第二十節 喪失

 翌日、雪が降った。

 その日、授業が始まる前に、エスタンティア先生からみんなに説明があった。アルシェールは体調を崩し休むと言う事だった。

 昨日の今日だった事もあり、急にどうしたのか、心配になった。

 わたしは、授業が終わった後、アルシェールの部屋へと足を運ぶ事にする。

 アルシェールの部屋の扉をノックするが返事はない。わたしはその扉のノブに手をかけ回してみると、あっさりと開いた。

 初めて見るアルシェールの部屋はなんの飾り気もなかった。ベッド、窓のカーテン、クローゼット、ただそれだけ。

 そしてアルシェールの姿はどこにもない。

「何をしているの?」

 突然声を掛けられて、わたしは、はっと振り向いた。

 そこには、何時の間にかエスタンティア先生が立っていた。木造のその建物の中で、足音もしなかったのに。

 エスタンティア先生は静かに言った。

「アルシェールは重い病気にかかったのです」

 わたしが驚いた顔をしたのだろう、エスタンティア先生は微笑んだ。

「でも心配はしないで。命にかかわるものじゃないの。ただ、ちょっとね……」

「何が、あった、んですか?」

 わたしの言葉にエスタンティア先生は首を振り、

「とにかく、今、先生方が治療しているのだから、心配する事じゃないわ。しばらく経ったら帰って来るから、それまでは静かに待っていてあげなさい」

 そして、手招きで、わたしを部屋の外に出るように促した。

 わたしが部屋から出ると、エスタンティア先生は、アルシェールの部屋の扉に鍵をかける。

「アルシェールはどこに?」

「町の病院。治っているけれど、検査に時間のかかる病なの」

 わたしはふと、オフェーリアさんの言っていた、壊病かいびょうの事を思い出す。でももう治っていると言うのなら、治す手段のない、壊病かいびょうではないという事だ。

 そうは思ったが、どうにも不安がぬぐえなかった。

 そんな気持ちを紛らわす為に、わたしはそのままの足で別棟に向かった。

 本館を出て、その脇から延びる、長い木々の立ち並ぶ道を歩いて行く。その長さから、この孤児院が広大な敷地を持っているのだと、改めて気付かされる。

 道を抜け、厚い雪に覆われた小さな中庭に出る。雪の上に、人の足跡はなかった。

 新たな足跡を付けつつ、別棟の玄関に向かい、入口の扉を開けた。

 踏み込むと、ぎしりと木の床が音を発てる。中はしんと静まり返っていた。

 わたしは二階への階段を上り、オフェーリアさんの部屋の前に立つと、とんとんと扉を叩く。だが返事はない。

「あの、開けます」

 わたしがそう言って扉を開けると、そこにはカーテンの取り払われた窓、シーツもマットレスも剝がされたベッドがあるだけだった。窓から差し込む弱々しい光が、空気中に漂う埃を照らしていた。

 どうして、そんな思いだけが、わたしの頭を埋め尽くした。

 アルシェールとオフェーリアさんが、時を同じくして消えた事。それに、違和感しか覚えなかった。そして、オフェーリアさんの事は誰にも聞けなかった。元々別棟に行っては行けなかったのだから。

 リタラには言おうと思った。だけれども、ロンドとの事を考え、また、リタラも何も知らず、落ち込ませたりしたらと考えると、結局何も言えなかった。


 それからアルシェールは何日も授業を休んだ。ずっと教室に顔を出さない。

 そしてオフェーリアさんの姿はどこにも見当たらなかった。

 授業の始まる朝、授業の合間の休み時間、わたしは教室の後ろの方にある、アルシェールの机に振り向くが、何時だって、そこには誰もいなかった。

 初めは、何人かがアルシェールの事を気にしていたが、やがてわたし以外に気にする人はいなくなったように感じた。

 なんだか、このままでは、みんなの心の中からアルシェールは消えてしまうんじゃないか、そんな事を思ったりすると、わたしは言いようのない気持ちが沸いて来るのを感じた。

 でも、わたしに出来る事は何もなかったんだ。


 それから数日経ち、十日経ち、二十日経つ。

 わたしは日々を空虚なものに感じ、周りも何時しか、わたしがここへ来たばかりの時と同じように変わっていった。

 アルシェールも、オフェーリアさんも、初めからいなかったかのように。

「ねえねえ、こんな所で一人何やってるの? 授業終わったよ。一緒に遊ぼうよ」

 授業が終わった後、動こうともしないわたしに、ケレミーが話しかけて来た。後ろにはにやにやと笑う、クオルンとフェテス。

「そんな根暗な顔しちゃってさ。お前の顔見てるとむかつくの、わかる? お前のせいでブリッツォがいなくなってさ、今度はアルシェールでしょ? お前、やっぱり神域の子で、食ってんじゃないの? ねえ、ホントの事言いなよ」

