第十六節 病人

 寒くなり始め、孤児院の周りを囲む木々が灰色味を帯び、葉が舞い散る季節になった。

 その頃、変わり映えのしない孤児院に大きな変化があった。

 孤児院に居る誰かが何かをした訳ではなく、それは外部からもたらされた。


 ある日、授業が終わり、教室を出たわたしの前を、灰色の髪の女性が、何人もの協会兵と普段は見ない男の人達に囲まれ、担架で運ばれて行く。

 女性は担架の上で何度も身じろぎし、呻いている。下半身は毛布に包まれ見えないが、はだけた上半身は包帯でぐるぐるに巻かれ、それには赤い染みが大きく広がっていた。

 その一団を慌ただしく数人の先生達が追って行く。

 多くの子供達が、教室から出て来ると、その様子を眺めた。

 教室の中からエスタンティア先生が出て来て、みんなに言った。

「見世物ではありません。自分たちの部屋に戻りなさい」

 エスタンティア先生は、その場に居た全員を睨み付け、動かない。奥の部屋に誰か行かないように見張っているようだった。

 それを見ていたわたしの横に、教室から出て来たアルシェールが顔を出し、

「フェルミナ」

 そう呟いた。

 わたしが、えと言って振り向くと、アルシェールは何も言わずに廊下を奥の部屋とは反対の方向に歩いて行ってしまった。

 日が短くなりつつある季節、廊下には、窓から差し込む光とは対照的に、深い影が出来ていた。


 何が起きたのか、後日、教壇に立つエスタンティア先生から説明があった。

「みなさんも前日の事は知っていると思いますが、この孤児院の別棟に、しばらくフェルミナの方が滞在します。現在、ご病気のため、療養中です。なので今まで通り、別棟には近付かないように」

 エステリティウスが席から立ち上がり手を上げた。

 その様子をアミエスタが見上げる。

 エスタンティア先生は少し眉根を寄せる。

「なんですか」

「神域の、子に、やられたのですか?」

 エステリティウスの言葉にエスタンティア先生はうつむき、

「そうね」

 と言って顔を上げ、

「あなた達も、普段から言われている範囲から決して出ないように。ここはクリシュナスピールで守られているものの、神域に接する最前線である事に違いはありません。特に裏手の山には決して近付かないように。強大な神域の子が封じられているのですから」

 教室中に不穏な空気が流れる。

 みな、フェルミナが怪我した有様を見ていた。

 わたしは、その怪我を見て、神域の脅威とは、何なのかを実感した気がした。

 かつてアルシェールに見せられたようなものが、近くに迫る、山の中で蠢いているのではと考えるとゾッとした。日常の直ぐ隣で、不気味なものが存在している。わたし達の日常とは綱渡りのようなものなのかも知れないと思った。

 それから授業は何時も通りに進められたが、みんなは人類の置かれている立場を再認識したのか、どことなくその表情は曇っていたように思う。


 それから数日は、特に何事もなく過ぎた。ただ先生達はどこか忙しそうにしていた。 

 わたしはフェルミナの人が運び込まれて以来、孤児院の裏に迫る、山を見上げる事が多くなった。

 鬱蒼と茂る森の奥、獣や鳥たちの声が聞こえて来る。話しに聞いた神域とはまるで違う。そもそもそこは、どう考えてもクリシュナスピールの結界の中だ。

 先生達から以前より聞いていた、山の洞窟に封印されている神域の子の話。わたしには信じられなかった。

 そんな近くで、フェルミナにする為とは言え、子供を育てるだろうか。恐怖に慣れさせようとでも言うのだろうか。子供達にこれ程迄の危険を背負わせるのは、人類が追い詰められている証拠なのだろうか。

 教室の前で見た、傷ついたフェルミナの事を考えると、何時か神域に旅立った時、この孤児院で一緒にいる子達の、どれ程が命を落とすのだろうか。

 わたしは、わたしの死が想像出来なかった。ただ、周りの人達の死に関しては、それは想像出来たのだ。なぜだかは、分からない。


 フェルミナとは、普段はどんな事をしているのだろう。どんな所へ行くのだろうか。わたしには興味があった。

 その為か、その日は知らず知らずに敷地を外れ、別棟の近くに来ていた。

 わたしは別棟を見上げる。別棟を見るのは、フェルミナの秘儀を受けて以来だった。

 煤けたように灰色の、二階建ての木造建築。そこそこ大きいのだが、孤児院の敷地の端、より山側にあり、鬱蒼としているその建物は、木々の影に呑まれて目立たない。ひっそりとしたその風情は、どこか廃屋を思わせた。建物の前は土剝き出しの小さな庭が広がっている。

