第十三節 秘密の外出

 三階建ての木造の孤児院の周りには、いくつもの小さな花壇がある。そこは、初めて孤児院に来た時に出迎ええてくれた、老齢のバノック夫人が世話をしていた。

 授業の合間の小休止の時、わたしが建物の外を歩いていると、建物の端の、日陰になりがちな花壇の所にリタラが屈んでいた。

「何、してる?」

 わたしが近付き声をかけると、リタラは小さな悲鳴を上げて立ち上がった。

「えと、あの、その、ここは、日が当たらなくて、花とかがしおれている事が多いから、えと、その、かわいそうだなって」

 そんなリタラの言葉を聞くと、わたしは自分の心が、どこか温かくなるような感覚を覚えた。

「優しい」

 わたしがそう言うと、リタラは慌てて首を振った。

「それにしても、二人は何時も一緒ですね」

「二人?」

 わたしが首をかしげると、リタラは、えっ、と言って、わたしの背後に視線を向けた。

 わたしがその視線を追うと、そこには、

「ひっ!」

 アルシェールが私の背中から顔を出すように、リタラの様子を覗いていた。

「い、何時から……」

「わたしもデルフィの日陰で育ちが悪い。だからこんな小さい」

 確かにアルシェールは小さい方だったが、わたしのせいではないと思う。

「わたしも労わる」

 そう言って、アルシェールはリタラを見詰め、リタラは、

「え、あ、う、うん……」

 そう言ってわたしを見て来る。

 わたしは力なく笑うしかなかった。

「今日は、あそこ」

 そんなわたし達におかまいなく、アルシェールは本館の窓の一つを指差す。

 そこは二階へと向かう階段の踊り場がある所だった。

「授業終わったら、しゅーごー」

 アルシェールの起伏のない声に、わたしはえっ? と聞き返す。

「しゅーごー」

 わたしはリタラを見ると、リタラもどうしたらいいか分からないようで、力なく笑っていた。

「待ってる」

 そう言うと、アルシェールはわたし達にくるりと背を向け、行ってしまう。

 取り残されたわたし達は顔を見合わせる。

「と、とりあえず、行った方がいいんですかね」

 リタラの言葉に、わたしは曖昧な返事を返したが、特別やる事もなかったので行くと言う。

 するとリタラも、

「な、なら、わたしも行きます」

 胸に両手を押し当てそう言った。


 白い漆喰で塗られた木造の孤児院。一階にある教室を出て直ぐ左手に倉庫のように使われている部屋がある。その先を曲がった所に、二階に上がる階段があった。そこを上ると踊り場だ。

 授業が終わった途端、リタラは前に座るロンドが気付くより早く、教室から駆け出した。

 少し遅れてロンドが、リタラを探して教室内をきょろきょろしていた。

 アルシェールの姿は既にない。

 わたしはロンドを横目に、ゆっくりと歩いて教室を出ると、踊り場に向かった。

 階段を上り、踊り場に着くと、アルシェールが、ん、と言い、その横でリタラが荒い息を吐いていた。

 そうして三人が揃うと、わたし達は、そっと孤児院から抜け出した。

 三人組に追われ、一人で抜け出していた時と違い、わたしはどこか穏やかな気持ちだった。


 中庭の外縁に沿って、木陰に紛れながら門の所まで行き、柵を越えた所で、わたしとリタラは駆け出した。そして孤児院からある程度離れた所で、わたしは荒い息を吐きながら木に寄り掛かり、リタラも同じようにする。

