第二十一節 置き去り

 雪の中、行われた試合で、わたしはケレミーと戦った。逃げ回り、ケレミーが振りかぶった木の棒は、雪の中に叩き込まれた。棒のはまったその隙を突いて、わたしはケレミーの頭を軽く棒で叩いて勝ったのだ。

 ケレミーは逃げ回っていたわたしを卑怯だと言ったが、エスタンティア先生は、戦いとは真正面から戦うばかりではないと言った。

 そんな事があってから、ケレミーは、授業が終わると、わたしを本館裏手に連れて行き殴るようになった。

「魔女がぁ!!」

 ケレミーの平手がわたしを打つ。わたしの襟首を摑み、めくらめっぽう叩きまくる。

「何時も黙っていじいじしてる癖に、てめぇ、やり方が陰湿なんだよ! ぶっころしてやる!!」

 ケレミーの行いは日増しに気違いじみていくようだった。そしてその行いは、以前のブリッツォを思い起こさせた。

 ケレミーに付いて来る、クオルンやフェテスから見てもそれは同じようで、本館裏に来てからは、わたしがケレミーに甚振られる姿を、遠くから黙って見ているだけだった。

 また、わたしが逃げるような事があると、ケレミーはわたしの部屋までやって来て、中をさんざん荒らした挙句に、わたしを殴った。

 周りの人間はケレミー達を恐れ始めていた。

 アルシェールがいなくなってから、ケレミー達の行いはより酷くなったように思う。

 わたし以外にもずいぶんと酷い事をしているようで、おとなしい、リーンと言う子がいたのだが、その子がある日、〝おかしく〟なって、この孤児院から出て行った。

 その原因はケレミー達にあると言う噂だった。

 度重なる暴行の中、わたしはアルシェールと会ってから覚えていた感情を、再び忘れて行こうとしていた。

 初めは抵抗していたが、ついにはそれもやらなくなった。

 ケレミーのやり方は巧妙で、先生である導師達の前ではとても真面目で気配りが出来るような人間として振舞っていた。ケレミーに意見出来る、ロンドやエステリティウスの前では何もしない。

 またブリッツォがいた頃はそうでもなかったが、その頃になるととても優秀で、試合でもそこそこの腕を持っていた為、導師達からの受けもいいように思われた。

 だがそれらの人達の目が、わずかでも離れると、わたしに対してはつねる、殴る、棒でつ、唾を吐きかける、何でもやった。わたしが何もしない、言わない事をいい事に、その行いはどんどんとエスカレートしていった。


