第九節 ヴィットーリア
エステリティウスの一件以来、わたしは周りから、一目置かれるようになった。
だけれど、それも一時だけのものだった。何故ならわたしに
試合では何時もボロ負け。そして三人組からの執拗な嫌がらせになんの抵抗も出来ず直ぐに泣く。勉強も出来ず、動きもトロい。蔑みの目だけに囲まれた。
そんな風になっているのに関わらず、エステリティウスは、わたしが試合から逃げた、もう一度試合をやり直せと言って来る。わたしはそれからひたすら逃げ続けていた。
その内、エステリティウスとアミエスタが三人組に加勢するようになり、更にはわたしは卑怯者という事で、三人組以外からも冷たくあしらわれるようになった。
当時はアルシェールを恨んだものだけれど、当のアルシェールはのほほんとしていた。
わたしが文句を言っても、ふ~ん、だの、へ~だのしか言わない。
あの崖の上で会った時のときめきを返してほしい! まるで別人のようだった。
そして、三人組の嫌がらせは日増しに酷くなった。例えばわたしの部屋にまで乗り込んで来る事もある。その為孤児院の中では安心できる場所はなかった。
初めの頃は、部屋に乗り込まれても、どうでも良かったのに、その頃にはとても耐えがたい、と思うまでになっていた。
そんな状況なので、わたしは川辺の小さな崖に避難する事が日課となっていた。
その日も、わたしは、授業が終わり、大広間での食事を終えるとすぐに孤児院を抜け出した。
日没まで時間はあった。わたしは庭で遊んでいる他の子達に見付からないよう、そっと木々や藪の中を通り、孤児院を囲む鉄柵の門を潜り、外に出る。
すると、
「あら」
そんな声がして振り向くと、アルシェールが鉄柵に寄りかかってこちらを見ていた。
何時もの黒い服ではなく、白いワンピースに茶色のベストと茶色のブーツを履いている。
「奇遇」
どう見ても外行きの服装だった。
「あ、う、じゃあ」
わたしがそう言って立ち去ろうとすると、
「ご一緒」
そう言ってわたしに付いて来る。
わたしは首を
孤児院を囲む森を東に抜けると、広い田園地帯に出る。北側には川がゆったりと流れ、南側は畑や小さな林、田んぼが広がっていた。
そんな景色を眺めつつ、
わたしは川沿いの道を進み、丘を下り切った所で広がる森の中に分け入った。
アルシェールも黙って付いて来ていたが、森の中の獣道で聞いて来た。
「何で何時も逃げてる? 逃げてもやめない」
わたしはう~、と呻くと何も答えなかった。
崖の上は岩だらけ、ちょっとは土が積もっている所もあって、そこにはわたし達の背丈程のひょろっとした木が二本、風に吹かれて飛びそうな様子で立っている。
それを見てアルシェールが、
「岩の間に根を張っている」
そう呟いた。それから、
「最近、何時もいない。ここに避難していた?」
わたしはまたう~、と唸る。
アルシェールは少し驚いた顔をして、
「言葉を忘れた?」
そう真剣に聞いて来るものだから、違うと大きな声で答えた。
「退化著しい。獣と同じになったのか」
「ひどい」
わたしがそう言った時、背後の茂みががさりと音を発てた。
わたしは慌てて振り返るが誰も居ない。アルシェールを見ると目を細めて、
「他にも獣がいたみたい」
そう言った。
アルシェールが指を差す。そこには藪があり、よくよく見ると藪のスキマから誰かの目が覗いていた。
途端、ガサリとその藪が音を発て、続いてぱたぱたと何者かが走る音が聞こえて来た。
アルシェールが素早い動きで藪を掻き分け、足音を追い、わたしは驚いて、アルシェールの後に続いて藪を抜けた。
見えた。
木々に囲まれる薄暗い森の中、木と木の間、わたし達の真正面に何者かの背中が見える。
アルシェールは、
「下がって」
そう言ってわたしに距離を取らすと、懐から何かを出す。それをぐるんぐるんと二、三回振り回し、その人物に向かって投げ付けた。それは寸分違わずその人物の足に向かって回転しながら飛ぶと、ぐるんとその足をからめ捕って、
