いた事のある、メルビス教やアールヴェナ教の弔辞とは違い、神に祈らない所は、協会は無宗教なのだなと改めて思った。
それから全員の手にスコップが手渡される。墓穴の脇にうずたかく盛られた、掘り返された土を戻すのだ。一人一回、アルシェールとクオルンの墓にそれぞれ土をかけていく。
徐々に埋もれて行く棺を見ながら、わたしは死んだら、こんな土の中に閉じ込められるのは嫌だな、そう思った。場所によっては火葬にする所もあるそうだ。その灰を海に撒いたりもするのだと言う。わたしだったら空に舞いたいと思った。
一人一人が土を棺にかけていく作業には長い時間がかかった。その間の時間は、わたしにとっては居心地の悪いものだった。
わたしの番が終わり、墓穴を囲む一群に戻ると、わたしはその一番後ろに回って、他の墓を眺める。たくさんのお墓を見ると、数えきれない程の人が死んだんだと、当たり前の思いが沸く。生まれ、消えて行くのに何の意味があるのだろう。わたしが、今ここにこうして立っている意味なんてあるのだろうか。
アルシェールが言っていた。考えたって無駄なのにと。わたしや、木や雪、他の人達が〝いる〟こと自体不思議な事だと。そしてそんな者達が、なんだかわからない、何かの上に立って、勝手な法則を信じて暮らしていると。信じる、そう勝手に信じているだけ。だけれど、その法則の下に隠されているのは、〝知らない〟〝わからない〟この世界がある理由だって、どうして生まれたのかだって、そもそも〝理由や意味と言うものを信じている〟から、きっとそれを求めてしまうんじゃないかと思った。
不安定な土台の上に建てた家は、崩れ落ちてしまうのだろうか。多くのお墓を見ていると、その崩れる時は唐突で、何の準備も出来ないまま、急に襲って来るんじゃないかと思った。
そう、今のように。
「さあ、みなさん、帰りますよ」
墓穴はすっかりと埋められ、その上に墓標が立てられる。それだけ。それで二人の人生は終わってしまった。
エスタンティア先生の言葉を合図に、その場にいた全員が動き出す。二人がいてもいなくても、きっと人間はこうして動き続けていくのだろうと思った。
導師の先生達を先頭に再び、やってきた道を全員で取って返す。
その集団の最後尾にわたしは付き、そして振り返る。
二人のお墓は他のお墓に埋もれて、もはやどこにあるのかわからない程だった。
「きっと全員が、埋もれてしまう」
わたしはそう呟いた。
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