「デルフィちゃん。今日も裏の方で遊ぼうよ」

 その日も、わたしは、ケレミーに人好きのする笑顔でそう言われた。

 その様子を遠くで座る、通音つうおんちゃんと、それに寄り添うように立つオリヴィエが見ていた。

 目が合い、そしてそれにケレミーが気付く。

 ケレミーは振り返って快活な笑顔で言ったのだ。

「なに? あなた達も遊びたいの? 一緒に来る? 川辺以来だし」

 ケレミーはわたしやアルシェールが、魔女や神域の子と言われるきっかけとなった、あの川辺の崖の事件の事を言ったのだろう。

 二人ともあの場にいた。二人は慌ててケレミーから目をらし、ケレミーは楽しそうに、いっくじないの~、とへらへらと笑っていた。


 わたしは授業が終わると、ケレミー、フェテス、クオルンの何時ものメンバーに連れられて、本館裏へとやって来る。

 数日続く晴れた日は、積もった雪を溶かし、所々に泥の水溜まりを作っていた。

 ケレミーはわたしを突き飛ばし、本館の壁に叩きつける。

 わたしは呻いたが、何もしない。抵抗も痛みの声も、あらゆる反応が相手を喜ばせるだけだと知っていた。

「おい、やめようぜ。もう、そいつ、何の反応もしないし面白くねぇよ」

 その様子をケレミーの背後から見ていたクオルンが言うと、ケレミーは振り返って、

「なら、リーンみたいな事しちゃう? こいつはお前の好みじゃないか?」

 そう言うと、クオルンの顔色は一気に変わった。

「フェテスも乗り気だったし、わたし達って運命共同体、みたいな?」

 ケレミーがクスリと笑う。

 フェテスは顔を歪めた。

 わたしはこの三人が、リーンに何をしたのだろうと、ぼぅと考えていた。

「わたしは先生達の信任厚いからさ。またおいしい事あったらアンタらにも味合わせてやるよ」

 そして朗らかなその声はそこで終わりだった。

「だからこの子の事に関しては、アンタ等はわたしに黙って従いな!」

 腕を振り上げ、殴る、殴る、頬が腫れ、口の中を切り、口元から血が流れる。

 だけれど目の前の女は殴るのを止めなかった。楽しくて楽しくて止まらないとでも言うように、笑顔で無心に、目を見開いて、殴って来る。

「おい、死んじまうぞ」

 フェテスがそう言うと、ケレミーは振り返り、睨む。

 それだけでフェテスは口をつぐんだ。

 ケレミーはわたしに向き直り、優しい口調で言って来る。

「デルフィちゃん死なないよね? だって、魔女なんだもん、神域の子なんだもんね?」

 クスリと無邪気に笑うその笑顔程、残酷なものはないと思った。

 ケレミーはわたしの後ろ髪を引っ張ると、雪解けの水で出来た泥水の中に顔を押し込んだ。

「ほらぁ、遊び過ぎて、喉乾いたでしょ? ちゃんと飲んで」

 髪を離される。

「ね!」

 背中を蹴りつけられ、倒れ込む。

 それから後頭部を押し込まれ、水溜まりに無理やり顔を擦り付けられた。

「飲めよ! ほら、ちゃんと飲めって!!」

 今度は襟を引っ張られて、

「人が折角優しくしてやってんのに。てめぇ、人の気持ちのわからねぇヤツかぁ?」

 頬を、左に殴られ、右に殴られ、わたしは水溜まりの中に倒れ込んだ。

「おい、お前! 飲め言う時に飲まないで、なんで今、水飲んでんだよ! 何時休んでいいっていったよ!」

 無理やり飲まされ、それを咎められて、奇声を上げながらわたしの横腹を蹴り続けるケレミー。

 しばらく経って、水にせ、目に泥水が入り、痛みに身を縮こまらせながら、涙を流すわたしの後ろ髪を再度ケレミーは引っ張り上げた。わたしを立たせる。

 わたしは泥水が目に入り、痛くて目が開けられない。早く洗いたかった。このままでは失明してしまうと思った。

「そんなんじゃ、目も見えないよね? 雪の中で、しかも悪魔の洞窟のある山の中に置いてかれたら、どうなるか試して見ようか?」

「お、おい……」

 クオルンの声が聞こえるが、うるせぇ、とのケレミーの一喝で黙る。

 ケレミーが優しい声でわたしに語る。

「大丈夫だよ。犬とか戻ってこれるじゃない? わたし達、優しいから、匂い、残して行って上げるからさ。ワン、ワン!」

 そう言ってからケレミーは冷たい声で、

「コイツの手足持って。連れてくよ」

「ま、まじかよ。悪魔の洞窟のある山だぜ」

 フェテスの声。

「まじでびびってんの? そんなん、あの老いぼれたジジイとババアがガキを脅かす為に言ってるだけだろうがよ。クリシュナスピールの内側に、神域の子が入れる訳ないだろ?」

 ケレミーはそう言ってから楽しそうに付け加えた。

「コイツ、以外はな」

 わたしは両手足を開かされ、それを持たれて、吊り下げられるように運ばれる。途中でわたしはスカートを反対側にめくりあげられた。

 ケレミーが楽しそうに笑う。フェテス何照れてんの? クオルンの時みたいなのしちゃう、と。

 そしてわたしが暴れると、お腹に手加減のないぐうの手がめり込んだ。

「騒ぐなよ。運び辛いんだ。いつも一人でいるから、集団行動も出来ないって訳? てめぇ、ちょっとは考えろよ」

 どうやらケレミーは、わたしの脇を歩いているようだった。

 そして言葉が止む。雪を踏むざくざくと言う音だけが響く。

 冬の冷気がわたしの剝き出しの足を襲う。目が痛くて痛くて仕方がない。

 そんな時間が続きに続き、わたしは泣いていたのだと思う。きっと普段だったら泣かなかっただろう。だけれど今は、目に入った泥水を少しでも洗い流せるならと思って泣いた。

「ここでいいわ」

 唐突にケレミーの声が響き、わたしが雪の上に投げ捨てられる。

 わたしは体の半分程が雪の中に沈んだ。

 どうやら聞こえていた通り、悪魔の洞窟のある、孤児院の裏山の中に、本当に連れて来られたようだった。山の中は、日の光を浴びても、いまだ溶けていない雪をたくさんに抱えているようだった。

「そろそろ日が落ちるし、明日にでもまた来て上げるわ。でも曇って来ているし、足跡が残っていればね」

 ケレミーのけらけらと笑う声が聞こえる。

「まじかよ、なぁ」

 クオルンの声に、

「だったら、アンタが一晩中温めてやればいいんじゃない? リースの時みたいにさ!」

 クオルンが息を呑む声が、冷えて澄み切った空気の中、聞こえる気がした。

「てか、曇って来て、こんな所にいたらまじやヴぁいから。アタシは下りる。遊んで行きたきゃ、アンタら二人は遊んでいったら。真っ裸の彫像でも掘り出してやんよ」

「下りるって! だけどこれは!」

 そう言うフェテスに、ケレミーの声は答える。

「コイツ運んでるとアンタ等が死ぬよ。アンタ等が覚悟決められるように、ぎりぎりの所まで来た訳だし」

 フェテスの舌打ちが聞こえた。

 そしてざくざく、と、足音は遠ざかり、そして何も音がしなくなった。

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