 そしてそこで、誰かが履き掃除をしているに気付く。

 バノック夫人でも、他の使用人でも先生でもない。細身で背の高い、灰色の髪を持つ、若い女性だった。

 向こうもわたしに気付いたらしく、こちらに寄って来る。

「こんにちは」

 長い竹帚を持ったその人物は、ゆったりとした白いシャツとスカートを穿き、茶色のベストを着込んでいた。片側に流したその髪は、片方の目を隠していたが、もう片方の目は優しそうな光を湛えている。

 直ぐに分かった。あの包帯を巻かれて運び込まれたフェルミナの人だと。

 フェルミナは、力を授かった時、その肉体に変異を表す場合がある。

 まだ若いのに、白髪でなく灰色の髪なのは、そう言う事なのだろう。

 その女性は柔らかく笑い、わたしがその髪を気にしているのに気付いてか、それを束ねて持つと、前に差し出した。

「不思議でしょう? こんな色。青だったり緑だったりする人もいるみたいだけれど、わたしのフェルミナになる代償はこんな色だった訳」

 そう言って首をすくめてクスリと笑う。

「孤児院のフェルミナ候補生さんね。わたしはオフェーリア、オフェーリア・アルヴァレスタよ」

 そう言って首をかしげると、

「あなたは?」

 わたしは慌てて、

「で、デル、デルフィ!」

 オフェーリアさんは、ん~? と言って下唇に人差し指を当てると、

「デル・デルフィちゃん? デルちゃんでいいかな?」

 わたしは慌てて首を振る。

「えと、あと、でる、デルフィ・イルミナーゼ、デルフィ・イルミナーゼ!」

 繰り返した。

 オフェーリアさんは面白そうに柔らかく笑うと、

「そう、デルフィちゃんね」

 そして、う~んと少し考え込んてから、

「でも折角だから、わたしはデルちゃんって呼ぶ事にするわね」

 わたしは何が折角なのだかわからなかったが、その呼び方はむず痒かったので、何とか止めようと声を振り絞った。

「あの、えと、えっと」

 オフェーリアさんはくすりと笑うと、

「わたしのお部屋にいかがかな? わたし、ここに来て、お友達いないの。デルちゃんがなってくれると嬉しいんだけどな」

 優し気に笑うその表情を見て、わたしは結局、何も言えなくなってしまった。


 わたしは、先生達に別棟には近付くなと言われている事を言ったのだが、オフェーリアさんは、にこにこ顔で、ちょっと位いいじゃない、さ、行きましょ、と歩いて行く。

 わたしが立ち止まっていると、オフェーリアさんは足を止め、寂しげに振り向くので、仕方なくその後を付いて行く事にした。

 建物の前の、土剝き出しの小さな庭を横切り、別棟の入口の前に立つ。

「さ、奥よ」

 入口から中を覗き込むと、日没までまだ時間があるのに、ひどく薄暗かった。

 まだ躊躇するわたしの背中を、オフェーリアさんは優しく押す。

「大丈夫よ。わたしが呼んだと言えば、あなたは怒られないわ」

 わたしはおずおずと、その薄暗い建物の中に足を踏み入れた。

 木製の床が軋む音がして、不気味に静まり返ったホールにこだまする。

 オフェーリアさんはそこを、竹箒を持ったまま奥へと進んで行くと、ホールの両脇から二階へと続く階段の片方を登って行く。

 わたしはその後に続いた。

 そして二階に上がり、奥へと続く廊下を進む。

 廊下の両脇には、幾つもの扉が立ち並ぶ。その内の一つの前で、オフェーリアさんは足を止めた。

 オフェーリアさんがノブを回す。

 ガチャリと音がして、開かれたその先から、やわらかい光が差し込んだ。

 部屋に入ると正面には窓とベッドがあった。そしてベッドの上では誰かが寝ていた。

「だれ?」

 わたしがそう言うと、オフェーリアさんは振り返ってにんまり笑った。

「わたし、よ」

 そう言ってから、オフェーリアさんは壁に竹箒を立て掛けると、その人に近付いて行った。ベッドの端に腰をかける。

 わたしは目を疑った。同じ人物が二人いるのだ。ベッドの上で眠るオフェーリアさんと、その隣で座るオフェーリアさん。

「双子、ですか?」

 わたしが口にしたのは、そんな言葉だった。

 オフェーリアさんは首を振ると、

「これはもう一人のオフェーリア・アルヴァレスタ。わたしのフェルミナの力ヴィジョンは〝分割〟いわゆる魂の一部を、依り代となるものに分けて、もう一人のわたしとする事が出来るのよ」

 そう言って、夢の中にいるオフェーリアさんを眺めながら、

「ここの協会の人達は、眠っていれば、こんな事は出来ないと思っていたみたいだけれど、意識さえあれば、出来ちゃった、って所かな。あなたがここの近くを通りかかったものだから、いたずらしちゃった」

 そう言ってオフェーリアさんは舌を出し、わたしは唖然とするしかなかった。

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