 アルシェールだけは顔色一つ変えず、わたしとリタラの後を歩いて追って来た。そうしてリタラの前に立つと、起伏のない声で言った。

「どう?」

 リタラは荒い息を吐きながらアルシェールを見上げ、

「え? ん? え?」

 リタラは戸惑いの色を浮かべた表情でそう言って、木から手を離す。だが、整わない呼吸に負けて、結局その手を両膝の上に乗せてまたあえぐ。

「好きな事がわからないなら、すぐやめてもいいから、なんでもやってみる。やりたくないなら、最初からやらなくてもいい。合う合わないは千差万別」

 アルシェールの言葉にリタラは頷いた。

「普段ならこんな事しなくていい。でも今、フェルミナの力ヴィジョンの発現が必要なら、やって見てもいい」

 アルシェールの言葉にリタラは小さくそうかも、と呟くと、おずおずとアルシェールを見上げて、小さな声で言った。

「えと、あの、お兄ちゃんの目を盗んでこんな事するの、その、ちょっと怖いんです」

 アルシェールは黙ってリタラを見詰めている。

 リタラは少し言い淀み、それから、

「でも、その、ちょっと、楽しいかもって思いました」

 その言葉にアルシェールはただ、ん、とだけ答えた。

「その、あの、これからどうするんですか?」

 荒い息が収まって、リタラは上半身を起こすとアルシェールを見詰めた。

 アルシェールはわたしを見る。

「わたし? わたしが決めるの?」

 アルシェールはただ、ん、とだけ言う。

 わたしは戸惑い、

「ん、えと、その、散歩」

 と小さく答えた。


 何の事はない普通の散歩。孤児院の周りを囲む森の中を歩き、麦穂の畑の海を渡る。その海の中に浮かぶ小さな丘の孤島の頂、大木の下で一休み。

 そうしている間もリタラは新しい発見と感動を覚えているようだった。森の中では、その涼しさに喜びを表し、また小鳥のさえずりに笑顔を見せ、始めてではないのに麦穂の海に感動し、小島の上に辿り着くと、両手を広げて笑顔を湛えた。

 森の涼しさ等、孤児院の中であっても感じられるものであると思うのだけれど、リタラに言ったら、場所や風景が変わるだけで違うものに感じられ、見えると言う。

 わたしにはちょっと分からなかった。

 大木の木陰に腰かけて、そんなリタラを眺めていると、わたしの視界の中にアルシェールが入って来て、丘から下を見下ろすリタラの横に並んだ。

「感受性が豊か、自然好き?」

 アルシェールは首をかしげ、リタラにそう聞く。

 リタラははっとしたようにアルシェールに振り向き、恥ずかしそうにして首を振った。

「そんな、その、あの、でも、建物の中より、木や光や、鳥の声とかは、好き、かも」

「好き、見つかった」

 アルシェールの言葉にリタラはあっ、と言った。それから、恥ずかしそうにしたまま、頷いた。

 アルシェールはわたしに顔をかすかに向ける。

 わたしもよかったと思い、頷いた。


 それからは毎日のように三人で孤児院の外を歩き回った。

 教室で、何度かロンドに詰問されているリタラを見かけたが、リタラはわたし達の事は話してはいないようだった。

 その横を通りかかる時、リタラと目が合う。その目はどこか笑っている気がした。

 わたし達三人だけが、秘密を共有する仲間のように思えた。そんな事をわたしはどこか楽しいと思い始めていた。


 事件は何時もあの崖で起こった。

 あの崖の上から見える景色、遠くでそそり立つ、クリシュナスピールの赤い光、空の広がりと川の流れを同時に見渡せる。

 その光景をリタラに見せたくなって、わたしは階段の踊り場で、初めての〝自分からの提案〟を行った。

 それを口にした時、踊り場の窓からは柔らかな光が差し込み、わたし達を優しく包んでいたと思う。

 そんなわたしの穏やかな心地を破るように、アルシェールが耳元で、

「魔女の木に食べられちゃう」

 とぼそりと言い、わたしの歪めた表情を見て、

「嘘」

 と無表情に言っていた。


 孤児院を出て森を抜け、麦畑を見渡す。

 近頃刈り取りが行われており、畑に何人かの人の姿があった。刈り取りが終わった畑では、麦穂の束が積まれたり干されたりしている。

 そんな様子をリタラは興味深そうに眺めていた。

 その光景は数日前から見ている筈なのによく飽きないなと思ったりもした。

 そして、つぎはぎになった麦の海を越え、小島に辿り着き、わたし達は更にそこから東へと進む。久しぶりの遠出だった。

 遠くに見える森への入口の更に向こう、広がる空に、太陽の明るさで霞んで見える、クリシュナスピールの赤い光が複数立ち昇っていた。

 向かって歩いて行く程に、川沿いにあるまばらだった木々は量を増し、初めは林、そして森の縁となり、わたし達を囲むように弧を描き、川と反対方向にも広がった。それに沿って道も弧を描き、森に沿って続くのだが、その途中で、あまり整備のされていない細道が、森の奥へと延びていた。