「ぎゃっ」
その人物はそんな声を出して、腐葉土の上に倒れ込んだ。
「なにそれ?」
わたしが聞くと、アルシェールは、
「ボーラ」
とだけ言った。
逃げた人物は黄緑色の髪をした少年だった。足に重りの付いた縄を巻き付かせながらばたばたとしている。
「ヴィットーリア・アクウィエリア・アマルフィ」
アルシェールがその少年に近付きながらそう言うと、その人物は途端にアルシェールに振り向いた。
「そ、その名前を呼ぶなッ!」
「ほぅ」
アルシェールが何だかわからない声を上げると、その人物は顔を歪めて、
「大体、何でオレの名前を知っているんだ!」
少年が慌てて言った。
「さあ?」
アルシェールは首を
わたしがアルシェールに顔を向けると、アルシェールは頬に片手を当て、困ったようにわたしに振り向いた。
「わたし達の秘密の場所を知られた。川に沈めよ」
わたしと少年は顔を青くした。
アルシェールはそれから、
「何をしていたの?」
短髪の子ににじり寄る。
ヴィットーリアと呼ばれたその子は顔をぷいとそっぽに向けた。
「でも
アルシェールがそう言うと、ヴィットーリアは、
「だったら聞くな」
そう言った。
「川、近い。どぼん。何してたの?」
もう一度アルシェールが聞くと、ヴィットーリアは顔を歪ませて言った。
「エステリティウス達に、授業が終わった後、何時もいなくなる、お前達をつけろって言われたんだ」
そうぶっきら棒に言った。
その言葉にアルシェールは顎に人差し指を当て、天を見る。
「なんでエステリティウス達に協力してる?」
アルシェールの言葉にヴィットーリアは顔を歪めた。
「何か取られた?」
アルシェールの言葉にヴィットーリアは答えない。
「オリヴィエとか?」
アルシェールの言葉に、ヴィットーリアは顔を歪ませた。
「なるほど、人質」
勝手に納得しているアルシェールにわたしは尋ねた。
「な、何が起こってるの?」
アルシェールはう~んと言ってから、
「オリヴィエって子がエステリティウスの人質になっている」
「何でそんな事を!?」
「きっとデルフィともう一度試合しようとしてる。先生達に邪魔されない所で」
わたしは顔を歪めた。
「今度やったら殺されちゃう」
わたしがそう言うと、アルシェールはヴィットーリアに向かって言った。
「そう言う事だから、オリヴィエの事は諦めて。彼女の死は無駄にしない」
「ふ、ふざけるな!」
そう言うヴィットーリアにアルシェールは言った。
「友達の為とはいえ、他の人を犠牲にするのは感心しない。正面から取り返すべき」
ヴィットーリアは歯を噛み締めると、お前なら出来ると言うのかと叫んだ。
アルシェールはさも当たり前のように、
「できない」
そう言った。
唖然とするわたしとヴィットーリアを前に、アルシェールはこめかみに人差し指を当て、何か考え始めた。
「一つ考えがある」
アルシェールはそう言った。
「オリヴィエを救いたい?」
アルシェールの言葉にヴィットーリアは頷いた。
「なら協力」
ヴィットーリアは
アルシェールはヴィットーリアの足に絡まっていたボーラを外すと、
「ここに、エステリティウス達を連れて来る。あの二人は日没までここで過ごすようだって言う」
アルシェールの言葉に立ち上がったヴィットーリアは両手を広げて言った。
「何故そんな事を」
「
ヴィットーリアはムスッとする。
「有名貴族の名前の寄せ集めの方がいい? ヴィットーリア・アクウィエリア・アマルフィ」
ヴィットーリアは顔を
「何で知ってるんだ」
アルシェールは何気ない調子で、
「孤児で名前がない子は珍しくない。見栄を張った子がつけそうな名前」
ヴィットーリアは苦々し気に顔を歪めると、
「
「
「わかった!
やけっぱちな調子でそう言った。
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