 肩を摑んで揺すられる。

 わたしはうつむいて黙り込んだ。

 と、ケレミーが悲鳴を上げ、叫んだ。

「なんなの!?」

 顔を上げるとロンドが立っていた。

 ケレミーはわたしの前の机に寄り掛かっている。

 ロンドは一度わたしを見てから、直ぐに視線をケレミーに向けると、

「悪い、そんな所に突っ立って、邪魔だったからぶつかった」

 ケレミーは歯を噛み締めると、ロンドとわたしを睨み、黙ってわたし達に背を向けた。

 クオルンもフェテスも首をすくめて散って行く。

 ロンドは視線だけわたしに向けると、

「お前も、授業が終わったら、とっとと部屋に帰れ。お前がなんかされていると、リタラが気にするから迷惑だ」

 窓際の方を見ると、立っていたリタラがわたしの様子を見ている。

 目が合って、リタラは首をすくめると、力なく笑った。

 わたしは首をすくめ、

「ありがと」

 そう言って席を立った。

 教室を出ると、ケレミー達は壁に寄りかかり、エステリティウス達と話していた。

 エステリティウスの声が聞こえて来る。

「あんな庶民共にかかわるな。俺たちは名誉ある身分の出だ。あんなのにかかわっている時間は無駄なんだ」

「だけどアイツのせいでブリッツォはいなくなったんだよ。それに急にやって来た分際でわたし達と同格とか」

 そう言っていたケレミーは、わたしの事に気付き睨んで来る。

 その目には異常な憎しみが籠っている気がした。

 クオルンや、フェテス、エステリティウスや、その後ろにいたアミエスタも、わたしに気付き、蔑むような視線を向けて来る。

 わたしは黙って背を向けて歩き出した。

「その歳でいきなりここに来やがって! お前は何様のつもりだ!!」

 背後からケレミーの叫び声が聞こえる。

 わたしには答える言葉も、そもそもケレミーが何故そこまでわたしを憎むのかも理解出来なかった。


 わたしは中庭に出て、ベンチの雪を払うとそこに腰を下した。

 考えればこの孤児院にいる子達は、わたし、アルシェール、そして名前の長い男の子と、銀髪の子以外は、ずっと小さい頃からここにいるのだろう。

 もしここにいる子達はフェルミナの資質を買われ、選ばれて来たのだとすれば、何もわからず、幼い頃から修練もしてこなかったわたしがいきなりここに入り、媒介パルを与えられるのは、気に食わない事なのかもしれないと考えた。

「おい、何してんだよ。人っ子一人いないこんな所でさ」

 唐突にわたしは肩を摑まれる。驚いて振り返ると、

「あ、名前の長い男の子」

 わたしがそう言うと、男の子は顔を歪めた。

「名前の長いって……、って男の子じゃない!」

 わたしがキョトンとしていると、その男の子の後ろで、長い水色の髪の女の子がくすくす笑っている。

「オリヴィエ! 笑ってないで何とか言ってくれよ」

 男の子がそう言うと、オリヴィエと呼ばれた女の子は、

「だって、ヴィッテちゃん、何時もそんなかっこだから、そう思われても仕方ないもん」

 男の子はマフラーを巻き、上着は厚着をしているが、下は半ズボンだ。白い雪に似たその白い肌を見ていると、こちらまで寒くなって来る。

 男の子はわたしに向き直ると、

「オレはなぁ」

 そう言った所でわたしはその子の名前を思い出し手を打った。指を差し、

通音つうおんちゃん!」

 男の子の顔が歪む。

 男の子の後ろに立つオリヴィエが首をかしげた。

「つう、おん、ちゃん?」

 わたしは、あの〝木〟の事件の時に、アルシェールが〝通音つうおんちゃん〟と言っていた事を思い出していた。

 男の子は口を尖らせると、

「オレはヴィットーリアだ!」

 そう言った。

 わたしは言った。

「長いから、通音つうおんちゃん」

「そんな変わんないだろ! 大体、人に指差すな!」

 わたしは更に思い出した。

「ヴィットーリア・アクウィエリア・アマルフィ」

 わたしがそう言うと、通音つうおんちゃんは顔を真っ赤にして、全部言うな!! と叫ぶ。

 なのでわたしは、

「じゃ、通音つうおんちゃん」

 と言った。

 通音つうおんちゃんは頭を掻くと、

「お前、やっぱアイツに似てんな」

 と言う。

 オリヴィエは、通音つうおんちゃんの後ろで、またもくすくすと笑っている。

「てか、何で憶えてんだよ」

 わたしは首を振った。

「今、思い出した」

 通音つうおんちゃんは、はぁと溜息を吐くと、

「な、お前、仲良くなったヤツがいなくなったから寂しそうにしてんのはわかるけど、先生だって治る言ってんだろ?」

 わたしはキョトンとした。

「わたしが、寂しい?」

 わたしが首をかしげると、通音つうおんちゃんとオリヴィエは顔を見合わせた。

 通音つうおんちゃんは言う。

「そんなしてんだ、誰だってわかるだろ。とにかく、へこんでいると余計なヤツらに絡まれるからな。少しはシャンとして待ってろよ。ほらこれやるよ」

 そう言って、通音つうおんちゃんはわたしの前に手を差し出した。

 わたしは戸惑いつつも、通音つうおんちゃんの手の下に、自らの手を差し出す。すると、手の平には小さなビスケットが落ちて来た。

通音つうおんちゃんは優しいから」

 オリヴィエはニコリと笑い、

「お前まで通音つうおんちゃん言うなぁ~!」

 きゃーと言ってオリヴィエは駆けて行き、通音つうおんちゃんもそれを追って駆けて行ってしまった。

 わたしはそれをぼうと見ていたが、手元のビスケットに視線を落とす。口元に運び、半分だけ口にした。ぱりと音がして、甘く香ばしい味が口に広がる。

「おいしい」

 わたしは何時の間にか笑っていた。

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