 昼なお暗いそこを見て、リタラは不安そうな顔になる。

 わたしはそれに気付くと、

「わたし、もう何度も来てるし、平気」

 そう言うとリタラはう、うん、と掠れた声で返事をする。

 歩いて来た、やや大きな土の道、そこかられて、雑草が生えたままに踏み固められた細い道へと踏み出した。

 踏み固められているので、人の行き来はあるようだが、今まで歩いて来た道程快適ではない。

 そして森の口に立つと、奥からひんやりと冷たい空気が流れ出て来た。奥は木々の枝葉が太陽の光を遮り薄暗い。墨で描いたような光景が広がっていた。灌木もなく、腐葉土の地面が広がっていた。小鳥のさえずりが聞こえたかと思うと、誰かの叫び声のような、獣の声が聞こえ、わたしとリタラを怯ませた。

「ぼ、冒険、ですね」

 森の入口で立ちすくむリタラの言葉にわたしは笑った。

 わたしとリタラの後から黙って付いて来ていたアルシェールは、

「孤児院の周りの森と大して変わらない」

 そう言って、わたし達を追い越すと、ずんずんと行ってしまう。

 わたしとリタラは慌ててアルシェールの後に続いた。

 中は孤児院の周りの森に比べ薄暗く、殺風景だった。木々に覆われ、低い場所での植物の生育は悪いようで、それと比べれば、孤児院の周りの森は、まだ、木々の枝葉の隙間は大きいのだと思えた。あちらは灌木があり、もう少し明るい。きっとこちらの森の方が古いのだろう。それとも孤児院を建てる為に人が分け入ったので、幾本かの木々が伐採され、地面にまで光が届くようになっていたのだろうか。

 リタラは初めは不安そうな顔をしていたが、しばらく歩くと足を止め、大きく息を吸い込み笑顔を作った。

「ふしぎ、です。外はずいぶん温かいのに、こうして木々に包まれていると、光を遮ってくれて涼しい、だけじゃなく、何か、空気自体が冷たく、美味しい? そんな気がします。頭がはっきりするって言うか、とても落ち着きますね」

 そんな言葉をわたしとアルシェールは足を止め聞いた。

 わたしはリタラが変化している、そんな気がした。

 そして歩き出す。

 薄暗い森の中、リタラは何時しか楽しそうに歩いていた。入る前はあんなに怖がっていたのに。

 そんな姿を見ていると、わたしもリタラを連れて来て良かったと思った。

 そんなわたしをアルシェールはジッと見ていて、

「ど、どうしたの」

 そう聞くと、

「ん」

 とだけ答えた。

 やっぱりアルシェールはよく分からないと思った。

 そうして鬱蒼とした森の中を、誰かが踏みならした道を頼りに歩き続けて行くと、道の川側に傾斜が現れた。道を離れ登って行く。

 リタラは初め驚いていたが、登る段になると、どこか楽しそうだった。

 そうして登って行くと、木々がわずかばかりにまばらになり、光が差し込んで来る。後ろを振り向けば下に木々の間を縫いながら、ぐねぐねと曲がり、続く道が見えた。正面に向き直ると、灌木が姿を現す。藪を避け、掻き分けて、開けたそこは、青と白の大空に包まれていた。

 リタラがわぁ、と声を上げ、わたしの横をすり抜け駆け出す。

 わたしはあっ、と言い、アルシェールが、よ、と言ってぽんと飛び跳ねて、リタラの横に立つと、その腕を掴んだ。リタラは引っ張られ、よろめき、それから崖を前にしている事に気付くと表情を強張らせた。

「あ、ありがと」

 おずおずとアルシェールに向き直り、頭を下げると、アルシェールは首をすくめて、

「別に怒らない。次から気を付ける」

 アルシェールの言葉にリタラはコクンと頷いた。

「それより、どうかな?」

 わたしは二人に追い付き、リタラに問いかける。

 リタラは笑顔で言ってくれた。

「とても素敵です!」

 空の下では緑が広がり、川は太陽の光を照り返してきらめいていた。

「こんな所があったんですね」

 リタラがそういった時だった。

 ガサリとわたし達の背後で藪が揺れる音がする。

 わたしは慌てて振り向き、そこから出てきた人物を見た。

「お前達、リタラを連れ回して何をやってる」

 驚くわたし。横目で見ると、リタラは真っ青な顔でうつむいていた。

 だけれどアルシェールだけは平然としており、目を細めると、

「孤児院の門の所。そこからずっと付いて来てた。一人で寂しいなら、混ぜる」

 アルシェールの言葉にその人物は目を吊り上げると、

「リタラが大事な時だとわからないのか!」

 そう怒鳴った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る